
東京にもまだ昔ながらの銭湯があるんだな。
そういえば、子どものころ、ときどき銭湯に行ってたのを思い出すわ。
「スカイ・クロラ」の少年たちみたいにか?
は?「スカイ・クロラ」の少年たちって、銭湯になんか行ってた?
行ってたじゃないか、大空の闘いに。
それは“銭湯”じゃなくて“戦闘”でしょ。
そうとも言うな。
見世物としての戦争に身を投じる、永遠に死なない、年をとらない少年たちの物語。
そう、そう。この押井守監督の新作には二つのテーマがあるんだよな。
人間は戦争がなくては生きていけない、っていうテーマと、永遠に生き続けるとはどういうことかっていうテーマ。
あいかわらず、深いんだ、押井守の提起するテーマって。
でも、こんな深遠なテーマを二つも一本の映画の中で展開するなんて難しいと思わない?
思う。出来上がった映画は、テーマを提起しただけで終わっていて、それをじっくりと思索するだけの余裕がなかったような気がするな。
アニメーションなのに、結局、肝心なことはみんな、絵じゃなくてセリフに託しちゃったような印象よね。
そのぶん、空中戦の映像は迫力があってみごとだった。
CGガンガンに使って、女の私が観ても硬質ななまめかしさに背中がゾクゾクするような映像だった。
戦闘場面は動的で充実していて、地上に降りれば、うだうだとした時間が流れるっていうのは、永遠に生きざるを得ない主人公の心情そのものなのかもしれないけど、その地上の部分がどうも緩慢に感じて困った。
永遠に生きるっていうことは、永遠に死んでいることと同じようなものだっていうことを陰々滅々に語られても、どうせ私は永遠に生きるなんてあり得ない側の人間なんだし、と思っちゃう。
そういう極端な設定から、生きるということはどういうことか捉えなおしてみたいっていう意図はわかるんだけど、映画としてはもう少しメリハリがあってもいいんじゃないかと思った。
脚本監修が行定薫だからねえ・・・。
おいおい、それは禁句だ。
ラストも、ネタばらしはもうしているのに、それを上塗りするようなエピソードで終わってる。
しかも、エンドタイトルが出たあとにな。
エンドタイトルのあとにもうひとつエピソードがある映画ってときどきあるけど、どうなのかしらね。なんか、観客をバカにしているような気がするのは、私だけ?
映画館が明るくなるまで席を立つな、っていうのは、鷹の爪団に言ってほしいほど映画鑑賞の鉄則ではあるけどな。
あ、そうなんだ。それにしても、体温の低い登場人物だったこと。
まあ、普通の人間じゃないんだし、登場人物たちの体温が低いのは予想したとおりだったけど、悩みは深いはずなんだから、もうちょっと温度が高くてもよかったかもしれないな。
そう、そう。銭湯であたたまるくらいはね。
そう。“銭湯”であったまって“戦闘”に行くべきだった。
って、なんかおかしな結論ね。
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TBありがとうございます。
相変らずの掛け合い調の文章は愉快で面白いですね。
私も概ね同じような感想なのですが、DVDで再見した時にじっくりと観たいと思ってます。
DVDや名画座(死語)で何度も観られ続けるようならやはり名作なのかもしれない。
その判断が私には一度観ただけではつかないということで。
まあ、押井フリークなので(笑)そういう期待と観かたをしてしまうのですよ(笑)
テレビでいまだに流れている予告編を見るたびに、何かだいじなところを見逃したかな、という気になってしまいます。