エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

山盧忌と沈黙忌

2016年10月13日 | ポエム
10月は、飯田蛇笏の忌日月である。
ぼくの敬愛して止まない、故郷の俳人である。

格調高く、それでいて自然を巧みに詠み込む俳人である。
写生も突き詰めてゆけば、かくほどに格式を高く詠み上げられるのかと感動したものである。
写生即ち簡明・簡素であるけれど、蛇笏はそこに留まらない。
一歩前に出る。
格調、と云う世界である。

山盧は、甲府のわが実家から自転車で往ける距離である。
思えば、我が家には蛇笏の色紙があった。
父が、文学を通じて交流があったのかもしれない。

山盧の周辺には、文人墨客が何人か棲んでいたと記憶する。
蛇笏はその嚆矢、であった。



飯田蛇笏の忌日と時を同じくして、遠藤周作もまた忌日月である。







「山盧忌の折り目正しき懐紙かな」







飯田蛇笏の実家、それが山盧である。
飯田蛇笏の全句集をいま読み解いている。
ある夜など、読んでいて眠れないほどの感銘を受けた。
新鮮な感動である。

感動を忘れて久しいけれど、改めて俳句の力を思い知った。







「沈黙忌だがずんずんと進みくる」







昨日の空には、鰯雲が遊弋した。
遠藤周作の御霊が、主なるイエス・キリストとともに降臨したかのようでもあった。
沈黙忌が、遠藤周作の忌日の名称である。

ぼくは、繰り返し読んでいる「沈黙」が好きだ。
遠藤周作の若い頃の作品には、見るべきものも多いけれど・・・。
やはり「沈黙」だ。
狐狸庵先生などと、洒落ていたけれど・・・。
やはり、敬虔なる精神の保有者であった。
ぼくは、ほぼ毎年一回ずつ読み返している。
そして「輪廻転生」という概念に畏怖している。
否、限りない憧憬を捧げるのである。

今日は偉大な文学の先達について、触れた。
忌日を詠むなど、まだ百年早い!
と、叱られそうである。



     荒 野人
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