エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

皐月煌めく

2012年05月28日 | ポエム
タケノコが伸び、若竹に成長する。
皮を一枚一枚丁寧に脱いでいき、天を目指す。







  若竹の皮剥ぐ音の響きおる  野人


  風と居る竹林の影若々し  野人







ぼくはこのベンチでお尻を温めつつ俳句を詠もうとしたのである。
頬を、五月の爽やかな風が嬲るように過ぎていく。

だがしかし、皮が剥がれる時音は聴き取れなかった。
ある俳人は、その音を聴いたというのだが・・・。



風が香る様である。
皐月の風に身を任せるのだ。

イマージュが飛び、ぼくは竹林を飽きるままに眺めた。



この竹林に源を持つ湧水の流れを追った。
白鷺が羽を休める。







  水草の揺らぎのままの花流る  野人


  水光る銀鱗隠し雑魚遊べ  野人







水がキラキラしている。
水の生々流転は飽きることがないのである。



水草が揺れる。
水が煌めく。
風が薫る。
五月晴れの一日であった。




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  荒 野人
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湯滝という趣き

2012年05月27日 | ポエム
湯の湖から注ぎ落ちる湯滝は、まことに勇壮である。
滝坪から、マイナスイオンが雲の峰のように湧き上がっている。

気分爽快を地で行く態である。



然も有難い事に、注ぎ落ちる水量の如何を問わず「菩薩」がその真中に浮かびあがっているのである。



菩薩に見えるかどうかは、見る者の心の在処次第である。



少なくとも、ぼくには菩薩の姿に見えたのである。
この滝は、菩薩と一緒に愛でるのが良い。

愛すべき女性と共に・・・といった意味である。
湯滝は日光三大名滝に数えられる。

「華厳の滝」「龍頭の滝」そして「湯滝」である。

湯ノ湖の南端にある高さ70メートルの滝で、湯川をせき止めて湯ノ湖をつくった三岳-みつだけ-溶岩流の岩壁を湖水が流れ落ちているのである。
幅は最大で25メートルもある。

誠に勇壮で、かつ大きい。
その水量に圧倒される。

日光に出かけたら、行ってみたい名所である。
期待を裏切らない滝である。

この滝から流れ落ちた水は、戦場ヶ原を過ぎ、中禅寺湖に注ぎ込む。



川の流れは意趣に富んでいる。



ぼくの好きな佇まいである。
この流れに沿って、木道が渡されている。

そのも木道を歩くと良い。
季節季節の趣きが出迎えてくれるのである。



そして、後ろを振り返ると湯滝の豪壮な姿が見られるのである。






  落ち口の水の轟き夏嵐  野人


  滝壷や次から次の夏の夢  野人







この滝の大きさは、この写真で確認出来ると思うのである。



滝坪で釣りに戯れる釣り人である。
人と流れ落ちる滝の姿のコントラストである。



湯滝。
この前日、奥日光には雨が降った。
その所為で水量が多いのだろうと思った。



だがしかし、湯滝レスト・ハウスの方は、これからは男体山の雪解け水が落ちてくるので、もっと水量は多くなる。
と教えてくれた。

きっと今頃が見頃であって、観光シーズンの幕開けであろうと推測するのである。





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デジブック 『馬鈴薯の花』

2012年05月26日 | ポエム
ジャガイモの花は、誰かに食べられるために花開かせるのである。
例えば豌豆、茄子、トマトの花などもそうだ。



食べられるために咲く花は美しい。




デジブック 『馬鈴薯の花』





時あたかも、金環日食と合わさった。
馬鈴薯の花の後に、天体ショーの俳句も付け加えたのである。



久しぶりに、からまつ同人の立花さんとのジョイントとなった。
楽しんで頂ければ嬉しい。




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湯ノ湖という静謐

2012年05月25日 | ポエム
湯ノ湖は堰止湖である。
ダム湖では無い。
従って、例えば奥多摩湖の様なよそよそしさは無く、静謐であり自然に溶け込んだ佇まいを見せているのである。

辿りつくまでの関所。
一つは、佐野ラーメンである。



大盛りを注文すれば、海苔に佐野ラーメンと書いてある。
しっかりとした海苔である。



普通盛りだと、この海苔。
差別化がしっかりしている・・・けれど、この差別化は頂けないではないか!

関所のその2。



戦場ヶ原だ。
戦場ヶ原を貫く道路は、ロマンチック街道である。



この道路を何処までも進めば日光の奥座敷に辿り着くのである。



ドライブとしては最高に楽しい。
雲も林も、いまだ全てが枯れている。



春はまだ浅い。
だがしかし、林の向こうに湖面が見え始める。







  霞み刷く山肌滑る湖の朝  野人


  雲乱れ深山の朝の水温し  野人







静謐を字で書いたような湖である。



この湯ノ湖は四季折々に美しいのである。
四季を踏破したことはないけれど「四季折々に美しい」と確信させる。



ホテルの部屋から望む湯の湖だけれど、木々が邪魔をして完全に見せない。
それが誠に慎ましやかに感じられるのは何故だろうか。

今夜はここに投宿する、という心のゆとりだろうか。





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なんだかな・・・

2012年05月24日 | ポエム
過日、バリトン歌手ディスカウの逝去を語ったのだけれど・・・。
今日は、日本のオペラに多大な貢献があった畑中良輔氏が亡くなったのである。
彼も又、卓越したバリトン歌手であった。

ぼくの時代が、どんどん終わっていく。

畑中氏は、リリックな声を持ち、その音楽的解釈力の探さと卓越した演技力は、デビュー当時より高い評価を受けてきた。
特にオペラではモーツァルト歌手として第一線に立ち、「魔笛」のパパゲーノ、「フィガロの結婚」のフィガロをはじめ、モーツァルトのオペラの本邦初演の主役のすべてをつとめたのであった。

ぼくは、声楽に夢中だった時期の思い出が深いのである。



コールユーブンゲンを歌っていた頃の事である。
キチンとサラって、その日の分を歌ってない時が多々あったものだった。
その時には、畑中良輔氏のソノ・シートを聴いて付け刃でレッッスンに行ったものであった。
今どきの若者には、馴染みの無い言葉「ソノ・シート」である。

ソノ・シートは、通常のレコードと異なり、極めて薄く容易に曲げることができる程度に柔らかいため、雑誌の付録や印刷された台紙などに透明な盤を貼り付けたメッセージカード等に利用されたものであった。

因みに、この本はぼくの歌っていた教則本と同じものである。



これはコンコーネという教則本である。
これは流石にソノ・シートは無かった。

このコンコーネは畑中氏の編纂となっている。

懐かしい教則本である。





  なんだかなと言って汗ふく我が世代  野人





畑中良輔氏の逝去を悼み、謹んで哀悼の誠を捧げるものである。





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  荒 野人
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