エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

春の兆し

2017年02月25日 | ポエム
春の兆しが、次第に濃くなってきている。
しかしながら、寒の戻りは厳しい。
刺すような大気は、胸にひびくのである。

昨夜、とある遊歩道を歩いていると何処からか香しさが・・・。
馥郁と香っているのであった。



蕾はまだ固いけれど、数輪の花が開いている・・・。
沈丁花であった。







「宵の口幽かに聞けり沈丁花」






ほんの数輪だけれど、香りが立っている。
香りを、宵の中で聞いている。
なんという風情であろうか。

正しく春の兆し、であるのだ。




     荒 野人
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蕗の薹

2017年02月23日 | ポエム
僥倖、である。
蕗の薹を頂いた、のである。
それは昨日の出来事・・・。

春を告げてくれる。
優しく、穏やかな薄黄緑が目に優しいのだ。



早速、今日は天麩羅にしようと思うのだ。
そう思うだけで、口中にほろ苦さが満ちてくる。



このほろ苦さこそが、春なのだ。







「大地から取り上ぐ命蕗の薹」







今年は、何回食べられるだろうか。
そして、たっぷりと用意できたとしたら「蕗味噌」にして食べようと思う。

我慢できない、それほどこの春の山野草は魅力的である。



     荒 野人
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雪柳

2017年02月22日 | ポエム
昨日、ぼくはコストコへ出かけたのであった。
行きは良いよい、帰りは怖い・・・。
帰宅途中の外環の上は、強風でハンドルが取られるほどであった。

帰宅して、ブログの更新と思いつつ休憩が長過ぎて今朝になってしまったという訳だ。
今朝は、晴れやかであって風もない。
暖かい午前である。

少しだけ、家の前のグリーンベルトを散歩した。



雪柳が咲き始めたのである。
雪柳は、最初は一輪から始まる。
一輪が咲けば、忽ち枝全体が白く染まってゆく。







「雪柳ただ一輪の花序をかし」







雪柳の次は、黄色の花が咲き始める。
連翹である。

今年はまだ、連翹の花を見る事が出来ない。
だが、雪柳が連翹を誘ってくれるのは言を俟たない。



楚々とする雪柳、やがて満開となって春が深まってゆくのだ。
暖かさが続かない毎日である。

寒気と暖気が鬩ぎ合っている。
だがしかし、時間の問題である。
暖気が、勝ち抜くのである。



     荒 野人
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物の芽

2017年02月20日 | ポエム
ものの芽、である。
春の兆しの嚆矢、でもある。

また、初春の季語としても歳時記に掲載されている。



この「ものの芽」は、辛夷である。
産毛に包まれた様は、もう一つの季語「余寒」を当てはめたくなるのだ。

感じるとも無く感じる薄ら寒さ・・・だがかじかむ寒さでは無いのである。
そこはかとなく、寒さが残っている。
その様である。



命の炎が、あわあわと萌え上がっている。
この辛夷の芽、だけでも限りなく俳句が詠める。
季語を纏って、生まれ落ちている。



間もなく花開く。
山里の景色が思い起こされる。

もう一つの、ものの芽は「薔薇」の芽である。







「薔薇の芽の赤だと分かる朝の風」







剪定の終った枝から、芽が吹いている。
準備おさおさ怠りの無い、植物の命の炎である。
因に、最後の写真の花の色はきっと白である。



     荒 野人
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認知症サポーター

2017年02月19日 | ポエム
昨日、ぼくは認知症サポーター講座を受講したのであった。
短い時間だったけれど、講座修了後にサポーターを示す「オレンジリング」を頂いた。
このオレンジリングに、白いロバが刻印されていると「認知症」の本人である印となっている。



今日から、ぼくはこのオレンジリングを右腕に着用して外出しようと思っている。
オレンジリングを見て、何か問われても直ちにには応えられないと思うけれど・・・。
しかし、社会の役に立ちたいと思っている。

来月には「サポーター・ステップアップ講座」が予定されている。
その受講も決め、申し込んできた。



ニュースで、毎日のように悲惨な出来事が報道される。
その中には『介護」にかんする事柄も多い。
この中の殆どは「認知症」本人へのDVである。
あるいは「放置」でもある。

社会のモラルは、高齢化社会に向かって増々増加する事は予測するに難くない。







「フリージア心の荒び安らげり」







ぼくの大好きな「フリージア」である。
そこはかとなく漂う香りが、大好きなのだ。
香る花は数々あるけれど、ぼくはフリージアをもって嚆矢とする。

この季節「ロウバイ」の香りも素敵だけれど、ロウバイはその花びらの透明さである。
梅もまた、仄かである。
けれど、梅の鑑賞はその綻び方である。


荒んだ時代、である。
フリージァを傍において、心の安らぎを求めたいと思うのはぼくだけであろうか・・・。



     荒 野人
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