脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

心の叫び『わかってほしい心』過去の出来事と妻の苦悩 セカンドプロローグ:長女の思い

2014年10月01日 09時34分53秒 | 拒食症との戦い
長女は盗難事件の疑いもかけられ周囲の風当たりも強く、結局・・アルバイト先のコンビニを辞めてしまいました。アルバイトだけが生きてる証のような生活だったので学校も体調のせいか休みがちの中・・自宅の客間で窓の外を眺めてはボーーッと過ごす日が多かったのです。長女と会話をすることは殆どなく家の中は重い空気がつつまれていました。そんな日常が続いた、ある日の夜・・リビングで妻がポツリポツリ話始めたのです。『私が悪いねん・・お姉ちゃんの拒食症・・私のセイや。』長女は我も強く何かと妻と衝突することが少なくありませんでした。そのため妻は素直な次女を良く可愛がり、そんな次女に対し長女は嫉妬していたのでしょう・・次女への意地悪をする長女の姿・・それを叱る妻・・さかのぼると二人の娘が小さい頃・・既に、そのような事が頻繁にあったように思います。長女にとって母親が自分に対する愛情が少なく感じていたのかも知れません。今にして思えば長女が小学校の頃・・爪を噛むクセがありました。それはエスカレートし指の爪は勿論、足の指の爪もガタガタ・・おそらく爪切りなどで深爪していたのだと思います。当然、見た目は良くなく妻は長女の爪噛みを叱責していましたが・・治るわけもありません。もしかしたら長女は母親から愛されてないと思い自分の身体の一部を傷つけることで自分の存在そのものを否定していたのかも知れません。でも本当の理由はわかりません。振り返って思い返し父親としての推測にすぎません・・我が家では長女の拒食に対し今でも長女自身には触れず決して当時のことを話すことは勿論、長女に当時の心境を聞く勇気もないのです。『私・・お姉ちゃんを小さい頃から叱ってばっかり・・E香ばかり可愛がってたと思う・・・・お姉ちゃん・・寂しかったんや・・なのに私・・叱ってばっかり・・』長女は自我が強く目標意識も高くて妥協を許さない性格・・物への興味もあって値段より質や見栄えを重視するタイプ。倹約家の妻と一緒に買い物を行けば喧嘩ばかり。反対に次女は妻の言うことに従順で時々、見せる”けなげさ”が妻は可愛かったかと思うのです。小学校・中学校と友達が少なかった長女に対し友達に囲まれている次女・・転校の時の寄せ書きを見ると、その様子が目に浮かぶのです。『私が、もっとA香の話を聞いてあげるんやった・・友達・・少なかったのは私のセイや。』二人の娘が小さい頃から小学校までは特に私も異動が多く。長女にいたっては小学校6年間で5回も転校させてしまいました。『それは俺の責任が大きいんや・・転勤転勤で友達できたと思ったら引っ越し・・』私は素直に謝りました。長女が拒食症を発症したのは高校2年生ですが発症の原因・・潜伏期間は小さい頃からあったと今では思えるのです。学校での疎外感・母親との溝・・そして私も長女に対し自己の考えを知らず知らずに押しつけ、長女は親の愛情を受けたいばっかりに一生懸命、自分の姿や努力を見せてきたけど認められない・・心が疲れプレッシャーに押しつぶされたから。今となっては、そう思えるのです。長女は今となっては時々、話してくれるのです。『中学の時、お弁当一緒に食べてくれる子・・居ないときもあってん。仲のいい子が学校休んだらウチ・・一人ぼっち・・そやから保健室で保険の先生が一緒に食べてくれた』二十歳になって・・初めて、そんな事を妻に話したそうです。長女は『拒食症になってから友達が増えた・・それぐらいかな?ええことって』その言葉を聞きながら妻も私も心の中で、ただただ(ごめん・・ごめん・・)
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