『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌

遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街)をブラブラあてどなく歩いた記録です。観光案内には全くなっておりませんのであしからず。

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茨城県 常陸太田市201212(再訪編)その1

2013-01-14 16:04:15 | 関 東
謎建築の正体判明・丘の上の映画館?体育館?・私の勘違いだったのでしょうか

どうやらこの手摺と奥の球形照明が強く印象に残っていたようです。


 久しぶりに丘の上の町、常陸太田を彷徨ってきました。なんと六年ぶり・・・つい先日のことのように感じられるのはオッサンになった証かもしれませんね。前回のレポにもありますが、常陸太田は古くからの豪族である佐竹氏が治めた地、周辺からの物資の集積地としても栄えてきた町。此処の特徴は何といっても南北に延びる細長い丘の上に嘗ての中心街があること、その独特な形状から『鯨ヶ丘』と呼ばれています。名付け親は日本武尊なんだそうで、その由来は四世紀頃まで遡るそうです。高低差のある町・・・城端、沼田、下仁田などもそうでしたが、そういった町はみんな面白いのですよ。坂の先には何があるのか?みたいな感じで・・・登ったり下ったりとヘトヘトになりますけどね(笑)

 『水郡線は女の線区で水戸から入れば、まずはしよつぱなが上菅谷宿(水戸から二〇分)でここは赤線一一軒に三八名。続くは気動車で一八分の常陸太田の東三丁目にも約一〇軒、四八名いる・・・上菅谷から二つ目の瓜続にも古い赤線が七軒、二四名。隣駅の静にも二軒、九名。その二つ先の玉川村駅にも四軒一七名、と刻んでいる』

 以上は『よるの女性街・全国案内版』による常陸太田の様子・・・というよりも水郡線沿いの町の様子になりますかね。『赤線跡を歩く』の中で木村氏も書いておりますが、この水郡線、駅ごと(ちょっと大袈裟)に色街があったらしい驚くべき路線でして、一度通しで探索してみたいと思っているのですが、何しろ本数が少なすぎるわけ・・・たぶん日帰りじゃ無理じゃないかな。玉川村には業界(爆)でも結構有名な古色蒼然とした妓楼の廃墟があったりしますから、いずれ挑戦したいと思っている今日この頃です。それにしても『女の線区』とはうまく言ったものですね。

 常陸太田に存在した色街ですが、東三丁目とあります。幸いにもこの町名は現在も残っております。しかし、前回のレポにもありますが、そういった遺構みたいなものを見掛けた記憶がない・・・まあ、当時は遊里といったものにあまり興味がありませんでしたので単に見落としただけ・・・だったらいいのですがね。何となくですが、妙な一画があったような曖昧な記憶があるのです・・・何しろ六年前のことですので、今回はそれを確認したいと思っています。水戸を出た水郡線は、上菅谷で終点常陸太田へ向かう盲腸線に分岐するのですが、これも同じ水郡線なんですよね・・・不思議。

註)前回のレポはコチラ。先に見ていただいたほうがわかりやすいかと。



駅舎が真新しい集成材構造に建て替えられてビックリ・・・かといって6年前はどんなだったのか全く記憶がないのですがね(笑)駅前ロータリー近くに前回のときも首をかしげた謎の建物があります。元気な木のせいで全体がわからない・・・。




相変わらず外壁の廃れ具合がすんばらしい!!で、この謎建築、この度正体が判明致しました。




サ、サウナ!?これが???後から捨てられたのだと思いますが、ベッドのマットレスのせいで妙に重苦しい空気が・・・嘗て大人のお風呂屋さんは『個室高級サウナ』と呼ばれていたそうです。此処はどうだったのでしょう・・・いろいろと勘ぐりたくなる雰囲気なのです。




苔生した破風の装飾がひたすら気色悪い・・・。覆いかぶさった枝のせいで、ジャングルの奥深くに眠る遺跡にも見える・・・言い過ぎでしょうか。




全景が見たくて脇の擁壁によじ登りましたが、やっぱり木が邪魔。写っていませんが、奥にも建物が続いていました。




柱列てっぺんの装飾・・・空飛ぶ絨毯に乗った異形の坐像に見えませんか???




『鯨ヶ丘』の入口の坂道、地元では木崎坂と呼ばれています。




所々にこんな急階段が見られます。ちょっと恐いくらいです。




東三丁目手前の脇道に入るとこんな感じ・・・なかなかいい感じ。




廃屋にマルフクの看板ってかなり確立が高いような・・・気のせい???




奥に小さな神社があります。問題は本殿脇、冒頭画像の場所になります。




数軒の廃屋が並んでいるのですが、此処が前回のとき怪しいと睨んだところ・・・。




今回改めて訪れてみますと、明らかに純粋すぎる廃屋ですな(笑)完全に私の勘違いだったみたい。実際、此処は東三丁目ではありませんしね。




この照明が艶っぽく見えてしまったんだと思うことにします。




6年ぶりに訪れて気付いたのですが、明らかに更地が増えていました。その更地の奥にこんな洋館付住宅を発見。




現在はとあるNPO法人の所有になっているようです。洋館部分はクリーム色のドイツ壁、奥には広縁に囲まれた和室があるみたい。その向こうは崖・・・見晴らし良さそう。




その先で通りは二又に別れるのですが、そこが以前は無かった鯨ヶ丘ふれあい広場なる公園になっていました。此処には何があったっけ、全く思い出せない・・・。近くの法然寺さんの山門、古いものではありませんが鏝絵らしい風神雷神が微笑ましい出来(笑)この辺りから東三丁目になります。




こちらは元祖なべやという老舗和菓子屋さん、脇道を挟んだ隣にはいい味出してる薬局があったのですが跡形も無く消え失せておりました。脇道を進んでいきますと・・・




こんな急階段が一気に下っています。朱色の扉、中は何なのでしょうね。




急階段の途中にあるのが真福寺さん、のぼりがすごいことに(笑)成田不動尊の分霊を奉っているそうです。




境内の片隅にあった太子堂、亀が彫られた懸魚が見事ですね。




散ってしまった紅葉もいいものですな。




元祖なべやさんの名物はちまき、結構有名みたいです。




気になったのが元祖なべやさんのお隣、右半分の穴明きブロックが積まれた部分は最近になって改修されたようですが、問題は左半分・・・




なんでしょう、この奇妙な入口の造りは・・・どうやら飲み屋さん関係だったようですが・・・果たして・・・。




その先で一気に眺望が開けます。板谷坂、坂の町常陸太田でいちばん有名な坂だと思います。そして、なによりも左のひょろ長いお宅、すごいでしょ、コレ。




超広角レンズですので、かなり誇張されておりますが、実際ものすごい勾配なんですよ、この坂。




坂の途中の更地には建物の痕跡が・・・モザイクタイルというのが気になるのですよ。何が建っていたのでしょうか。




その更地の先には小さな神様、こういうのがあるということは・・・いろいろと妄想が膨らむわけ(笑)この鳥居、なんか変???と思ったら、下の段の『貫』が落ちちゃったみたいですね。




さきほどから背後の崖に建つ廃屋が気になって仕方がないのです。具体的にどこがというわけではないのですが、とにかく全体の雰囲気がと言うしかないのですが・・・。かといって近付く術もないのですが・・・。




このパーマ屋さん、前回のときは現役だったと記憶しているのですが・・・。赤い外壁部分には美しいガラスモザイクが使われています。




案の定、坂を下ったところに建っていたヤバイくらい傾いていた土蔵は無くなっていました。その先、嘗て此処は竹細工の籠や箒などを手作り?していた瓦が美しい商家だったのですが、立派な邸宅に変わってしまいました。




何だろう・・・板谷坂に戻る途中、崖上に妙な建物を発見・・・映画館?体育館?地図を見ても名称が表記されていないのです。アレの正体を確かめましょう。




ひょろ長いお宅脇の路地を辿っていけばいいみたい。でも、この路地、地図にも記されていない・・・ワクワクしてきた・・・。


その1はここまで、果たして路地の先には何があるのでしょう。そして、妙な建物の正体とは!?次回をお楽しみに。
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