
私は、エスペラントの中立性というのは「エスペラントを母語とする国・民族が存在しない」ということだと理解している。この場合、言語の構造や単語の起源などは問題にはならない。
エスペラントには、その成立の過程からヨーロッパ諸言語の単語や日本語に訳しにくい表現が多く入っているのは仕方がないことだと思う。
例えば「blasfemi:神聖なものを冒涜する、転じて悪態をつく」「sakri:(神の名をみだりに使って)のろいの言葉を吐く、悪態をつく、怒る」(いずれも日本語エスペラント辞典)という表現がある。英語の「Oh my god!」などである。
実際には神だけでなく悪魔も使われるし、冒涜・悪態・怒りなどよりもっと広い意味で使われる。日本語に訳すときには文学的な才能が問われるかもしれない。例えば上記のエス日辞典では「Dio mia!:おやおや、これは驚いた、なんとしたこと」という訳例が挙げられている。英語の「 [My, Oh] God!」についてもある辞書では「しまった、大変だ、なさけない!」別の辞書では「これは驚いた! こわい!」「ああ困った、まあ大変、おやおや、けしからん、悲しいかな」と様々である。
そのときどきの瞬間的な気分を神や悪魔を引き合いに出して表すというのはキリスト教だけではないらしいが、仏教にはないので、日本語にもない。したがって blasfemi や sakri を一言で表す日本語もない。
写真は南インド海岸の漁村で見た花
エスペラントには、その成立の過程からヨーロッパ諸言語の単語や日本語に訳しにくい表現が多く入っているのは仕方がないことだと思う。
例えば「blasfemi:神聖なものを冒涜する、転じて悪態をつく」「sakri:(神の名をみだりに使って)のろいの言葉を吐く、悪態をつく、怒る」(いずれも日本語エスペラント辞典)という表現がある。英語の「Oh my god!」などである。
実際には神だけでなく悪魔も使われるし、冒涜・悪態・怒りなどよりもっと広い意味で使われる。日本語に訳すときには文学的な才能が問われるかもしれない。例えば上記のエス日辞典では「Dio mia!:おやおや、これは驚いた、なんとしたこと」という訳例が挙げられている。英語の「 [My, Oh] God!」についてもある辞書では「しまった、大変だ、なさけない!」別の辞書では「これは驚いた! こわい!」「ああ困った、まあ大変、おやおや、けしからん、悲しいかな」と様々である。
そのときどきの瞬間的な気分を神や悪魔を引き合いに出して表すというのはキリスト教だけではないらしいが、仏教にはないので、日本語にもない。したがって blasfemi や sakri を一言で表す日本語もない。
写真は南インド海岸の漁村で見た花












仏教は「教え」であって、宗教ではないという考えも有ることを最近知りました。つまり仏教には「神」が無いと言うのです。
だから、Oh God! も無い訳。
Oh my God! の表現はあらゆる感動の場面で使われます。困った時、嬉しい時、悔しい時、腹の立つ時 KTP。
Oh my God, Mi estas laca.
「神」がいなくても、それだから宗教ではないとは言えないと思います。しかし、天地を創造した絶対神がないことが「Oh Budho!」がない理由の1つかもしれませんね。
ののしる言葉として"Merdo!"だの"Fek!"だのはよく聞きますが、日本語の「くそっ!」と一緒ですね。