【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「アジョシ」

2011-09-22 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

ウォンビン、かっこいい。キム・セロン、いじらしい。
その通り。残念ながらそれ以上の深みはなかった。
また、出た。いつものあまのじゃく。
おじさんと少女の組み合わせといえば、「シベールの日曜日」の昔からジャン・レノとナタリー・ポートマンの「レオン」に至るまで枚挙に暇がないんだけど、そういう映画に比べると、おじさんと少女の情のふれあいという点では物足りない気がしないか。
そんなこと、ないでしょ。序盤でちゃんとふれあってるじゃない。
お互いがお互いを必要とする、孤独な魂同士ののっぴきならないふれあい。近頃の韓国映画でいえば「息もできない」には確かにそれがあった。それに比べるとこの映画の二人はどうもそこまでの磁場に欠ける。体を張って助けに行くにはもうひとつ、何か引き合うものがほしい。
そりゃ、30代の男と幼女だからね。そんな、魂のふれあいなんてことまで求めるの無理でしょ。キム・セロンの健気さで十分よ。あとはウォンビンの憂いにあふれた表情があれば言うことなし。
でもなあ、ウォンビンは少女を救うためにあれだけ派手になぐりこみをかけたのに、結局自分自身では少女は救えなかったんだぜ。そこにカタルシスはあるのかい。
ラストシーンがあれば十分じゃないの。
凄惨な戦いのあとのシーンも、もう少し工夫のしようがなかったのか。
実は・・・てやつね。その「実は」の語り口に巧さを感じないわけね、あなたは。
悪者の兄貴が弟の居場所を必死になって聞くのもおかしくないかい。弟はいつもいそうなところでしかもあんな派手な目に遭ってるんだから、わざわざウォンビンに聞かなくたって手下に調べさせればわかりそうなもんなのに。殺人を犯した逮捕者を菓子屋に寄らせる韓国警察もおかしいだろう。
そういう細かいことはいいの。そんなこと言ってたら、こういう映画は楽しめなくなっちゃうわよ。
そうだな。そんなことにいちいち目くじらをたてるようになるなんて、俺もおじさんになっちゃったのかな。
あなたも立派なアジョシだもんね。



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4 コメント

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こんにちはー☆ (kira)
2011-09-23 12:14:37
言いたいことは全てジョー・アジョシに言って貰った感じです~
死体の山は覚悟の上でしたが、、、
なんだか必要以上の大量出血のおかげで
帰りは本当に具合が悪かったので、ウォンビンのカッコよさも忘れそうでした
■kiraさんへ (ジョー)
2011-09-23 16:30:33
「アジョシ」絶賛の中であまのじゃくがもう一人いたとは驚きです。
もう少しこのブログを続けていく勇気が出ました。
でも、“ジョー・アジョシ”はウォンビンほどかっこよくはありません。悪しからず。
お兄さん (真紅)
2011-09-24 00:33:00
ジョーさん、いやジョー・オッパ、こんにちは!
こちらのブログ、「もう少し」と言わず、ぼちぼちでも末長~く続けて下さいませ!
いつも更新楽しみにしています♪
■真紅さんへ (ジョー)
2011-09-25 19:00:44
アジョシとオッパってどうちがうのでしょうか。
よくわかりませんが、「ジョー・ウォンビン」と
いえば一番正確かと。・・・なわけないか。

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