エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて18年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

ザメンホフに召集令状!

2017-05-26 | 読書ノート


 ボールトン「Zamenhof」の第3回、いろんなエピソードを脈絡なく。
 世界平和を願うザメンホフの希望に反して、世界は第一次世界大戦に向かって進む。1904年には日露戦争が勃発、1905年1月には満州で軍医として務めるようザメンホフが招集される。エスペラント界には大きなショックでもあったが、友人や家族たちはそれ以上にザメンホフ自身の健康を心配する。招集免除の嘆願を当初拒否していたザメンホフも最後には周囲の説得に応じる。軍の医師たちが診察した結果、ザメンホフの健康状態は一週間の入院を命じたほど悪かった。この時、ザメンホフは兵役を逃れることが出来たが、弟たち、Leono、Aleksandro は前線に行かねばならなかった。

 1907年、Ido の騒動が起きたがエスペラントは順調に発展を続けた。1912年にはオーストリア領ポーランドのクラコフで第8回世界大会が開かれた。当時のクラコフはロシアやドイツとくらべて比較的自由であった。
 この大会はザメンホフにとって特別な意味を持った。すなわち、彼が長年求めていた「普通のエスペランチスト」になることを宣言した大会である。大会期間中、サインや一緒に写真を撮ることを求めるたくさんの人にザメンホフは辛抱強く応じていた。大会宴会の会場には照明が不足していた。フランスのエスペランチスト Bourlet がボーイにビールを頼んだら「Certe, sinjoro Bourlet!」という返事が来て驚いた。よく見たら、疲れ切ったザメンホフがボーイの制服を借りて休んでいたのだった。

 1907年、ゴーゴリの「検察官」がザメンホフの翻訳で出版された。ザメンホフは旧約聖書の翻訳をしながら、次々に文学作品翻訳を発表する。「ジョルジュ・ダンダン」(モリエール)、「群盗」(シラー)、「Ifigenio en Tauxrido」(ゲーテ)・・・
 モリエールの戯曲には様々な悪態言葉が出てくるが、当時のエスペラントにはそのような言葉が不足していたので「diablo」が単調に繰り返される結果になった。今日、エスペラントが優雅に、日常的に、ののしったり冒涜したり呪ったりするのにふさわしい言語であるのは、その後の作家たちの努力のたまものである。

   
写真は熊野古道伊勢路・三瀬坂峠。1kmほどの急坂で標高差160mほどを一気に登る。
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