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『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌

遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街)をブラブラあてどなく歩いた記録です。観光案内には全くなっておりませんのであしからず。

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神奈川県 横須賀市安浦の町並み

住宅街の青いタイル・往時を物語る街灯・消え失せた裏風俗

よかった、まだあったんだ・・・鮮やかな群青色にびっくり、そしてウットリ・・・


 地震の被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。暫く不自由な生活が続くかと思いますが、どうか心を強くもって頑張ってください。こんなブログで言っていてもしようがないのですがね・・・・・。
 ウーン、どうもおかしい。今回の新潟県中越沖地震といい、3月に発生した能登半島地震といい、そういえばちょっと前には北九州や東北でも大きな地震がありました。変だと思いませんか。いちばん危険だと言われている東海や関東近辺での大きな地震が未だに発生していないのです。知り合いの構造設計者などは、こういった地震があるたび、次は東京だと脅かすのですが、それもあながち冗談ではないのが現在の状態なのですよ。そのうち、ドーンとでかいのが来なければいいのですが、皆さんも日頃からの備えに気を配っていたほうがいいですよ。そんな偉そうなことを言っている私といえば、これといって何もしていないのが現実なのですが・・・・・今日から風呂の残り湯でも溜めておくようにしようかな・・・・・。

 前回、水戸の町並みを紹介した際に、三連休を利用して横須賀の女性街を訪ねる予定だったが台風4号の来襲で諦めたと書いたのですが、それは撤回いたします。台風一過の連休最終日に行ってきちゃいました。
 『皆ヶ作』(かいがさく)と『安浦』を訪ねてきたのですが、皆ヶ作はどうもタイミングが悪かったのか、目的の建物がすでに無くなっていたり、あったとしても家主が玄関前で植木の手入れをしていてとてもカメラを構えられる雰囲気ではなかったりと、納得するものが撮影できませんでした。ここに関しては、また日を改めて訪ねたいと思います。
 そういうわけで、今回は安浦の町並みを紹介します。『赤線跡を歩く』によりますと、安浦は大正時代に漁港だった安浦港の南側を埋め立て、地元の漁師や船乗りが気軽に遊べる女性街としてつくられました。開業当時はすでに88軒の妓楼があったそうです。今やその海岸線も埋め立てがさらにすすみ、遥か彼方に遠ざかってしまいました。
 戦後になると、進駐軍向けのお店がさらに増え、最盛期にはなんと150軒の妓楼に400人もの女性がいたそうです。実は横須賀にはもう一ヶ所、柏木田という遊廓がありまして、ここの客の大半は海軍の軍人さんだったそうなのですが、そこが火事で焼けてしまったので、ここ安浦が横須賀を代表する一大女性街となったのでした。
 そして昭和33年に売春防止法が施行されるのですが、安浦の賑わいはなぜか変わらず、昭和40年代になっても旅館という名目上の看板を掲げながら営業するお店が約40軒もありました。『赤線跡を歩く』の著者である木村聡氏がもう一つの著書である『消えた赤線放浪記』の中で、ここ安浦を訪ね、しっかりと女性と事を致す様子をレポートしています。1994年当時でショート15分¥5,000、30分¥10,000とのことでした。その後もその商いは完全な裏風俗、いわゆるちょんの間として細々と続き、調べた限りでは2000年ぐらいまでは続いていたようです。
 一方では、まだ生き残っているという噂もあり、ちょっと用心しながら最寄り駅の京急の県立大学駅から歩き出しました。この県立大学駅ですが、以前は京急安浦という駅でした。駅名が変えられた理由は、安浦というマイナスのイメージからの脱却という意図があったみたいです。ある人などは、この安浦の場所を地元の老人に尋ねたところ、露骨に嫌な顔をされたそうで、やはり昔からの地元の人々にとっては、まともな人間が行くところではないということになっているようです。
 ですが、都心から1時間ほどで行ける近場に、これだけ往時の面影が残った建物が残っている場所はないと思います。23区内ですと、ある意味現役の吉原は別格としても、有名な鳩の街・玉の井・州崎などは壊滅状態のようですから、とても貴重な存在なのですよ。ここ、安浦は・・・・・。

 結果を先に言っちゃいますと、現在は静かな住宅街に変貌していました。元妓楼と思われる建物は残っていましたが、その手のお店はすでに全滅してしまったようです。もしかしたら、夜になるとまた表情が変わるのかもしれませんが、そういった場所にありがちな一種独特な澱んだ空気みたいなものは全く感じられませんでした。
 そんなわけで、住んでいる方に迷惑をかけない範囲で彷徨うにはもってこいの場所ですよ。あ、そうそう、私は見に行きませんでしたが、実はこの安浦の目と鼻の先に、前内閣総理大臣である純ちゃんの生家があるそうです。もしかして、純ちゃんの筆オロシはここ安浦で・・・・・。




駅前の通りを進みますと国道16号に出ます。目的の場所はこの通りの向こう側にあるのですが、交差点の手前の空き地にこの小さなお店がポツンと残っていました。天よし、天麩羅屋さんだと思うのですが、どうやらこのお店現役みたいです。比較的新しい貼り紙に月・火・金休みとありました。しかし、どうやって営業しているのでしょうか、間口一間、奥行き二間ほどしかないのですよ、この建物。



渡った国道16号を振り返ります。背後が安浦の赤線跡になるのですが、なぜか質屋が数軒軒を並べていました。これも女性街の特徴でしょうか、質草を預けてまでも通いたくなるほどに魅力的な場所だったのかもしれませんね。あるいは借金に苦しむ、遊女目当てだったのかな。



安浦は国道と平行に走る3本の通りと、それを繋ぐ1メートルに満たない路地によって構成されています。初っ端からこれに出会ってびっくり・・・なんとも形容のし難いデザインですね。それでいて、どうしてこんなにカッコイイのでしょうか。



オレンジ色の看板には『AMERICANS WELCOME』と書かれています。横須賀基地の米兵たちが通っていたのでしょうかね。



閉店してしまった床屋さん。大理石を模した緑のタイルと、木製の横軸回転窓の組み合わせがいい感じ。入り口に斜めに取り付けられたドアハンドルは、カフェー建築にはつきものです。



見えますか?入り口脇のすりガラスに『良美軒』という文字がエッチングで描かれています。もしかしたら、元々は妓楼だったのかもしれません。



まだまだ現役の日の出湯。銭湯があるのも遊廓の特徴であります。窓格子の向こうのカエル君が、お外に出たがっていました。



その類の建物が残っているのは、もう一本向こう側の通りなのだそうです。(文章訂正しました。詳しくはコメント欄を参照してください。初音さん、大変失礼致しました)



こんな感じで、舗装もされていない細い路地が通りと通りとを繋いでいます。手前の建物も元妓楼です。出の小さな瓦の乗った庇が特徴的です。現在は一般の方の住まいになっています。元妓楼に住まうというのはどんな感じなのでしょう。また、住まわれている方は建物が元妓楼と知ったうえで住んでいるのでしょうか。一度、お話をお聞きしてみたいです。



ここ安浦には、元妓楼の建物以外にも当時を物語るものが残っています。それがこの鋳鉄製の街灯の柱です。街灯本体は近年のものですが、これがそこら中に残っているのです。当時はどんなデザインの明かりが、道ゆく男たちを照らしていたのでしょうか。



初音さん脇の路地です。モザイクタイルが目に鮮やかです。(文章訂正しました。)



前方に見えるのも元妓楼だと思われます。当時はかなりの大店だったのではないでしょうか。



その建物の脇にも鋳鉄製の街灯が立っていました。居酒屋に転業したようですが、すでに営業していないようでした。もしかしたら、表向きは居酒屋で、実際のところは二階で客をとっていたのかもしれません。



この建物もその類だったのでしょう。貼り分けられた赤と山吹色のタイル部分に、当時はネオン看板が取り付いていたのでしょう。取付金物が残っているのが見えますか?よく見ると、向かって左側の外壁面にも残っていますね。



上記の建物の先の路地を入ると、捜し求めていた建物が忽然と現われました・・・・・。



どうです、すごいでしょう。床は白と水色の市松模様・・・腰には面を変えた横線強調の二色のボーダータイル・・・そして南の島の海の底のような目にも鮮やかな群青色のモザイクタイル・・・さらには奥のドアの上には様々な色が混ぜられた非常に細かいタイルが貼られています。ガラスブロックが嵌り、曲線を描いてはり出した部分の内部はどうなっているのでしょうか。当時はここが待合みたいなスペースになっていた・・・あるいは、ここに女性が座りガラスブロック越しに顔見世、ようするに女性を選ぶことができた・・・などと、次々と想像がふくらんでいきます。それにしても、いったい誰がこのデザインを考えたのでしょうかね。素敵すぎますよ、ホント。



写真を撮っている私の背後を、近所の子供たちが歓声をあげながら走り抜けていきました。今は知らないでしょうが、いずれ自分が育った町が以前はそういった場所だったと知ることになるでしょう。そのとき彼らはどう思うのでしょうか。



ここにも街灯が残っていました。背後の廃れた雰囲気の建物も元妓楼でしょうね。



左側の白いビルが建っている場所には、1980年代まで立派な純和風の妓楼が3軒並んでいたそうです。その様子は『赤線跡を歩く』に載っていますよ。この度々登場する『赤線跡を歩く』ですが、現在はちくま文庫から文庫版が出版されています。人気があるからなのか、どこの書店でもなぜか書棚に入っていないで、平積みにされていることが多いのが不思議です。興味がある方は一度手に取ってみてください。



ここはそういった類ではなく、普通の飲み屋さんだったと思うのですが、あまりも素晴しい廃れっぷりだったので一枚。以上、想像以上に素晴しかった安浦の町並みでした。

それから、被呑願望人さんへ:『ある浮気』の修正版は明日(というか今日か)UPする予定ですので、今しばらくお待ち下さいね。
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コメント

  • Unknown
  • (Unknown)
  • 2007-12-26 21:21:05
  • 海側ではなく反対側の山の方ですが、そこに家を買うことになりました。
    赤線の存在自体は購入前に知っていたのですが。。相当でかかった様ですね。

  • 訂正お願致します。
  • (初音)
  • 2008-11-26 03:20:22
  • 寿司屋の初音です。
    私どもの店は50年程前から寿司屋を営業いたしております。
    私どもが営業しております通り(あずま通り)には昔から遊廓がございません。
    昔は何軒も飲食店がありましたが、現在は私どもの店のみになります。
    ここの周辺を知らない方は勘違いする方がいらっしゃいますが、遊廓がありますのは一本裏の通りです。そのため赤線の近くではありますが、当店は遊廓とは全く関係ございません。
    ここで、お会いしたのも何かのご縁ですので一度食べにいらっしゃってください。
    ご理解できると思います。
    それでは、訂正よろしくお願い致します。



  • 大変失礼致しました
  • 隼人
  • 2008-11-26 21:10:57
  • 本日、文章訂正致しました。ご確認ください。

    こういったものは事前の調査でもなかなか確定できることは少ないのですが、とはいえ、自分の無知がお恥ずかしいかぎりです。ご指摘ありがとうございました。

    お気を悪くしていないでしょうか?とにかく、大変失礼致しました。

    できましたら食べに行きたいと思ったりしますが、なんといってもこんなブログですので・・・・・。身分を隠して訪ねるかもしれません。その際は宜しくお願い致します。


  • 訂正ありがとうございます。
  • (初音)
  • 2008-12-01 09:25:20
  • 万が一いらっしゃるようなことがあった時に、失礼のないようにしたいのですが、私どものお店は、一見様のお客様だとお断りしております。その為、初めてのお客様は噂で聞き来ましたなどとおっしゃられてから、私どものお店にいらっしゃいます。その旨、一言頂けると失礼のないように対応できるかと思います。
    気さくでアットホームな居酒屋です。

    文章訂正の件、素早く丁寧に対応していただきうれしく思います。ありがとうございました。
    また、ブログで取り上げていただきありがとうございます。
    是非お会いできることを楽しみにしております。

  • 人の世のご縁
  • (笛地静恵)
  • 2008-12-04 09:34:09
  • 隼人様へ。
    難しい問題ですが、迅速な対応に隼人様の誠実さが感じられました。

    『初音』のご主人の言葉のように、これも「ご縁」です。

    一度、訪問して見られることをお薦めします。50年間の地元の変遷について貴重なお話を聞けることでしょう。

    ブログのメルアドに久しぶりに拙作を投稿させて頂きました。
    よろしくお願い申上げます。

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