『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌

遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街)をブラブラあてどなく歩いた記録です。観光案内には全くなっておりませんのであしからず。

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静岡県 浜松市

2010-07-04 14:11:09 | 東 海
高台の転業旅館街・門前の謎のお宅・白亜の洋館

二葉遊廓跡近くにて・・・雨戸の隙間から丸窓が顔を覗かせていましたよ。


 江戸へ六十五里、京へ六十里という旧東海道のほぼ中間点に位置する浜松市を探索いたします。昭和初期ごろまでは置屋64軒に芸妓317名というかなりの規模の花街が存在したようですが、空襲の影響でしょうか現在は跡形もありませんので今回は遊廓のみについてレポいたします。

 『遊郭をみる』に詳しい沿革が書かれてありました。浜松は東海道随一の色街だったそうで、94軒の旅籠に300名もの飯盛り女がいたそうです。明治時代になるとそれらの旅籠が遊女屋に転業するのですが、ほとんどが目抜き通りに面していたため風紀上の問題が・・・。そこで大正13年(1924)に市の西方の鴨江に移転させられることに・・・伝馬、旅籠町にあった22軒が移転に応じ二葉遊廓という名称で新たに営業を開始します。二葉遊廓は主人から従業員まで全て女性という珍しい遊廓で、そのせいか低料金、サービスがきめ細かいと話題になったそうです。また、遊廓の中央を貫くメインストリートには桜と柳の植込みが作られたのですが、この桜が素晴らしく、浜松名物の一つになったそうです。ちなみに当時の整然とした新地らしい町割りと桜の植込みの面影が現在も確認することができます。それにつきましては後ほど・・・。


桜咲く頃の二葉遊廓

 以下は『全国花街めぐり』からの抜粋です。『二葉遊廓 市街の西端鴨江にあり・・・大門の直前に春秋の彼岸会に有名な「鴨江観音」の大伽藍が聳え、西一町には加茂真淵を祀る「縣居神社」があり、北方に続く平野は「三方ヶ原」で、廓の南端からは遠州灘の怒涛が眺められる。』


雪洞の灯並ぶ二葉遊廓

『遠州浜松ひろいよで狭い焼けて廓が二度建たぬ、と詠はれて花街の貧弱さを浜松市全市の恥のやうに言はれたのは遠き昔のこと、今日は海道屈指の美しい遊廓で、大門を入れば、一戸宛約百五十坪の純日本式二階建が二十二軒柳と桜の植込を中央にして、ズラリと両側に並んで他の営業者を交へぬ貸座敷ばかりの一廓。殊に陽春四月柳の若枝が萌黄色に細く垂れて、ぱッと咲いた桜に、樹下の誰ぞや行燈の光りの照り映える時の美しさ、艶かしさは、この廓の誇りであり命でもあらう。娼妓の数は約二百五十名・・・』



駅の南口を出ると見えてくるのが、『安心して飲めるよ』と宣言(笑)している『サッポロ街』。




アーケードが架かった所謂横丁建築の飲み屋街です。それにしてもどうしてサッポロなの???




いい感じのお店が並んでいますが、特にこのbarニューアマゾンさんの雰囲気は抜群です。




サッポロ街を後にしてJRの線路を潜りしばらく行くと旅籠町。かつて色街があったという場所・・・赤煉瓦の蔵を利用した中華料理店です。『福』の文字が逆さ・・・どういうこと???




西へ西へと向かいます。すると周囲に元飲み屋さんと思われる微妙な建物がチラホラと・・・この先に二葉遊廓跡があるはずです。




デカデカと看板が・・・鴨江旅館街・・・ここがかつての二葉遊廓跡になります。写っている道路が当時のメインストリートということになるでしょうか。




平成通りというんだ・・・そんなことより、中央に緑地帯がありますね。往時はここに柳と桜、そして両側には見事な妓楼が並んでいたのでしょう。奥に旅館豊本とありますが、『全国花街めぐり』には豊本楼の名が・・・。




現在、両側に並ぶのはビジネス旅館ばかり・・・初めて来た人は驚くでしょうね。なんで駅から離れたこんなところに?って・・・不思議な光景です。




ほとんどの旅館は新しくなっていますが、唯一気になったのがこのしまやさん。当時の建物ではないかもしれませんが、何となく雰囲気感じられません???




松と破風の組み合わせ。玄関が綺麗に掃除されておりました。こんな旅館なら泊ってもいいなあ・・・現役ですよね???




メインストリートの南端、旅館の駐車場の先はこんな感じ・・・『全国花街めぐり』にもありましたように、高台にあるため遠州灘を望むことができます。怒涛は無理ですが(笑)




他に何か遺構がないかと周囲を探してみましたが、残っていたのはこんな蔵だけでした。庇を支える金物がオシャレですね。




メインストリートを北上しますと、大門があったという鴨江観音に行き着きます。その手前に気になるお宅が・・・『遊郭をみる』の絵葉書の妓楼に造りがよく似ているんだよなあ。しかし、これ以上接近できません・・・もどかしい!!




こちらが鴨江観音こと鴨江寺、地元の方には『お鴨江さん』の名で親しまれているそうです。その歴史は古く、大宝3年(703)まで遡るとか・・・。




池ではスッポンが身動きもせずボーッと浮かんでおりました。




帰り道で出会ったのがこの飲み屋さんの廃墟。冒頭の画像の建物です。屋号のとおり交差点の角にあります。




反対側でも丸窓発見です。




白亜の洋館は旧浜松銀行協会。昭和5年(1930)に建てられました。通りを挟んだ向かいには、昭和2年(1927)に建てられた浜松市鴨江別館(旧浜松警察署)があるのですが、改修工事のためか全面足場に囲まれており全く見えない・・・残念・・・。




現在は映画監督の木下恵介記念館になっています。出身がここ浜松なんだそうです。


以上、当時の面影はメインストリートのみ、ちょっと残念な浜松の探索でした。

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