平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

平清盛 第47回 「宿命の敗北」~平家はもはや武門ではございません!

2012年12月03日 | 大河ドラマ・時代劇
 自分がやってきたことが否定されるって、つらいことでしょうね。
 清盛(松山ケンイチ)は否定される。
 忠清(藤本隆宏)は命を賭して、最期の忠告をする。
 まずは水鳥の音に驚いて逃げ帰った清盛の孫・維盛(井之脇海)について
「それこそがまごうことなき平家の男の子の姿にございます!」
 そして
「平家はもはや武門ではございません。殿ご自身ももはや武士ではありません」
 これに対して清盛、忠清を斬ろうとして、平家伝来の宋の剣を振るうが、もはや剣の重さを支える力なく、剣は赤さび、よろけて地面に尻餅をつく。
 哀しく、残酷なシーンだ。
 前回(46話)で、義朝という友でありライバルである存在を思い出し、「あやつに見せてやるのじゃ、わしが目指し続けた武士の世を」と自分を取り戻した清盛。
 しかし、取り戻すのは遅かったようだ。
 孫の維盛に象徴されるように、平家は完全に武士でなくなってしまった。
 父・忠盛(中井貴一)が語った<心の軸>がブレてしまった。
 清盛に突きつけられる無惨な現実。

 このことを伊豆の頼朝(岡田将生)は少し離れた客観的な視点で語る。
「あっけない。あのお方はどのような二十年を過ごしたのであろうか?」
「問い糺したいことが山とある」
 二十年前の清盛を知っている頼朝には、現在の姿が信じられないのだ。
 頼朝はこれまでひきこもり生活を送っていたが、常に<武士>とは何かを考えていたに違いない。
 そのお手本となったのが、父・義朝であり、清盛。
 だから下馬しない上総広常に対してこう言えた。
「退ね! もののふの道をわきまえぬ者の二千騎など何の役にたとう!」
 頼朝は、義朝と清盛から<武士>とは何かを学び、清盛の<政治手法>とその<失敗>を教訓にして、次の世を作り上げていく。
 清盛は<武士の世>を作るための通過点であり、頼朝が完成させたのだ。

 最後に話は戻るが、清盛が忠清を斬れなかったのはなぜだろうか?
 ひとつは先に述べたように、清盛が政争にあけくれ、もはや武士でなくなり、<心の軸>だけでなく<体の軸>も弱くなってよろけたせいであろうが、もうひとつは父・忠盛が止めたのだろう。「清盛、やめよ」と。
 なぜなら平家伝来の宋の剣は、忠盛から与えられたもので、<父親の象徴>だから。

 あるいは、この剣は<武士の象徴>でもある。
 回想で、若き日の清盛が白河院に剣を向けるシーンがあったが、これこそは<武士>が<貴族社会>に反抗した象徴的なシーン。
 清盛の悲劇は、宋の剣を後継者に託さなかったことにある。
 剣を息子・重盛などに託して<武士とは何か?>を伝えていれば、今回のようなことにはならなかった。
 この点、皮肉なのは源氏の<ひげ切り>である。
 <ひげ切り>はしっかり頼朝に受け継がれた。
 この剣が頼朝覚醒のきっかけになった。
 しかも、頼朝に<ひげ切り>を渡したのは清盛!
 清盛が頼朝に<ひげ切り>を渡した時点で、源氏の隆盛、平家の滅亡は決まっていたのだろう。

 清盛が頼朝に<ひげ切り>を渡したシーンが後にこんな意味を持ってくるとは!
 周到に計算し尽くされた脚本だと思う。



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2 コメント

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あと三回 (TEPO)
2012-12-03 19:53:45
主人公といえども美化・正当化を排するリアリズムと松山さんの熱演は高く評価はできますが、今のところ「傲る清盛(平家)とその没落」という「平家物語」以来のごく常識的な人物像・展開と結果的に合致してしまっている点に個人的にはややつまらなさを感じています。しかし

>頼朝に<ひげ切り>を渡したのは清盛!

に関連して42話で書かせていただいた

>真の意味における清盛の後継者としての頼朝の誕生

という解釈が現実化しつつあるのが楽しみです。
この解釈は第一回冒頭が示すように物語全体が頼朝視点から展開しているという事実に基づいています。
おそらく次回も清盛の「どん底トンネル」は続くようですが、どん底を描ききった先に何か大逆転の救いが用意されているのではないかと楽しみにしています。
第一回冒頭で頼朝が「平清盛こそが乱世を生き抜いた真の武士であった」と言っているからです。

岡田将生さんの頼朝は一度だけ清盛とシーンを共にするそうです。
本作では清盛と頼朝は対話をしたがっています。

>「問い糺したいことが山とある」

他方清盛も頼朝を攻め滅ぼすのではなく「捕らえて連れてくる」ことを命じています。
おそらくは清盛の死後、両者の対話場面があるのではないかと思います。

今回に限って言えば私は100%伊藤忠清-我が家では「広瀬中佐」と呼ばれています-に感情移入して見ていました。
37話で維盛・資盛兄弟の弓術の成績不振と練習意欲の欠如に悩み、貴族化した清盛の息子世代の公達たちを見て時代に取り残されたような寂しさを見せるなど、この脇役キャラにも例によって十分な伏線が張られていました。
「よくぞ言ってくれた」今回の諫言は彼の一世一代の見せ場だったと思います。
見せ場 (コウジ)
2012-12-04 09:26:38
TEPOさん

いつもありがとうございます。
TEPOさんの解釈がどんどん現実化していますね。
あとは、TEPOさんが望む<大逆転の救い>がどのように実現するか?
それが的確に描かれた時、清盛の生涯は肯定され、光輝くものになるんでしょうね。
あと3回、楽しみです。

「広瀬中佐」については、おっしゃるとおり一世一代の見せ場でしたね。
最近では、兎丸、重盛……、『清盛』の脚本の藤本さんは、脇役の死の際に必ず<見せ場>を用意しますね。
役者さんにとっては、役者冥利に尽きるという感じでしょうか。
今後もどんな<見せ場>が見られるか楽しみです。

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