平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

八重の桜 最終回「いつの日も花は咲く」~人は自分の花を咲かせるために生きている

2013年12月16日 | 大河ドラマ・時代劇
 政府の機関紙のように軍備増強を煽る記事を書く徳富蘇峰(中村蒼)はこんなことを言う。
「国家のためです。私は国を愛する者です」
 これに対して八重(綾瀬はるか)。
「襄も愛国者でした。でも、襄が愛した国というのはそこに暮らす人間一人一人の事です」

 このやりとりには<国家>と<個人>の対立がある。
 <国家>の隆盛を考える蘇峰に対し、八重は<個人>の幸せを、ひとりひとりの<個人>が花咲くことを考える。
 これを<国家主義者>と<個人主義者>の対立と言い換えてもいい。
 国家は非情だ。
 国体を守るために個人を犠牲にする。
 戊辰戦争では<会津>のために多くの人が死んだ。
 太平洋戦争では<日本>を守るためにたくさんの人が亡くなった。
 現代に目を転じれば、たとえば安倍政権は1機100億もするオスプレイを17機も購入した。このお金を社会福祉とか個人の幸せのために使えばいいのに。
 最近、ぼくは国とは何なんだろうと考えてしまう。

 八重の<個人>の思想は以下のせりふにも表れている。
「敵を憎まず、苦しむ人、悲しむ人に寄り添う。
 これが襄の目指した世界だ」
 襄の思想を踏襲する八重は<国>を乗りこえている。
 敵であろうとも、目の前に苦しんでいる人、悲しんでいる人がいれば助ける。

 頼母(西田敏行)もこんなことを言っていた。
「わしはな、新政府がなじょな国つくんのか見届けんべと生ぎ抜いてきた。
 んだげんじょ、戊辰以来、わしの眼に焼ぎついたのは何ぼ苦しい時でも懸命に生きようとする人の姿。笑おうとする人のけなげさ。
 そればっかりが俺の心を胸を揺さぶんだ」
 頼母も<個人>の優位を語っている。

 徳富健次郎(太賀)も<国家>よりも<個人>を、ひとりひとりの生きる喜びや悲しみを描きたいと思っている。
「所詮兄貴は体制に流されてるだけだ。俺は流されずに小説の中で本当の人間を書いてみせる」

 大切なのは、個人のひとりひとりが花を咲かせること。
 国家の道具として、個人が死んでいくことではない。

 ラストシーンで八重が空に向かって撃った鉄砲の弾は、傘となって開き、たくさんの花を咲かせた。
 教育に生きる人
 会津の復権に生きる人
 恋愛に生きる人
 夫や子を思って生きる人
 この作品『八重の桜』はさまざまな人々の群像劇だったが、誰もが自分の花を咲かせるために懸命に生きていた。
 その花はちっぽけなものだったかもしれない。
 しかし、頼母が語ったように、懸命に生きようとする人の姿はどれも尊く美しい。

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6 コメント

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「若いのう」と言われたら (オランダ焼き)
2013-12-16 15:59:43
前回は、私の誕生日を祝福してくださったばかりか、ホメ言葉まで贈ってくださり、有り難うございました。食い意地が張っていることで誉めて頂いたのは初めてのことございます。

ラストの「わだすは、諦めねえ」 のセリフの後に思わず「な、何を?」と
訊きたくなったのですが。最後まで煙にまかれたような、よく分からない部分の多いドラマでした。

会津松平家に御家訓を残した保科正之公のことを取り上げた番組を先日みたのですが、たった1時間で駆け足で紹介するだけなんて、何て勿体ない!!
と思える程の名君だったようです。松平容保は御家訓に忠実であろうとしたせいで、会津の破滅を招いた訳ですが、保科正之公という人物が、「主君への忠義」と「民の幸せ」とを秤にかけたとき、「民」 の方に比重を置く人物であるという、名君と呼ばれた所以をきちんと理解していたならば、御家訓を
京都守護職を引き受ける口実として利用されることもなかったのではないかと思うと、残念に思えます。

板垣が徳富兄に対して「若いのう」と言った、その時 板垣はどういう意図でそう言ったのか、そしてそう言われて晴れ晴れしい表情で「ええ。」と答えた
徳富兄はその言葉をどのような意味で捉えていたのか、二人のいずれ劣らぬ
男前の、想像力をかき立てるやり取りに少しゾクゾクしましたが、現代の世を生きる男前のコウジさん(たぶん)は、「若いのう」と言われたら、何と返しますか?私だったら素直に「うん」と答えると思います。
それにしても衣装を地味にすることで、年齢を重ねていることを表していた
八重でしたが、顔にシワの一本も足さない「常若」ぶりは、もはやバケモノの域に達していると思いました。

ところで、劇中、大山邸で山川の弟が「名誉をすすぐ」という言葉を使っていたと思ったのですが、私の聞き間違いだったでしょうか。特に日本語として間違っている訳ではないのでしょうか。それとも山川弟に前髪クネ男が降りてきていたのでしょうか。よく分かりませんでした。

再来年の大河ドラマは又、幕末。今回のように、吉田松陰の役に知的レベルが測りかねる小栗旬を充てるというような大胆な配役はあるのでしょうかね。
それにしても、再来年の大河ドラマ関係の記事に出てくる主演女優の写真は
見た目が残念、だ、らしい主人公の役に選ばれたことへの説得力を持たせる
ような写真ばかりでいささか気の毒に思ってしまいました。
終わり方と総括 (TEPO)
2013-12-16 19:24:46
まず、最終回の終わり方について。

「Jin」で橘未来が示した「老橘咲」の写真のようなメイクを敢えて綾瀬さんにさせることはないと思います。
主人公の死までは描かない、という可能性は確かにあると思いました。
私の知っている前例だと竹中直人さん主演の「秀吉」がそうだったと思います。ただし、「醍醐の花見」とおぼしき宴会の席で秀次、三成、家康といった相手を死に追いやる関係にある仇敵たちが一緒に「仲良く?」踊って終わるというかなり荒唐無稽な終わり方でした。「この先話は暗くなるのでここで打ち切ります」といわんばかりだったと思います。ちなみに、来年も竹中さんが秀吉を演じるらしいので、ちょっと心配になっています。

意見が分かれるところかもしれませんが、八重が徳富蘇峰の右傾化(これは史実だと思います)をたしなめる場面で終わっている点、私には蛇足に見えました。
連日のように安倍自民党内閣の暴走を批判されているコウジさんの記事には私も共感しますし、本作の製作者たちにもそうした思いがあるのであれば評価したいとは思いますが、作劇的に見て本作の締めくくりとしてはいかがなものでしょうか。
私の意見としては、やはり「仙人」西郷頼母との語らい-具体的には扇の後ろに桜の木が見えてきたあたり-の場面で終わって欲しかったと思います。
先週も書きましたが幕末編と通して頼母は常に「正しい道」を指し示しつつ悲運に見舞われ、さらにはその後の世の中を見届けるために生きてきた人であり、いわば本作全体の座標軸のような存在です。
八重との関係にしても第1話での容保・頼母との出会いから物語がはじまっています。
さらには途中不遇時代の頼母が八重に桜の木の番人にでもなろうかと語った伏線通り、本当に「桜守りの爺様」となって暮らしていました。
その頼母に八重のそれまでの人生を祝福してもらって大団円ということで十分な気がします。

最後に「総括」。

登場人物が多すぎて八重が主人公になれていなかったとか、幕末編が長すぎた、とかいった批判的思いもありました。しかし、おっしゃるとおり
>誰もが自分の花を咲かせるために懸命に生きていた
ことを美しく描いた良いドラマだったと思います。

ただ、不思議と作品論-「篤姫」や「清盛」の時のような入れ込んだコメントも、「天地人」「龍馬伝」「江」の時のような批判も-を書くのに力が入らない作品だったと思います。
「可も無し、不可も無し」といったところなのでしょうか。
観念に生きる若者 (コウジ)
2013-12-16 19:52:36
オランダ焼きさん

いつもありがとうございます。
「わだすは、諦めねえ」
このドラマの最後のせりふだけに、いろいろ考えさせられますね。
戦争へ傾斜いていく時代の流れ。
その流れに対して八重は今回「なじょすることも出来ねえ」と言っていましたが、「敵を憎まず、苦しむ人、悲しむ人に寄り添う」世界にするために諦めないということなんでしょうね。
これに関しては<戦闘的な八重>がいつ<敵を憎まない八重>に変貌していったかが描かれなかったのが残念ですね。
まあ、おそらく襄との出会いが彼女のを変えたのでしょうが、それがあまりよく描かれていなかった。

保科正之は、おっしゃるとおり名君だったらしいですね。
この人物を主人公にしたドラマを見たいと書いていらっしゃったブロガーさんの記事を読んだことがあります。

そして板垣と徳富のやりとり。
年齢の違いもあるでしょうが、自らが加害者で戦場の悲惨と知っている板垣と外から見ている徳富の違いでしょうね。
若い時はどうしても理想や観念にとらわれがち。
でも、現実は残酷で、決して美しいものではないんですよね。
理想や観念が剥ぎ取られた所にあるのは、死者と負傷者だけですし。
現在の安倍首相もそうですが、観念に生きている人は危険です。

山川健次郎の「名誉をすすぐ」は僕もそう聞こえました。
<すすぐ>あるいは<そそぐ>は「汚名をすすぐ」みたいに使われる言葉ですから、やはり変ですよね。
再放送で確かめてみましょうか。

再来年の「花燃ゆ」(松陰の妹)はどうでしょうね。
ぼくは「八重の桜」は最終的には良い作品だったと思っているのですが、「花燃ゆ」は明治になってからの活躍などが八重の歩みと同じで、「八重の桜」の二番煎じにならないかと危惧しています。
ラストシーン (コウジ)
2013-12-16 20:09:33
TEPOさん

いつもありがとうございます。

主人公の死を直接的に描くというのは、ちょっとわざとらしいんですよね。
前回の覚馬の死がそうでしたが、せりふを言い終わって死ぬというのがどうもウソっぽい。
まだ、「篤姫」や「天地人」のように眠るように亡くなってくれた方がきれいな気がします。

徳富蘇峰とのやりとりから、若き日の八重に戻っての「わだすは、諦めねえ」というラストシーンは、おそらくこの作品が、震災に見舞われた東北復興の作品でもあるからではないかと思いました。
作品としては、どうしても「諦めねえ」と言わせたかったのではなかったかと。
あるいは、他のブロガーさんが書いていらっしゃいましたが、これから先、どんどん暗い時代になっていくので、ハッピーエンドの大団円ではなく、あくまで時代に立ち向かう八重の姿で終わらせたかったのかも。

「総括」としては、この作品は基本的には<群像劇>なのですが、もう少し人物を絞って個々が深く描かれてもよかった気はしますね。
特に斎藤一夫婦の話とかはもっと見てみたい。
八重夫婦との対照で、案外面白かったかもしれません。

一年間の完走お疲れ様でした。
政治的な大河 (高木一優)
2013-12-16 21:02:36
八重の桜は久々に最初から最後までちゃんと見た大河でした。面白かったけれど明治になってからは多少説教くさくなり、なんだか朝ドラを見ているようにも感じました。

東北の歴史を描こうとすると、絶えず中央から虐げられた歴史になります。日本史のなかで東北はいつの時代も敗者です。それは、福島原発の現状を見ても、今でもなんら変わっていないのだということに気づきます。

福島県出身の女性を主人公にしたところは3.11の特に原発の被害にあった福島県の復興をイメージ付けるという政治的な意味合いがあったことは否定できないでしょう。
女性を主人公にすることで政治的意味合いを柔らかく味付けしたという印象も受けます。
この間も書きましたが再来年の大河が吉田松陰の妹を主人公にするというあたり、いかにも政治的なバランスを意識しているみたいで気持ち悪いけど、なんだか笑えます。政治って案外単純!

3.11の後、再来年の大河は東北だろうと容易に想像がつきました。東北の歴史を思い浮かべると、どれもラストは悲劇になるんですよね。伊達政宗くらいやるのかな、と思ったら女性主人公で、あーその手があったかと思ったものです。
ドラマの力 (コウジ)
2013-12-17 08:40:46
高木一優さん

いつもありがとうございます。
おっしゃるとおり、<政治的な大河>ですよね。

これは決して悪いことではありませんが、大河効果で会津を訪れる観光客が増えたでしょうし、山川兄弟が目指した会津の復権は、福島の復興とも重なりますし。

しかし、「八重の桜」が伝えたかったメッセージがことごとく忘れ去られているような現在の状況。
オリンピックに浮かれ、政治は復興以外のことに熱心な様子。
これがドラマの力の限界なんですかね。
そんなことを考えてしまいます。

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