坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

小学校児童用

2011年10月16日 | 坊主の家計簿
 新しいMacのOS、LIONを導入したのは良いのだが、え〜。。。もの凄いメモリー消費(笑)うちのiMacちゃんは4ギガのメモリーなんだが、「ひょっとして危ない?」状態。検索してみると8ギガのメモリーが6000円以内でエエのがあったので導入予定。LIONが2600円なので、合計8000円チョイの出費。まあ、その分MobileMeがiCloudになって無料になるから年間1万近くの経費削減にはなるのだが。
 宛名ソフトが使えなくなったので、これは買わなければならない。縦書きワープロソフトがダメになったので、「Officeを買わなアカンのか?」と考えていたのだが、これはOpenOfficeという無料のでなんとかなりそう。「ダメだ、使えない」と思っていた原因も検索でなんとかなったので。Mac版はかなり安くなったとはいえ、14000円程度の出費であり、これは痛い。まして、今月はヒマであり、え〜。。。給料出るのか?月単位での赤字はイヤよ。

 と、変わらず、じみ〜に、生きておりやす。

 昨日、テレビニュースを見て、ひっくり返りそうになった。知ってます?文部科学省が小中高に向けて放射線の副読本を出したのを。

 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/10/1309089.htm

 一応貼っておきますが、バタバタしていたので私は全く読んでない。なので、忘れない様にブログに書いてリンクを貼っておくのだが。

 え〜。。。今更ながら改めてなんだが、ホンマ、世の中、あ、この場合は当然『私にとっての世の中』っちゅう意味ね。あ、ホンマ、世の中、一変したのぉ。。。学校の副読本でっせ。ほれ、あの

【戦争は戦争の顔をして来ない】(池田香代子)

 の、『こころのノート』と同じ枠組みの副教材でっせ。あ、池田香代子氏が『こころのノート』に関してどう思っているのかは知らないが。
 
 内容の吟味はこれからするが、『小学校児童用』って、何年生からよ。1年生からなのか?なら、娘もあと数年したら、この教材を読むのか?パパは大震災の時に原発も危ない事を知って「今日の味噌汁はワカメだ!ワカメ料理の日だ!」程度の知識しかなかったぞ。その程度の知識で生きて来れたぞ。なのに、おい。小学生のガキが放射線の勉強を学校でしなければいけない世の中になってもうたわけでんな。なんじゃい、これは。

 とはいえ、この教育って、遅かっただけなのかも知れない。私がガキの頃にも原発はあった(らしい)。原発はあったが、原発を認識したのはチェルノブイリ原発事故の時だったし。その後、諸々の仕事関連も含めて勉強はしたが、え〜。。。「原発反対!」方面の知識しかなかったので、今回の原発事故で諸々の視点から少し勉強しているが、よく考えると私がガキの時から学校で副教材的に学ぶ機会があってもよかった。つーか、ない方が不思議か。今にして思えば。
 当然、学校教育なので知識は偏るが、その知識を下積みにする事は出来る。後は、各自で学べばエエだけの話である。学校は『学校』という立場からの教育なんだし。そら、限界はある。

 「信号は赤で止まって、青になったら横断歩道を歩きましょう」やったかな?決して「信号が赤でも左右を見て車が走ってなければ行って良し」という事ではなく、「赤で停止」「青で進め」みたいな、え〜。。。警察やったか、なんやったか憶えていないが、学校(幼稚園?)で移動式信号機で練習した記憶がある。ありゃ、車社会の危険性。
 だったら、原発の危険性の特別授業があって当然だったのでは?今回副教材を作ったんだし。事故があって初めて作った、のではなく、事故が起る前からやるべきではなかったのではないのか?まあ、今更言っても意味ないが。「原発事故は起りません!」という前提だったのだろうが。

 今日は、珍しくお勉強。あ、本を読む。本を読んで関連して出て来た事柄についても少し調べる。調べている中で、調べている事とは関係なく出て来た言葉。

【歴史に対する私の考え方は、右でも左でもイデオロギーはだめということです。イデオロギーで史料を解釈しても長続きは絶対にしない。これは敗戦を経てきた私は痛感をしています。
 やはりイデオロギーではなく、事実に基づいて真実を追究する。それだけが私は歴史学であると考えております。】(古田武彦氏http://hukohitomi.exblog.jp/11834728/より)

 まあ、これは歴史学だけでなくとも、何に対してでもそうなんだろうが。
 
 『イデオロギー』というとややこしいが、『私の見方』『私の意見』である。『私』を『私(たち)』にしてもエエかも知れん。で、そこから、つまり『私』から離れる事は出来ないのでは?

 『私』に固まってしまう。「これは、絶対にこうなんだ!」って、まあ、ホンマの所、よう解らん。「原発は絶対に事故なんて起りません!」が、事実でなくなったのと同じく。

 小学生が学校で放射線について学ばなければならない状況下、世の中になった。その事は事実である。
 ついでにいうと、ついさっき、焼酎のお湯割が口にある時に咳き込んでしまって、パソコンテーブル&iMacを掃除していた事も事実である。え〜。。。キーボード頑張ってくれ。
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深夜食堂

2011年10月14日 | 坊主の家計簿
 昨夜、何を思い立ったのか、急にMacの最新OSのLIONを導入してしまう。あ、寝る前ね。
 で、今日はその実験。馴れないけど、結構楽しい。&『馴れる』とか打ち込んで変換作業をしようとすると、おまけに辞書機能がそのままセット。以前の様に簡単な辞書機能ではなく、大辞林やったけな?結構しっかりした辞書機能。複数のディスクトップも作れるし、これはナカナカええ感じではないのか?とりあえず楽しいし♪
 と、遊ぶ。つーか、最新OSに変更したら、AppleWorksという前のMacのWordみたいなもんが使えない。使えないどころか、ファイルもそのまま開けない。え〜。。。確かに数年間無理矢理使って来たけどやなぁ。。。その間もファイルを変更しなかった私が悪いのかも知れんけどやなぁ。。。まあ、ママのディスプレーが壊れかけのiMacと、以前に使ってた古いiBookではAppleWorksが使えるし、何やら「PDFで保存しとけ」らしいので、今度やっとこ。
 しかしながら、うち、中陰逮夜表をAppleWorksで作ってて、これは困る。つーか、他のMacでやればエエのだが、一応、メインのMacでも作れる様に「よっしゃ!新しく作るで!」と、PagesというMacの新しいWordみたいなもんを使って作る。縦書きは出来ないのだが、裏技で「横幅1行にしたら縦書きになる」というので、制作。手間がかかって面倒なんだが、一度作ってしまえば、後はデーター変更だけで済むし。今回は某葬儀社の中陰表を参考にしつつ、前作よりもエエ感じに仕上がった。
 仕上がったのはエエのだが、作業途中で新しくなったカレンダー機能をチェックしてたら、え〜。。。今日、学習会の日だったのね。え〜。。。確か2〜3回連続で休んでいる。え〜。。。
 殆どの場合自転車で行くのだが、自転車で約1時間の体力はない。酒も飲みたくない。「車で行こ」で、車で行って、とっとと帰宅。

 今日から放送『深夜食堂2』を観る。録画しているのだが、やはり初回ぐらいは生でみたい。ん?『生』は変か。生番組ではないし。え〜。。。放送時間の深夜に観たい。

 『深夜食堂2』の初回は『赤いウインナー』。安田成美が出てた。
 新宿の顔役らしいヤクザと安田成美は高校時代にデートをした。安田成美が作った赤いウインナー(当然タコさん)が2人の想い出の食べ物。だからヤクザは深夜食堂で赤いウインナーをいつも注文する。2人は高校時代から会っていない。でも、2人の心は通じ合っている。
 安田成美は末期のガン患者。ヤクザと高校時代に同じ野球部だった刑事、安田成美の事が大好きだった刑事が、ヤクザと安田成美を無理矢理に会わそうとする。見舞いに行かせようとする。そして無理矢理にヤクザを見舞いに連れて行き、自分は病室から出る。安田成美の子どもが病室に入ろうとするのを遮って2人だけの時間を作ろうとする。

 死を迎える間際の大切な想い出。「思い残す事はないですか?」って聞かれたら、まあ、私なら「散々あるわい!」だったりする(笑)まあ、間違いなく「うらめしや〜」やな(笑)娑婆に未練タラタラで生き切ってやる。未練が残らないぐらい未練タラタラで死んで行ってやる。
 きっと私には『大往生』なんぞの言葉は似つかわしくなく、未練タラタラのまま「有り難い人生だった」と。だから「有り難う」なんだが、「もう、思い残す事はない?」なら「散々あるわ!」やな。凡夫(ただの人)なので、凡夫として当然死んで行く。

 何やら世田谷で高い放射線がウンタラカンタラ。原因が床下のビンとかウンタラカンタラ。あれって、撤去して終りでなく、ちゃんと刑事事件として調べた方がエエと思ったりするのだが。まあ、調べているとは思うが。
 当然の如く沸き起こる陰謀論。「発見された高い放射線量を政府や東電が床下のビンのせいにした」とかウンタラカンタラ。ちなみに世田谷区長って保坂展人やぞ。かなり筋金入りやぞ、保坂展人は。反原発も当然クリアしているぞ。かつ、保坂は自分の売りをよく知っているし、自分の売りを売り渡す事はないと思うぞ。その辺が菅直人に成れない原因なんだろうが。あ、その保坂展人が政府&東電の陰謀に組みするとは思えんのだが。
 まあ、エエ。
 陰謀論の一番イヤな所は、それが「そうかも知れない」でなく「絶対にそうだ」になってしまう事。「そうかも知れない」なら、そら構わん。何を妄想しようが構わん。っちゅうか、妄想しか出来んやろ、知らん事が一杯あるねんし。解らん事だらけ。『無知の知』っちゅうヤツでんな。ソフトに言うと「私は『私が知らない事がある』という事を知っている」っちゅう感じ。
 ほれ、昔の左翼がよく言ってた「全ては幻想」っちゅうヤツでんな。天皇の権力も幻想だし、原発の安全神話も幻想。
 なので、陰謀論も当然、幻想。
 個人的には『妄想』と呼びたいのだが。。。あ、個人的な言葉の意味合い、受取りとして。

 まあ、なんちゅうんでっしゃろ。陰謀論にハマって「これこそが事実だ!みんな騙されているのだ!」って、おい。偉そうにするな。偉そうにされる筋合いはないぞ。
 悟ってないで凡夫(ただの人)に帰って来んかい。
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福島を生きよ!福島を生きろ!

2011年10月10日 | 坊主の家計簿
 むっちゃ久しぶりのブログ。え〜。。。この間何をしていたかというと、主に寝てました。「寝転んでゲームをしていた」と言った方が適確かな?酒も飲まずに、え〜。。。多分、酒を飲み始めて以来これだけ飲んでない期間は初めてではなかろうか?言うても10日間もないのだが。
 仕事はしてました。ツイッターも何日間かサボっただけで、なんとかリハビリしつつ徐々に書き始めました。え〜。。。大真面目にヘバってました(笑)
 ヘバっているわけにも行かないのが貧乏人。仕事は毎日少しだがあるし、しっかりと勤めさせて頂かなければならない。学校もあって、それにも行かなければならない。まあ、週に一度、夜だけなんだが。え〜。。。余りヘバってなかったのかな?あれ?
 まあ、体調は最悪であっても、なんじゃかんじゃとあるわけで。
 北海道からやって来た恩師と、故・竹中先生の寺(むっちゃ近所)に御参りに伺ったり、昨日は通夜だったし、その後には元所属寺の報恩講に顔出ししたり。
 今日は娘と遊ぶ。何やら近所で『子どもまつり』やったかな?近所の公園で区内の学童保育なんぞの団体が集まったりしてのイベントをやってた。バザーで諸々ゲットしたりしつつ。ついでに、これまた近所の別の公園でやってたイベントも覗く。小さかったし、大人向け(当り前か)のイベントだったので、とっとと退散。AEONでお買い物して、くたびれ果てた娘と一緒に昼寝(夕方だったが)。

 夕方6時30分頃に起きた娘。2時間ぐらい寝たのかな?え〜。。。起きたのが遅かったので寝付くのが遅かった。12時頃まで起きてやんの。
 
 録画していたETV特集『希望をフクシマの地から〜プロジェクトfukushima!の挑戦』

 http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/1009.html

 を観る。
 このイベントは無茶苦茶行きたかったのだが、福島は遠い。かつ、8月15日って、おい(笑)

 10日振りにビールを飲んでみよう。
 すいません。。。2つの嘘です。発泡酒ですし、少しサバ読んでます(笑)



 
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!
   未来は私たちの手で。



 ステージ上で詩人の和合亮一氏が織り上げた詩を同じ福島の人達と和合亮一氏が読み上げる。その最後が上記の言葉だった。ただし、テレビからの聞き取りなので確かではないかも知れないが。
 ステージ上の全ての人達がそれぞれに「福島」を連呼する。決して揃っていない。それぞれがそれぞれに「福島」と連呼する。故郷の名を連呼する。そして、

 
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!
   未来は私たちの手で。


 と、続く。

 え〜。。。無茶苦茶感動した。どれだけ感動したかというと、録画を見終わったのが深夜2時30分過ぎだったにも関わらず、久々にブログを書いて居るぐらいである。
 「福島」の連呼が、「南無阿弥陀仏」の連呼みたいだった。それぞれがそれそれに「南無阿弥陀仏」と連呼しているみたいだった。そして

 
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!
   未来は私たちの手で。


 である。

 昨日の元所属寺報恩講の講師先生は昨年と同じ方。昨年、確か、「親鸞の苦悩と私たちの苦悩」みたいな事も話しておられ、「なんでこんな俺やねん!」みたいな事も。え〜。。。厳密な言葉ではどうだったのか知らない。私にはそう聞こえただけである。
 現実は理想通りには行かず、私が私である事すら否定してしまう。「なんでやねん!」なんぞと。「くそったれ!」なんぞと。

 ETV特集『希望をフクシマの地から〜プロジェクトfukushima!の挑戦』は、今までに観た震災関連、原発事故関連のテレビの中で一番良かったと思う。まあ、単純に行きたかった音楽イベントの映像という部分が一番大きかったし、映像的にも「ホンマにETV特集なのか?」みたいだったし。
 イベントに出店していた果物農家の兄ちゃんが一個100円で売っていた桃は途中まで全く売れなかったらしい。範囲内だが放射性汚染されていた。その兄ちゃんも「なんで、こんなんなんですかねぇ。。。」と。「なんで、オヤジや俺がこんな事を考えなければならないようになってしまったんですかねぇ。。。」なんぞと。丁度突然の雨が降って来て「こんな感じっすよ」と。

 
   あたかも牢獄を逃れるごとく
   人はみな自己の前を逃れんとすれども
   世に一つの大いなる奇跡あり
   我は感ず 『いのちみな生きらるべし』と
   (リルケ)


   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!

   
 の言葉を聞いて、恩師達から教えて頂いたリルケの言葉を思い出す。

 『過激な放射能危険派』から「福島は終わった」だのという言葉がネット上で流れてくる。何が「終わった」のだろうか?「終わった」という人達は、実は、人生にとってとても大切な何かが始まっていないのではないのか?
 イヤな環境から逃げ出すも逃げ出さないもそれぞれの勝手である。しかし、その場に踏みとどまり、その場で生きようとしている人達が居ているにも関わらず「福島は終わった」なんぞと。「福島は死んだ」なんぞと。どんな権利で言えるのか。

 プロジェクトfukushima!の共同代表である大友良英氏が「福島をチェルノブイリにしてはいけない、って英文で書いて気が付いたけど、それってチェルノブイリの人達に失礼だよね」と言ってはった。こんな感受性って好きだ。
 
 「福島は終わった」「福島は死んだ」なんぞと言う人は、(私にとっては)残念ながら、そういう感受性は持ち合わせていないのだろう。短気な私はかなり怒っているのであえてこういう言葉を使ってみたりするが、「そういう優しい感性は持ってないのだろ?テメーら!」
 だから、尚更

 
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!

 
 という言葉に触れるしかないのではないのか?
 『福島差別主義者』『人間性が欠落している』なんぞと呼ばれ、まあ、御本人たちは正義の味方なので気にしていないかも知れないが、まあ、そんな事もないはずだが、だから身内の仲良しこよしで『正義』を確かめあっているのだろうが。
 それだって同じである。誰にも代わって貰える人生ではないのだ。だから

 
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!


 なのだ。

 アカン。発泡酒2本目を飲み始めた段階でベロンベロン。やっぱり、まだ無理だったかな?
 それでも飲んでしまう、飲みたくなる感動があった。長生きだけが人生ではない。

 
   生きている『私』
   生きて行く『私』
   『私』を生きよ!
   私を生きろ!


 
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『僧侶』批判

2011年09月29日 | 坊主の家計簿
 月末。「て、てらの通信が。。。」と毎月の事なんだが。でも、イマイチ、テンションが上がらない。もっと言うと、他の事に対するやる気も起らん。布団の中でゲーム三昧で一週間ぐらい過ごしたい気分なんだが、そういうワケにも行かない。娑婆を生きているのだから、娑婆の事は娑婆でケリをつけれなければならない。まあ、適当にしか出来ないのだが。

 何やら『秋バテ』という言葉があるそうな。夏の疲れを引きずったまま急に冷え込んで来た事によって体調を崩す。え〜。。。そういえば、体調を崩している人も結構いるし。きっとこの事も「それは放射能被曝のせいだ!」なんぞと言いたがる人も居ているのだろう。「はあ?」なんだが、でもまあ、今年は大震災があって、放射能汚染の話が続いていて、緊張感なんぞそれ程持たないので、震災&原発事故のストレスが普段の生活に上乗せ状態なので、当然、体調を崩す人も多いだろう。んなもん、しゃーない。

 原発事故で『放射能だけ』を騒いでいる人に対してある人が、「こりゃ、年間3万人も自殺者が出るわ」なんぞと愚痴っておられた。精神面を無視してどないしまんねん。『放射能も』でなく『放射能だけ』ってなぁ。。。まあ、あれも原発事故でのショックからなのかも知らんが。出来れば日頃から人間の弱さ、精神面を無視しているとは思いたくない。『放射能だけ』って、原発事故の矮小化だと思うのだが。ったく。

 ここ数日、戒名について会話する機会があった。え〜。。。真宗には『戒名』はありません。ですから基本(地域差や寺の事情もあるかも知れんから『基本』)『戒名料』などは不要。なので『真宗以外』の話なので事情は知らない。知らないが、戒名料に不満だったら戒名をつけて貰わない、その宗派で葬儀をやる必要もないと思うのだが。戒名料に対する不満は、要するに「その宗派を信仰してません」なんだろうし。『宗派』というと広げ過ぎだったら、「その僧侶(寺院)」でもエエかも知れん。
 挙げ句に「戒名を自分でつける」。え〜。。。それは『戒名』でなく、『戒名みたいなもの』でしかないのではないのか?戒を授けて下さるから『戒名』なんだろうし、自分で勝手に名告るのであれば、それは戒名ではない。

 宗祖親鸞聖人の本名(?)は愚禿釈親鸞。まあ、『愚禿釈の鸞』『愚禿鸞』だったりもするのだろうが。坊さんの名前(?)を奪われて、自ら名告った。俗名は藤井善信。
 え〜。。。どうでもエエのだが、親鸞が歯医者とかに行って「藤井さーん!」と呼ばれた場合はどうしてたのだろうか?あ、すいまへん。全くどうでもエエ話です。「歯石取りたいよぉ。。。」と御近所歯医者を探していたので。

 私は釈学生。

 昨日、法要の為に衣装を着替えていたら、「あれ?これも破れてたんけ!」と。色衣のヒダヒダ部分の上が少し破れていた。目立たなかったので気づかなかった。替えがあるので、次に街に出た時の色衣と同じ色の糸を探して来ないと。
 数日前も袈裟&衣の修理。衣は黒だけだったし、袈裟は裏側なので同じ様な色の糸で良かったんだが、色衣の裾は目立つし。

 同じ真宗門徒の中でも私は『僧侶』であったりする。違いは法衣を着るか着ないかだけの話だったりして(笑)

 法衣を着る僧侶になる、あ、当然、真宗教団限定なんだが、これは勘違いする。勘違いし易い環境に居ているわけだし、ホンマ、勘違いする。
 つい最近の具体例ならば、とある初めて行った葬儀会館で葬儀をした時に、あ、通夜だったのだが、通夜が終わる。通夜が終わって衣装を畳まなければならない。私は通夜の時には黒い衣のヒダヒダがいっぱい付いたのを来ているのだが、これを畳むのに私は少々時間がかかる。「まあ、通夜も終わったし♪」と、帰ってやらないといけない事がいっぱいあったのだが、それ以前に疲れているし、ゆっくりと衣を畳んでいた。で、帰ろうとすると、控え室の外でずっと葬儀会館の職員さんが見送りの為に待ってて呉れた。「え?ごめんなさい、ごめんなさい。どんくさいから衣を畳むのに時間がかかってしまって、ごめんなさいね」だったのだが、俺、客違うし。感覚的には『葬儀スタッフの一員』なんだが。
 
 僧侶になった時、得度した時に嬉しかった。素朴に嬉しかった。釈学生という名前も貰った(自分で考えたのだが)し、ツルツル頭。

 先日、呑んでたらオカンより電話。店の外に出てかけ直したら、何やら先日亡くなった叔父さんの満中陰法要が終わったらしい。「知らせてくれよなぁ。。。」と思ったのだが、バタバタしてたし、「連絡してくれ」と頼むのを忘れていたし。
 葬儀&満中陰に来た住職さんは、私も御世話になっている先輩。何やら2時間ぐらい法事をしていたらしい。「あの先輩らしいなぁ〜」と思いつつ。つーか、だったら尚更法話を聞きたかったのだが。まあ、次回という事で。
 通夜では多くの親戚達と久々の再会。「マー坊君?」と呼ばれつつ、坊さんの格好。同じ真宗門徒の中の坊さんの格好。面白いもので自慢したがる私が居た。儀式を執行するわけでもない。でも坊さんルックで出かけて、衣を着ている=僧侶である事を自慢したがる私が居た。
 当然、『馬子にも衣装(差別用語だが)』的な意味もある。親戚に対する「ほらほら見て!」というのもあるが、それ以外にも自慢したがる私が居た。

 私は釈学生で、宗祖親鸞聖人は『釈』の前に『愚禿』が付く。

 『釈』だけの『僧侶』と、『愚禿釈』という『真宗門徒』

【「除霊」で中2娘死なす 傷害致死容疑、父と僧侶逮捕】
 http://www.asahi.com/national/update/0927/SEB201109270003.html

 この事件に『間違い』はない。父親も僧侶も、亡くなられた娘さんの病気を治したいという一心だったと思う。なので傷害致死ではなく、業務上過失致死でないのか?と思ったりもする。


 『僧侶』の問題。


【経典を読誦してもらう側にとってみれば、自分達が経典を読誦するよりは、専門家である方々が経典を読誦した方がより多くの利他を引きだしうるはずだというところにたっているかと思います。そのための布施と供養なのです。そうすると、利他を引き出すということに直接関わる者が専門家であるなら、専門家は回向利益という構造において民衆を支配することが非常に容易だという面がでてまいります。「お布施が安いとうかばれんぞ」、というのは完全に支配です。宗教に専門的に関わっているものがもつところの支配権です。
 そういう点でいえば「余道に事うる」とか「天を拝す」とか「鬼神を祀る」というような問題も、個人だけの目で見れば、そうとやかく問題にならないかと思うんですけど、鬼神を祀るにしろ、天を拝するにしろ、それぞれの専門家の存在があるということです。その専門家への布施によって、その行為は成り立っている。より多くの利他を引き出すために専門家がある。その専門家に布施供養することによって、そこから利益を引きだすという宗教構造だろうと思います。そうすると、専門外の人々は布施をすることで、先ほど言いました収奪の問題、専門家のあり方次第によってはどんな利益がでてくるかという、そういう支配される関係を結ばざるをえません。そして、その宗教が回向利益という構造にある場合は、収奪・支配の関係をまぬがれません。】(平野修『鬼神からの解放』上巻P81〜82より)

【法然は回向を必要とし、それによって利益を引きだしていくような宗教構造全体を切られたわけです。それが不回向です。我われの方からの回向というあり方を切られた。それは教理的にも大きな問題がありますし、同時に民衆のあり方、専門家のあり方まで変えるものだったのです。ですから、回向・不回向という対立する、この表現はすさまじいものであったと考えます。民衆のあり方や、専門家のあり方まで変えるのに十分な力をもっている。それが法然のはたされた思想的な一大事業であったかと思います。回向・不回向という違いをたてられたところに法然の事業があったといえます。
 そういうことを親鸞は「化身土」ということで問題にされています。そして、具体的にはあらゆる宗教は利他を表し、それが化身として実体化されることで回向の宗教は成立するとみられます。そして、化身である限り、回向ということが必要とされる。そこにそれを専門にする者と民衆という図式ができあがる。また、それが化身である限りにおいては、民衆と専門家の間には収奪の関係、同時に支配の関係が必然的についてまわる。
 このように化身(利他性)、利益の構造を基礎づける、民衆からの回向を必要としないといった場合において、なお回向ということがありうるなら、それは如来からの回向にほかならないと親鸞は捉えます。】(平野修『鬼神からの解放』上巻P83〜84より)

【正直にいって我々の教団は、仏教の力を借りることにより、人間が人間を教育できるもののように錯覚し、それで人を教化しようとしてきたのでありますし、しかもそれによって教団自身のエゴイズムを満たそうとし、あるいは教団の命脈を保とうとしてきたといわなければならぬものがあるのであります。そしてその結果が、今日の教団に見られるような、はなはだしい生命力の枯渇の事実であります。】(信国淳『呼応の教育』 信国淳選集第四巻P7より)

【こうして我々のブラザー・システムは、教える者と教えられる者という、教えにおける人間の二者対立的な関係を絶対にゆるすことのない、仏の人間教育そのものに相応しようとするシステムであります。】(信国淳『呼応の教育』 信国淳選集第四巻P17より)

【大谷派教団では、門首制と、「門徒はすべて帰敬式を受けて」という、この二つが新しい宗憲の柱なのです。「門徒はすべて帰敬式を受けよう」、ということは、本当に画期的な意味をもつわけです。(中略)
 私は直接確かめてはいないのですが、大谷派の参議会から声が挙がって、「百万人帰敬式運動」ということが始まっているというのです。百万人の門徒の人が帰敬式を受けられたら、日本は変わるでしょう。門徒の人たちの声が上がって、百万人帰敬式運動が始まるということであれば、すばらしいことです。そうすると、住職さんは段々と仕事がなくなるかもしれません。「逮夜参りはもう結構です、私たちでお内仏のお勤めをします」ということになるのではないでしょうか。本来そういうことだったのが門徒の行儀なのです。
 門徒の行儀として蓮如上人の時からずっと大事に伝統されたのが、在家勤行なのです。お内仏の前で、家族そろって毎日朝夕の勤行をしていたのです。生活にまでなっていくわけです。聞法が一つの生活を作り出すというのが、お内仏のお勤めということです。これは門徒の行儀なのです。しかし、それが江戸時代以来の檀家制度の中で崩れていったのです。
 それが、今度、「門徒はすべて帰敬式を受けて欲しい」として、百万人帰敬式運動ということが始まっていくというのは、これは本当に宗門が再生していくチャンスです。】(竹中智秀『浄土を本国としてこの世を生きる』P143〜145より)

【この(大谷派宗憲)9章の問題は、『僧侶』と『門徒』と規定されていますね。僕は『門徒』と云う言葉には、いわゆる広義な意味で(広い意味で)『僧侶』も含んだ内容に置いて全部が『門徒』である、という考えと、それから『在家門徒』だけが『門徒』である、という表現があると思うんです。それは二つあってもいいんですけども、今度の宗憲の中に「門徒とは」「僧侶とは」と云う事を明確に分けてしまっていいのかどうか?やはり今までの『法主』を『門首』と改めている以上、基本的には『門首』『門徒』そういうのを含めて門徒、という形が望ましいのではないのかと?しかるに宗憲の中に「僧侶は僧侶」「門徒は門徒」と、いう別な規定というか制約が書いてあります。そうすると広い意味での『門徒』と云う意味があったのに、いわゆる宗憲の中で定義付けてしまって、それが大変な権威に成ってしまって、将来『僧侶』『門徒』とはこういうものだ、という方向に行ってしまうのではないかと。それが本当に同朋教団としての真宗なのか。だからこういう言葉を使っていいのか知れないけども、宗祖の精神に帰るという事であるならば『門徒』というのは、『僧侶』も『在家門徒』も含めて『門徒』であるという言葉の方がいいのではないかと申しあげて来たのです。】(某学習会で講師の先生がある門徒さんの言葉を紹介した聞き書きより)


 曹洞宗の僧侶には曹洞宗の僧侶の厳しさがあるのだろう。だから「妻帯を認めているのはオカシイ!」という厳しい批判もあったりするのだろう。
 でも、私は真宗大谷派の『僧侶』である。『僧侶』から『愚禿釈』という『真宗門徒』に還らなければならない。


 娘はアンパンマンに出て来る『あかちゃんまん』に夢中である。今日はママに作ってもらった『あかちゃんまん』の首から下げる顔だけの人形で大喜び。YouTubeの『あかちゃんまん』にも夢中。
 パパはふと思う。「ひょっとして『あかちゃんまん』がヒーローなのか?」と。自分と同じ『あかちゃん』でありながら、力持ちで空も飛べる『あかちゃんまん』。多分、色んな事が出来なくてもどかしいであろう娘。爪もまだ自分では切れない。

 最近見つけた禅僧・澤木興道の言葉
【自分で自分を「みくびる」ことが無いようでは、信仰も懺悔もない。】(http://twitter.com/#!/asakatsuzen/status/118639624049541120

 そんな苦悩をしつつ、『みくびる事』を当然とせずに、しっかりと『煩悩』と判断する為に

【屁ひとつだって人と貸し借りできんやないか。みな「自己」を生きねばならぬ。お前とわしとどちらが器量がいいか悪いか、そんなこと比べてみんかてええんじゃ。】(澤木興道http://twitter.com/#!/asakatsuzen/status/118624510160277504

 という様な真実から流れる御教えの言葉に出会って貰いたい。
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ナマケモノ

2011年09月26日 | 坊主の家計簿
 ちょいバタバタ。今も内職中(?)です。

 昨日は学習会。しかしながら二日酔いで胃がパンク。酒は抜けているのだが、見事に食欲なく、吐き気も残る。疲れも溜っていて「辞め!」だったのだが、受取りに行かなければならない荷物があって、とりあえず出かける。
 アカン、アカン、っちゅうねん。しんどくてイヤになって、プチ・パニックだったのだが、まあ、用事が済んだのでとっとと帰る。

 昨日、土曜日の野球(阪神)はデイゲームだったらしく、珍しく野球中継がない。AMラジオでは「変な動物」みたいなコーナーもやってた。
 え〜。。。ナマケモノって、一日20時間も寝るのね。20時間って、起きてるのが4時間やんけ。どんな人生やねん、って、まあ、大きな御世話だ。ついでに調べると、一日8グラムの植物しか食べないみたいなのね。似た様なコアラが500グラムぐらい食べるらしく、ナマケモノって、おい(笑)最早『動物』というよりも『植物』と呼んだ方が良さそうな気もするのだが、これも大きな御世話だな。ナマケモノはナマケモノなんだし、「テメーのレッテルに縛られて生きる筋合いなんてねえんだよ」と、まあ、ナマケモノなので言わないと思うが(面倒だろうし)、まあ、大きな御世話である事には違いない。
 ナマケモノに憧れるグループ(http://www.sloth.gr.jp/aboutus/aboutus_top.html)もあったりするみたいだが、あれだってナマケモノにしてみれば「なんだかなぁ。。。」と言いつつ、頭をポリポリしているに違いない。あ、しないか。頭をかくと体力使うし、面倒だろうし。
 まあ、何にしても変な生き物だ。大きな御世話だろうが。

 何やら曹洞宗の坊さんが曹洞宗に対して「僧侶が妻帯しているのはオカシイやんけ!」みたいな感じで訴訟を起こしたらしい。が、却下されたらしいが。

【僧侶の結婚、口出し出来ぬ…永平寺訴訟で地裁】
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110923-OYT1T00196.htm

 特定の宗教法人内部の事に対して、その事柄が犯罪行為にあたらない限り国家が口出し出来るわけがない。やったら弾圧だし、とんでもない事。
 んな事は訴えた僧侶も散々解っているだろうが、きっと『僧侶の妻帯』という事を議論(問題提起)したかったのかも知れない。

 真宗教団が妻帯しているのは

【念仏のさまたげにきっとなりそうであるならば、どんなものでも、あらゆるものを嫌い捨てて、これをおやめなさい。いうなれば、聖の生活をしていて、念仏が申されないならば、妻をめとって申しなさい。妻をめとって申されないならば、聖の生活をして申しなさい。一つところに定住して申されないならば、遍歴して申しなさい。遍歴して申されないならば、家に住んで申しなさい。自分の力で衣食を調えて申されないならば、他人に助けられて申しなさい。他人に助けられて申されないならば、自分で衣食を調えて申しなさい。自分だけで申されないならば、仲間と一緒に申しなさい。一緒に行動して申されないならば、一人だけで籠って申しなさい。】(法然上人)

 が、端的か。「本願の念仏だからです」とテストなら書きたい所であるが、テストちゃうし。
 では、曹洞宗で妻帯が問題になるような厳しさが、真宗教団にないのか?

【いかにも私どもの生活は、完全に浄土を見失った生活と言わねばなりません。めいめいが自力各別のこころで自分の思いをかきたてることに精根を費やし、その自分の思いの通ることを求め、自分の思いが通らなければ敗残者、人生の落伍者であるかのような烙印を押すことに憂き身をやつしてきたのが、この半世紀にわたる私どものすがたであったのではないでしょうか。】(狐野秀存『願生150号』より)

 その厳しさは曹洞禅の厳しさとは別の厳しさである。
 曹洞宗で妻帯を問題提起した僧侶の方がどういう思いなのかは知らないが、やはり『世間』に対する問題があるのでは?と、勝手に想像する。妻帯は世間の常識(?)であっても、曹洞禅としてはどうなのだ?戒律としてどうなのだ?と。そういう問題提起ではなかったのでは?と。

 真宗には真宗の厳しさがあり、それが『真宗僧侶』になると、世間からは他宗の僧侶と同じ判断基準で見られる事が多い。私は『職業的メリット』という一番下衆な理由から丸坊主にしているが、まあ、『世間ウケ』である。いつか丸坊主を卒業したいのだが、え〜。。。無理か。住職を引退したらもういっぺん髪の毛をツンツンにしよ。残っているかどうか知らないが。
 下衆な理由で丸坊主にしている理由は、純粋に仕事である。寺だけでは無理だし。他からの依頼を引き受ける場合に丸坊主の方がウケが良い。他宗の僧侶とは全く正反対の動機で丸坊主にしている。プライドでメシは喰えん。
 だが、同じ丸坊主にしている理由が「僧侶だから当然」というのならば、それは真宗仏教としてはどうよ。また、『世間が期待する僧侶像』に合わして行くのもどうよ。戦争になったらどうするのだ?時代に応える、その時代の求められる僧侶像に迎合して行くのって、どうよ。

 先に引用した狐野先生の文章は(講義録だが)

【まことに我々は、我々自身の生活を顧みます時、それは完全に浄土を見失った生活であることを認めなければなりません。】(新編・信国淳選集『呼応の教育』三三頁)

 という文章から始まる。
 この『認める』という『強さ(信頼)』が大事ではないかと。
 
 世間虚仮、唯仏是真ならば、世間で生きている私は虚仮である。そら、生活しなければならない。娘を育てなければならない。その為には何だってする。多くの生活者と何ら、全く変わりない。

 ナマケモノは他人からの判断では『ナマケモノ』と名付けられた。大きな御世話である。
 ナマケモノにはナマケモノの生活がある。ただ、それだけの話である。



 【まどみちお『ぼくが ここに』】

  ぼくが ここに いるとき
  ほかの どんなものも
  ぼくに かさなって
  ここに いることは できない

  もしも ゾウが ここに いるならば
  そのゾウだけ

  マメが いるならば
  その一つぶの マメだけ
  しか ここに いることは できない

  ああ このちきゅうの うえでは
  こんなに だいじに
  まもられているのだ
  どんなものが どんなところに
  いるときにも

  その「いること」こそが
  なににも まして
  すばらしいこと として



 地味に娘の為の内職(?)も終了。
 あ、厳密には『娘の為』という私の為。娘の笑顔を見たいのは私だし。
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のり弁

2011年09月20日 | 坊主の家計簿
 涼しい。。。夜になって雨が降って、今は雨が上がっているのだが、いきなり涼しいぞ。
 という事で、少しクールになってみたりする。

 「ふっ、寝るぜ」

 って、どこがクールなんだろうか?自分で書いててもよく解らんぞ。

 昨日、仕事が終わってヘロヘロだったので、帰宅して晩御飯食べて歯磨きして速攻寝る。あ、厳密には嘘である。娘が寝てくれない事にはパパは寝れない。珍しく早く布団の上に上がり込んでいるパパを見て、夏風邪なのか咳き込みながら体調不良の娘が「ゴロンゴロン」と言いながらパパとママの間をゴロンゴロン。挙げ句に団扇を持ち出して来て「これを持て」と。何の意味があるのか知らないが。かなりヘロヘロだったパパは団扇を持つと気分が落着いてそのまま寝てしまう。

 早朝(個人的)に目が覚めて「どうしようかな?起きようかな?もう一度寝れるかな?」と迷いつつ、メールチェックをしてなかったのでパソコンを立ち上げる。ついでに遊んでたら行く予定だった銭湯の朝風呂に行っている時間がなくなってしまった。ヒマだった仕事が終わって午前中は銭湯三昧。

 娘の体調が悪化して娘の隣で昼寝しようと思っていたのだが、なんじゃかんじゃで昼寝出来ず。

 という事で、眠いです。

 あ、さっき『のんちゃんのり弁』というDVDを観ました。小西真奈美主演です。変わらず芝居が下手でしたが、ほんの少しだけイイ映画でした。ほんの少し程度です。『ほんの少し』という言葉がピッタリな映画だと思います。でも、その『ほんの少し』という事が、どれだけ大変で、かつ、どれだけ貴重な事なのか。そんな映画でした。
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君が僕を知ってる

2011年09月17日 | 坊主の家計簿
 仕事の連絡待ちの間に昨日借りた『SP革命篇(http://sp-movie.com/index.html))を観る。

 あ、「傲慢かましてよかですか」。つーか、これ、懐かしいなぁ〜。。。つーか、まだやっているのか?知らんのだが。
 ふっふっふっふ。。。ブルーレイを買うぜ。ブルーレイでっせ、ブルーレイ。DVDプレイヤーでもエエのだが、ここはブルーレイである。純粋に「パソコンでなく、リビングでDVDを観たいよぉ〜!」という事で。アンパンマンの映画だってツタヤには置いてある。つーか、ベネッセから『しまじろう』のDVDも送られて来ている。しかしながら、パソコンはパソコン机に置いてあり、ママのパソコンは画面の端が「もう、勘弁して下さい。。。」状態であり、パパが以前使っていたノートパソコンは画面が小さ過ぎる。
 贅沢は敵である。戦時中に叩き込まれたその概念は戦後の今も私の中に確かに生きているのであり、ああ、あのモンペを履いて学校でやったバケツリレー。隣が好きな女の子だったら胸がときめいたバケツリレー。。。しかし、私はブルーレイレコーダーを買おうとしている。戦時中なら「貴様はこの戦争をなんと心得ているのか!非国民め!!!」と、特高警察以前に隣組より糾弾された事間違いなしの行為である。しかしブルーレイ〜♪である。だって、ずっと欲しかったんだし〜♪
 狙っているのは、テレビと同じ東芝レクザのブルーレイ。38000円のポイント10%ぐらいだった。

 ♪母さんが夜なべをして手袋編んでくれた〜

 「コホ!コホ!コホ!すまないねぇ〜。私の身体がもう少し強ければお前にそんな苦労をさせなくて済んだのに。。。」

 ん?何の話やったっけ?

 『SP革命篇』。パソコンでしかDVDを観れないし、かつ、観れる時間も限られているので、久々のDVD。まあ、レンタル代が勿体なかった、という経済的理由もあったりするのだが。
 なので、久々の映画でもある。テレビドラマをほぼ観なかったりもする。なので、まるで産まれて初めて映画を観たような「映画って、スゲー!」「役者ってスゲー!」と。だって、完全な作り物にも関わらず、その世界に引きずり込まれて行くわけですし。岡田准一がSPに見えるわけですし。「うわ、この人、芝居が上手いわ」とかではなく、もう、素朴に騙されるわけでんな。その世界に引きずり込まれて。

 ドキュメント番組を『撮影する側』にはなった事はないが、『撮影される側』にはなった事がある。数本。10代後半の時に。その時に感じたのだが、「なんで?」である。『当然』といえば、当然なのかも知れないが、『ドキュメント』って、番組の監督、ん?ディレクターなのか、プロデューサーなのか知らないが、その主観で撮影しているのね。その主観が、私の主観と違えば、私は「なんで?」になる。テレビ番組としては『テレビ番組』として仕上げなければならない。
 ドキュメント映画には出た事がない。出る機会はあったのだが、え〜。。。「仕事、仕事」という事で出れなかった。世界的にも有名らしい小川紳介の映画。ちなみにこれ

 http://www.athenee.net/culturalcenter/database/title/title_k/ki/kyotooni.html
 
 出てたらもっと自慢出来てたのになぁ。。。
 そういえば、自分が出てたテレビドキュメントを録画したビデオも消えてもうたのぉ。。。純粋に『捨てた』のだが。引越が多かったし、「過去は過去。俺様は今からだぜ!」と、若かりし日々。ああ、『おしゃべり回想法』(http://www.facebook.com/event.php?eid=258616597504816
 オッチャンわなぁ、オッチャンわなぁ。。。(涙)まあ、エエわ(笑)

 何が言いたいかというと『主観を離れる事なんぞ出来まへん』である。特に『テレビ』『映画』。あ、ドキュメントのルポであっても。あくまでも主観でしかない。
 主観は主観であって、それは事実ではない。あくまでも『その人から観た事実』でしかない。
 んじゃ?「事実って何よ?」って、『主観でしか物事を観れない』という事が事実だったりするのでは?

 


 
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かけがえない存在

2011年09月16日 | 坊主の家計簿
 昼間にツタヤへ行く。『レンタル4本1000円(新作2本までOK)』という事だったので。
 久々のツタヤはナカナカ楽しい。「お!こんな映画もあるねんや」とか、多くのテーマに想いを馳せつつ店内ウロウロ。え〜。。。カード忘れてやんの(笑)一度帰宅してからレンタル。
 
 ツタヤでウロウロし過ぎたので「DVDを観る前に事務作業しないと」という事で、事務作業。永代経法要の案内作り。
 案内は簡単に出来るのだが、テーマで迷った。一応、案内には何かの言葉を書くのだが、読むだけで脳味噌が痛くなる難しい言葉はイヤだし。
 で、結構迷って、今年のテーマは


  愛されている人間は
  役に立たなくても
  かけがえない
 ( V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』より)


 という事で。
 この言葉と、先祖供養について来月の寺の通信に書けば通信作りも楽である。

 案内作りが終わって少し仮眠しようと思ったのだが、失敗。昨日もなんだがリビングで晩御飯を食べて爆睡。起きてDVDを観ようかと思ったのだが、見終わった後から飲み始めると二日酔い決定なので、ネットで遊ぶ。書きたい事もあったし。

 昨日に引き続き『奇形児』。

 池田香代子という人が居る。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/池田香代子

 ツイッターでどういう経由で知ったのか憶えていないが、ん?ソウルフラワーからだったかな?『歌う運動家』の渾名を持つ中川率いるソウルフラワー。まあ、イイや。

 池田香代子は、まあ、運動家。なのでツイッターを読んでても一貫として反原発の立場からしっかりとした意見を流していて下さった。
 『運動家』なので、反原発もやるが、反原発だけではない。なので、最近は放射能汚染で「奇形児が産まれるぞ!」と、『奇形児』に対する差別にも明確に反対して居られる。
 どうでもエエのだが、反原発のジャンヌ・ダルクは池田香代子ではないのか?まあ、『世界○○のジャンヌ・ダルク認定委員会』の年齢制限に引っかかる気もするし、それ以前に『○○のジャンヌ・ダルク』というのは、『オンナコドモ』に対する差別意識なんだが。
 まあ、『オンナコドモ』抜きにして、今現在の日本で一番しっかりとした反原発に関する意見をツイッター上で流している人だと思う。
 当然、『反原発だけ』ではない。この辺は池田香代子と意見が違うのかも知れないが、『女性差別だけ』を問題にする事が、その土地に居ている人達に対する差別になっている場合もある。あ、源淳子は洞川温泉の人達に「台風での被害、大丈夫でしたか?」という電話の一本でも入れたのかな?まあ、別に入れてなくてもイイのだが、心配する気持ちぐらいあってもエエと思うぞ。仮に『敵』であっても。
 一応、大した被害はなかったらしい。(http://www.dorogawaonsen.jp/?itemid=83

 あ、で、

【「推進派はやらせメールとかさんざんズルしてるけど、だからって反原発派もズルしていいってことにはならないというのが、僕の『チェルノブイリ・ハート』への感想なんだけどね」(鎌田實さんきのう電話で)】
 (http://twitter.com/#!/ikeda_kayoko/status/110557675758174209

 という池田香代子の呟き(ツイッター)。

 まあ、鎌田實(http://ja.wikipedia.org/wiki/鎌田實)も池田香代子も、一部の反原発の人からは『御用学者』に似たレッテルを貼られているのかも知れないが(笑)ひょっとすると『原発マフィアの一員』で『原発推進派』のレッテルを貼られているのかも知れない(笑)

 『奇形児』は成長すると『障害者』と呼ばれたりもする。まあ、『障害者』『障碍者』というのは、もっと大きな枠組みなのかも知らんが。
 『障害者』の親の気持ち、本人の気持ち、当然、多々、様々な、一人一人の意見は違うが、まあ、諸々の付き合いもあったりする。
 で、こういう差別の問題は生身で生きている人が居ているので、非常にデリケートな問題だったりする。何の差別に対してもそうなのだが。

 ちなみに『天皇』だって差別されている。『差別』は上下の問題であって、松本治一郎が『貴族あれば賤民あり』なんぞと。『健常者』が居ているから『障害者』が居ているわけでんな。なので、昨日引用した

【死産にならずに奇形児で産まれるというのは奇跡的な出来事なのです。】
http://d.hatena.ne.jp/AMOKN/20110422

 という言葉は、まあ、差別発言なのだ。ただ、『気持ち』の問題、例えば、「女だから素晴らしい」「障害者だから素晴らしい」というのは、癒しにはなる。癒しからの力にはなる。だから、実際に『奇形児』を産んだ親に対しての『仮(方便)』としての言葉ならば『死産にならずに奇形児で産まれるというのは奇跡的な出来事なのです。』という言葉は輝きを持つ言葉だが、同時に危ない。基本は差別意識だし、選民思想である。『誰もが等しく平等である』というのが基本でないと危ない。ただ、現状は平等でない社会(娑婆)なので、平等(浄土)に向けて社会(娑婆)を歩んで行くだけの話である。平等の世界(浄土)には『障害者だから劣っている』だとか『女だから劣っている』という概念はない。
 誰もが平等であるならば、当然、『天皇』と呼ばれる人が特別な存在であるわけもない。

 え〜。。。リビング爆睡後なので、非常にダラダラと書いています。ようやく本題(笑)

 今日、面白いホームページを発見した。その中で「おお!」という情報。

【先天異常(奇形とか代謝等の機能異常)を持って生まれてくる新生児は100人中4人とされています。2年前は500人に1人とされていた日本の統計ですが、3年経っただけで増加しました。女性出産率が低下している中、増加って、、? 何故ならば、前のページにURLを貼り付けた約9000の症例中、日本で判断していなかった事例について、改めて追加されたからです。】(http://www.geocities.jp/musume2go/2006kakuritu.html

 書かれた御本人はどうやら専門の医師ではなさそうだが、御自身が『奇形児』と呼ばれていたらしい。

 http://musume2go.at.webry.info/200509/article_1.html
 http://www.geocities.jp/musume2go/kikeiji.html

 この数字のトリックって、凄いなぁ〜、と。データーの元になる事を無始すれば、日本は2年間で爆発的に増えた事になる。データー上では。そのデーターだけを使って色んな妄想も出来る。まあ、実際は判断基準が厳しくなっただけらしいのだが。

 『健康』に対する意識が強くなれば病気は増える。メタボって何?(笑)
 『健全』に対する意識が強気なれば『不良』は増える。『引き蘢り』を追い込む。

 放射能汚染と『奇形児』の関係は証明されていない。ただ、不安にならざるを得ない状況下での『奇形児』の%は増えているのかも知れない。戦争や原発事故等も含めて。不安にならざるを得ない状況下なんだろうし、生活も乱れざるを得ない→母体環境が悪い。
 一部の反原発の人達の中で「放射能汚染で奇形児が増える!」と、『奇形児』を問題にするのならば、不確かな情報でもって妊婦を不安に追い込む事は『奇形児』が増える事にならないか?それとも、『奇形児』は『放射能汚染だけ』で産まれると思っているのか?一体、何が心配なのだ?『奇形児』が産まれてくる事が心配なのか?そうとは思えないのだが。
 単に、自分が放射能汚染が不安で不安でたまらなくて、それを『奇形児』に結びつけているだけの話ではないのか?結びつけて『奇形児』に対する差別を助長しているだけの話ではないのか?
 あるいは、運動の中で『奇形児』を利用しているだけの話ではないのか?

 『役に立つ』『役に立たない』とは、『世の中』の話。
 そうではなく

  愛されている人間は
  役に立たなくても
  かけがえない
 ( V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』より)

 という観点は大事なのではないのか?
 『御先祖』も含めた、様々な『御縁』。
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思い込み

2011年09月15日 | 坊主の家計簿
 『やりすぎコージー』が打ち切りになった。テレビ欄を見てたら『終』とあったので、「ホンマけ?」と思いつつ録画していたのをさっき見たのだが、え〜。。。なんとなく本当に終りっぽい。
 「やはり、禁断のフリーメーソンをやり過ぎた事が当局の目に止まって打ち切りになったか。。。特に原発事故以降『石油→ロックフェラー』『ウラン→ロスチャイルド』の話が一般的になり、それこそミナミのロックバーでも普通の会話内容になって来たわけだし。。。そこまでの影響を与えたのは、やはり『やりすぎコージーの都市伝説』の影響は大きいわけなんだし。。。
 などと勝手に妄想。ちなみに『石油→ロックフェラー。ウラン→ロスチャイルド』というメジャーな陰謀論を話してた相手も陰謀論好きの人なので、まあ、一般会話ではないか(笑) やりすぎ都市伝説でも、せっかくやしそこまでやればエエのに。「日本海のあるメタンハイドレートの調査が遅れているのはロックフェラーの陰謀だ!」とか(笑)

 今日、『やりすぎコージー』の打ち切りを知った時に、「紳助の穴埋めの影響か?」と思った。いや、紳助の穴埋めの有力候補の名前の中に、今田東野の名前もネットの噂になっていたし。まあ、実際の所は解らない。

 放射能汚染での『奇形児』、え〜。。。非常にイヤな言葉なんだが、『奇形児』とよく使われる言葉で書かせて頂きます。
 放射能と『奇形児』の関係というのも、まあ、色々な説があるのだろうが、ほぼ、気にしなくても良い話らしい。『しきい値』というややこしい問題もあるのだろうが、まあ、『一応』、今回の原発事故による放射線の影響で『奇形児』が産まれる可能性は『ない』らしい。諸々、調べたのだが、この病院のがエエかな?

 http://www.w-clinic-sapporo.or.jp/contents/s_m_6-42.htm

 当然、『奇形児』は放射線の影響だけでなくとも産まれて来ている。なので、非常に簡単なトリックで「放射能汚染された土地で奇形児が産まれる」というのは当然の話であって、写真なんぞを見せられて「ほら!こんなに大変な状況になるのよ」なんぞとやられたら、まあ、ひっかかる人も居ているのだろう。

 関連して調べていて、「あ!」と思ったのが、日本のお騒がせ学者の武田先生。ちなみに武田先生って、工学博士なので、被曝や放射能に関しての専門家(学者)ではなく、また、下記で紹介するような医学の専門家(学者)でもない。なんか、その辺を勘違いしているから、先日も「東北の野菜を食べたらダメ」との発言で大揉めになったのだが、まあ、某女性歌手が『羊水が腐る』発言で大揉めになったのと同じ。それぞれに専門ジャンルがあるのだし、専門的な事は専門家に聞きましょう。まあ、素人を専門家扱いしてテレビ番組で答えさす、という企画には問題があったのだろうが。
 あ、武田教授、ベトさんドクさんは枯れ葉剤の中のダイオキシンの影響ではなかった説。

 http://takedanet.com/2010/09/post_123b.html

 これは「あ!」だ。武田教授の意見には一理ある。で、私は子どもの頃から「ベトさんドクさんは米軍の枯れ葉剤の影響で、いわゆる『奇形児』になった」と信じ込んでいたし。同じく、チェルノブイリ原発事故で多くの『奇形児』が産まれた、と信じ込んでいたし。

 これも、よく解らない(調べきれない)情報だが、こういうのもある。

 http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51843204.html

 上記リンク内で書かれているように

【NHKが先天性の病気の子どもの数が増加しているとして紹介したこの赤い線は、実は汚染が非常に軽微な地域で、青い線の方が、隣合わせの汚染が重かった地域なのです。つまりこのグラフは、子どもの先天性の病気は、放射能以外と関連があることを示すひとつの証拠だったのです。】

 であるのかも知れない。

 ただ、医学なんぞといっても『想定内』みたいなものだし、先に書いた『しきい値』の問題もあったりして、非常にややこしかったりするのだろうが、どちらかというと『放射能汚染』という恐怖が『奇形児』に対する恐怖に結びついたのではないかと。
 ただ、それだけの話で済ませるわけにはいかず、実際にベラルーシで『奇形児』が増えている→流産が増えるているのならば、「その原因はなんやねん」という事が問題になって来るわけであって、原因不明の事を「放射能のせい」と決めつける事は危険である。放射能も含めた様々な可能性を疑わなければならないのだろうし。流産はイヤやろ。体験した事ないから解らんけど。

 放射能汚染された土地で流産が増えるのはイヤやろ。確立的には『奇形児』よりも『流産の増加』らしいぞ。流産よりも『奇形児』に対する恐怖の方が強いから『奇形児』ばかりがクローズアップされるが。
 放射能汚染で『奇形児』が増える事は、まあ、今の『医学』というのの多くの意見であるらしいが、まあ、実際は解らん。ただ、「放射能汚染で奇形児が増える」と騒ぎ立てる人は、まあ、信頼ならん。「放射能汚染で流産が増える」なら、まだ構わんが。

 『健康な人間の状態』なんぞは『思い込み』にしか過ぎない。なので『奇形児』という言葉もキライだし、放射能の恐怖から脱原発&反原発に結びつける為の道具として『奇形児』を使うのは論外である。「ほら、こんな風になるのよ!」って、黙ってろ。それなら、何故流産の方をクローズアップしないのか?『奇形児』は産まれ難いらしい。なので、保存して置かなかった&調べた方法も忘れたが、「奇形児が生れ出て来る事は奇跡なんだ」みたいな言葉があった。え〜。。。引っくり返すと当然差別なんだが。
 あった、これか

 【死産にならずに奇形児で産まれるというのは奇跡的な出来事なのです。】
 (http://d.hatena.ne.jp/AMOKN/20110422

 反面、当然、差別(天皇に対する差別みたいなもん)なんだが、気になる言葉。

 今回の原発事故でも当然、『奇形児』が一部では問題になっているが、そんな障害者差別を助長するのではなく、放射能汚染と『奇形児』の関係を信じるのであれば、その前に流産で悲しまれるより多くの『親』に寄り添う気持ちの方が大切ではないのか?
 まあ、『奇形児』の方がショッキングなので、取り上げたくなるのだろうが、その背後に多くの流産で悲しまれている親が居ている。まあ、親だけではないのだろうが。

 原発事故の影響はどうなるのか解らない。
 先に紹介したブログ記事では

【この時期は、ソビエト連邦の崩壊で非常に社会が不安定な時期でした。市民の間でウォッカなどの飲酒量が増えたといわれています。また、さまざまな医学研究が行われていたので、従来は報告されなかったことまで報告され、見かけ上の頻度が上がった可能性もあります。】
 (http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51843204.htmlより)

 とあるが、当然、『チェルノブイリ原発事故』という非常に大きな不安な事があった。
 今現在でも東日本大震災被災者の方々のアルコール依存の問題もある。
 不安な気持ち、それは、今後の生活だけでなく、当然放射能汚染の心配もある。なので、それらの影響から流産が増える事もあるだろう。

 放射線と流産の関係も不明だのだろうが、原発事故って、単に放射能の事柄だけなのか?もっと様々な複合的な問題ではないのか?『放射線の影響だけ』を思い込んで、心配するのって、どうよ。まあ、それも含めた原発事故での『放射能汚染』なんだが。
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精神被曝

2011年09月09日 | 坊主の家計簿
 「今年って、どう?」と思わず聞きたくなる、つーか、御参り先での話題だったりするのだが。
 『災害の当たり年』なんというのは「イヤに決まっている」なんだが、お祓いしてもしゃーないし。つーか、そういう神通力は真宗坊主にはないし。ある宗派とか宗教とかはやってはるのかな?だいたい、東日本大震災だけでも無茶苦茶で、その上に原発事故が起って、で、台風被害。台風シーズンって始まったばかりなんだが。。。

 今日は御参りが終わった後に事務作業。夕方から『法話の会』があって、聞きに行こうと思っていたのだが、え〜。。。爆睡してやんの。起きたら19時やったもんなぁ。。。行ったら、終わっとる時間。。。以前働いて居た寺の住職さんが法話するし、「なんでそんなに喋れるの?」としっかりした法話をしはる方なので、最近、法話がスランプ気味なので刺激&勉強しに行こうと思っていたのだが、え〜。。。え〜。。。え〜。。。


 吉田所長「大きな失敗」…復水器停止知らず
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110908-OYT1T00268.htm?from=tw


 『失敗はやり直す事が出来ないけど、見直す事は出来る』やったけな?そんな言葉を聞いた記憶がある。
 故に、「出来るだけ失敗しないようにしよう」という事になるのだろうが、それでも失敗する。単純に生身の人間だし。
 とはいえ、私はこの原発の運転員や所長を責めようとは思わない。いや、失敗するやろ。この記事

 http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E3E4E2E6918DE3E4E2E7E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

 を見ると、福島原発に津波が到達したのは午後3時30分頃。
 大地震が来て、大津波が来て、え〜。。。パニックになって当然だと思うのだが。かつ、御近所に住んでたら家族の事だって心配だろう。原発というある意味隔離された空間で、どんな不安な気持ちだったのだろうか?それが人間ではないのか?
 
 原発が稼働出来る条件は、絶対に天変地異が起きない場所で、絶対に壊れないロボットが運営するしかない。で、そんな事は絶対に不可能。
 人間でっせ、人間。なんか、勘違いしてないか?

 原発の人災は『原発事故以後』も続く。放射線量や内部被曝なんぞの難しい事は私には解らない。色んな説もあるし。
 という事で、本日の原発の人災。


【この1ヶ月、音がダメだったんです、声も。ひさしぶりに音楽聴いてます。ソウル・フラワー・ユニオンをずっと……いま、「そら(この空はあの空につながっている)」です。】(柳美里柳美里

 違う。。。つーか、柳美里がソウルフラワーのファンだったとは。。。関西人でもないのに珍しい。。。って、あ、スンマセン。ソウルフラワー(ニューエスト&メスカリン)も全国メジャーデビューもしてはったし、別に珍しくもないか。同世代だし。


【心配を装った無神経なリプ、無視しようと思っていたが、数が増えてきたから、言う。何故、病状を見てもない癖に、福島に行って放射能を浴びたせい、福島のものを食べたせいで病気になった、と決めつける? 私は、そんなこと一言もいってない。福島在住のひとに失礼じゃないか!いい加減にしろよ!】(柳美里


【「差別」に繋がる非常に厭な風潮ですね。インフルエンザなどが流行する季節が到来しますが、「彼ら」はぜんぶ放射能のせいにしかねない。】(柳美里


【食事会は、鎌倉七里ヶ浜のロンディーノだよ。あんたがたの決め付けって、筋金入りだね。何がなんでも、福島に行き、福島のものを食べたから、体調を崩したってことにしたいんだね。】(柳美里


 この流れの背後には


 【福島産農産物を食べていた柳美里(芥川賞作家)氏が「原爆ぶらぶら病」に似た病状】
 http://ameblo.jp/dukeearl/entry-11009519863.html

 
 という記事があり、これに関連する呟きがツイッターで流れまくっていた。
 そら、柳美里、イヤになるやろ、怒るやろ。元々、あまりタフではなく、神経が細そうな印象の人やし。

 被曝を利権で煽っている人は別にして、あ、実際に居てるぞ、ブログでは紹介しないが、利権で煽っている人は別にして、多くの人は『不安』なのだ。純粋に不安で怖くて怖くて仕方がなくて、だから柳美里に対しても「福島の食べ物を食べたら崩すのだ」になってしまうのだ。それも含めた『原発の人災』。
 人災は人災を呼ぶ。恐怖は恐怖を増幅させる。その中に利権で煽っている人も参加したりするから、よりややこしくなる。そういう人災を起こしたのは原発事故である事は間違いない。
 多分、誰だって、死にたくないし。

 まあ、必ず死ぬのだが。。。放射能汚染以外でも必ず死ぬのだが。。。
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