人生旅的途上Sentimental@Journey

Gonna make a Sentimental Journey,
To renew old memories.

杜子春と犍陀多

2016-07-03 | essay

 芥川龍之介の『杜子春』を読んだとき、なんだかこれは心理テストみたいだな、と思った。おなじ芥川の『蜘蛛の糸』を呼んだときにも、これこそよくある心理テストだ、と思ったものである。どちらも、ひっかけ問題というか、巧妙に仕掛けられている。

 ・・・・杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶようにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落としながら「お母さん」と一声叫びました。

 この場合はこれが正解であるから、杜子春ならずとも、このテストにはかなりの合格者が出そうである。

 ・・・・鉄冠子はもう歩き出していましたが、急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると「おお、幸い、今思い出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持っている。その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住まうが好い。今頃は丁度家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう」と、さも愉快そうにつけ加えました。

 一方、蜘蛛の糸である。問題は次のように出題されている。

 ・・・・罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の海の底から、うようよと這い上がって、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。

 いやはや、こちらは超難問である。犍陀多ならずとも、絶対無理ではないか。犍陀多とは「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ」と喚いてこのテストに不合格となってしまった主人公の名前である。

 ・・・・御釈迦様は、やがて犍陀多が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶらと御歩きになり始めました。お釈迦様の御足のまわりには、蓮の花の何とも云えない好い匂いが溢れております。極楽ももう午に近くなったのでございましょう。

 

 

 

 


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