エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて18年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

ZAMENHOF

2017-05-12 | 読書ノート


 最近読んだ本、ボールトンのザメンホフ伝。ザメンホフ自身についてももちろんだが、その家族やエスペラント運動自体についてもかなり詳しく描かれている。興味深いエピソードが盛りだくさんである。以下まとまりのない私のメモである。
 ザメンホフが生まれ育った土地はロシア領ポーランドである。ポーランドのユダヤ人はポーランド文化になじんではいたが、ロシア語を話しポーランドの民族統一主義には疎外感を持っていた。しかしロシアへの忠誠は実を結ぶこともなく、根本的には国を出てどこかに自分たちの国を建てるしかない、というのがシオニズムである。若い時のザメンホフもこの考えを持ったが、建国の地としてはすでに居住民がいるパレスチナは適切ではないと考える。そして、お金を集めてアメリカに土地を買おうと提唱する。ごく短い間ではあったが、ザメンホフはモスクワのユダヤ人学生のリーダーであった。
 幼い頃から言語に関心があったザメンホフである。若い頃雑誌に投稿するペンネームには「Gamzefon」「Gofzamen」など、Zamenhof のアナグラムに近いものがあった。後にエスペラントを発表したときのペンネームは D-ro Esperanto である。エスペラントで「希望する人」であるが、この名前は Zamenhof の控えめな楽観主義を表しているだけでなく、彼の家族名を暗示しているという説がある。すなわち、Zamenhof の -hof は短母音の -hoff に近く発音され、これがドイツ語の hoffen (esperi) に通じるというわけである。
 ポーランドのユダヤ人が使うヘブライ語・ユダヤ語には特有の傾向があり、しばしば、例えば S と Sx の混乱がからかいの対象にされたという。ザメンホフ自身、エスペラントでさえこの混同が見られたという。民族語の癖がエスペラントにも現れる・・・R と L などに苦労している我々をいくらかほっとさせるエピソードではないか。
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2 コメント

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RとLの苦労 (verdavojeto)
2017-05-20 10:29:27
同じ様な苦労は他言語人たちも持っているでしょうね。英国人はParko と言えないで Paakoになるとかフランス人は graso と言えず gaaso とか。
日本人が特に気にし過ぎるのかも知れません。
綴りをしっかり知っておけばそんなに困らないのですけどね、綴りをアイマイに覚えているとそこが落とし穴になりますね、経験から。
Gx と Jx, B と V, H と F... (esperakira)
2017-05-23 09:15:48
数え上げるときりがありませんが、私はあまり気にしないことにしています。会話していれば、お互いに相手の癖がすぐに分かりますから。

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