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しるし

2017-04-24 00:00:05 | 日記
「しるし 」


4月22日

関連動画として出ていた、
平井堅さんの過去のラジオ出演番組を
なんとなく タップしてみたくなり、
見ていました。
2015年のものです。

普段 曲は DLしたものを聴くし、
改めて過去の動画を見ることは
ほとんどないです。

すると、「スペインに行きました」
という言葉。
そういえば、スペイン旅行のお話は、
ファンクラブの会報に書いてあったと、
思い出しました。

GODIVAチョコレートに フラメンコのサインがあり、そこから、スペイン→ ディヴット・ボウイ夫妻の関係に感動した話に繋げました。

その
GODIVA(チョコレート) 関連の記事に、
私が見た長瀬智也さんの夢について書きました。

その後、長瀬さんも、スペインに関係があったのだと知りました。


3月31日に
Mステを見ていたときのこと。


ここ数年、平井堅さんが出演しない回を
見ることはないですが、その時は
早めにテレビの前に座ることができました。
チャンネルがMステだったのは、
音楽好きの次男が見ていたのかな⁈

私は 個人的に
エレカシさんの
「悲しみの果て」が聴けて 感動でした!
ꉂꉂ ( ˆᴗˆ )
とても好きな曲です。

番組の中で、
TOKIO 長瀬くんの過去映像が映り、
デビュー当時は 踊りがメインだったと

ん?踊りといえば、GODIVAからの関連で
フラメンコ(スペイン)のキーワードでていたなぁと。


そして、長瀬くんと スペインで検索してみました。
すると
こちらがヒット。


2012年にオンエアされた、TOKIOの長瀬智也クンの発泡酒のCM。長瀬クンが崖の上のプールサイドで、巨大なエビフライにかぶりついていた『崖の上篇』。あのCMの舞台となったのは、スペインのアンダルシア地方にある崖の町「ロンダ」。撮影は、崖の上に建つ絶景の国営ホテル「パラドール・デ・ロンダ」の庭。


長瀬 Asahi スタイルフリー 糖質ゼロ



ほうほう
なんとなく 私もそのCM覚えています

そのCMを確認する前のことだったのですが、娘が突然
「名古屋に住みたい」と言いました。

へ?なぜに 急に?
ちょっと理由はよくわからなかったですが…

名古屋といえば、
しゃちほこ

「シヤチハタ」は本社が名古屋市だからという理由でこの社名にしたそうです。


当初は、日の丸旗(ハタ印)がマークだった。しかし、日の丸を登録商標にしてはならないとの指摘を受け、創業者である舟橋金造の、名古屋のシンボルは名古屋城の金鯱だとの判断からシャチホコが描かれた旗、すなわち「鯱旗」に変更した。それがシヤチハタ というブランド名の由来である。舟橋が「名古屋のシンボルは金の鯱だがね!!シヤチハタだ!!」と言った。

(ウィキペディアより)


名古屋のしるし


長瀬さんの CM は、エビフライで、
金のシャチホコみたいだなぁと。


スペインのサインがあった
チョコレート」は
「永遠の愛」に繋がっていました。

愛の「しるし」

愛のしるし〜♪

って PUPPYの歌を思い出しながら、
レディ・ゴディバの 愛のしるしは、
馬に乗る裸婦の姿として 残っているのかなと考えていました。

愛のしるし
の歌詞を見てみました。

えースピッツの草野さん作詞作曲なんですねー
知りませんでした…


"少し強くなるために
壊れたボートで 一人 漕いで行く"


これは 補陀落(南のサイン)の捨身修行を
想起させます。
というか、その昔 このような修行に挑んだ人は、
すでに 強いですが (^^;)

レディ・ゴディバの伝説も
史実ではないとか、色々と説はあるようですが、私は いつも その時 その時の
自分に対しての メッセージ、サインだと
捉えるようにしています。

TOKIOの曲では あまり知らないですが、私がぱっと思いつくのは、「宙船」です

"その船を漕いでゆけ  おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に  おまえのオールをまかせるな"

補陀落とは 違う進み方ですが、

"船で 漕ぎ出そう"

というメッセージでしようか。

「しるし」は、
ノートに繋がります。

noteについては 4月10日の
「脳内再生曲」の中で、尾崎豊さんと関連づけて書きました。

下記の情報は、
noteの語源で調べて 見つけた記事からです。
↓↓

note は、最初「音楽の音」や「音符」の意味で使用されていたそうです。
「メモ」や「覚え書き」として使われるのは、15世紀もなかばになってから。

  "ラテン語の「印」「符号」「文字」という意味の言葉から、中世ラテン語の
  nota が、「音符」の意味で古フランス語に伝わり、それが中英語期に入っ
  てきた"

だそうです。


尾崎豊さんは 病院のベッドだとか、
家族に看取られて、
などの最期ではなかったけれど、
この地上に しっかりと
自分が生きた証、しるしを
おとしていったんだなぁ
と ぼんやり 考えていました。


次へ続く









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