平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

真田丸 第28話「受難」~あれは私が関白として行った数少ないことのひとつじゃ

2016年07月18日 | 大河ドラマ・時代劇
 信幸(大泉洋)は関白・秀次(新納慎也)にこう語る。
「あまりに大きすぎる父、私の声だけがなぜか聞こえぬ祖母、病がちなのかどうかよくわからない最初の妻、決して心を開かぬ二度目の妻。そして、あまりに恐ろしい舅。振りまわされながら生きておるのは殿下おひとりではございませぬ」
 振りまわされる者同士の共感だ。
 これで信幸と秀次は心を通わせた。
 少し前まで秀次は「私はその者(信幸)をよく知らぬ」と言っていたんですけどね。
 ふたりの心の交流はさらに続く。
 秀次は、信幸が弟のおかげでもらった官位を返上したいと思っていることに関してこう語る。
「返上したりはせぬな? あれは私が関白として行った数少ないことのひとつじゃ」
 秀次にとって信幸に官位を与えたことは生きた証だったのだ。
 これがなくなってしまったら、自分の生きた意味がなくなってしまう。
 上手いですね、これで官位の件でわだかまりを持っていた信幸の件が解決した。

 秀次と女性たちの関係も興味深い。
 秀次は〝女性のやさしさ〟に救いを求める人なのだろう。
 それをきり(長澤まさみ)に求めた。
 しかし、きりは職務を放り出して逃げてきた秀次を責めた。
「慰めてほしいのですか?」
 きりはこういう物言いしか出来ない女の子なのだ。
 でも、心の底は、
「殿下のことが心配だから申し上げているのです」
 秀次もきりがそういう子であることを知っていて、叱咤してほしかったのかもしれない。

 次に秀次が求めたのは、南蛮の神の母・マリアだった。
 遠藤周作の小説で描かれているように、マリアと言えば、〝母性の象徴〟。
 観音信仰の影響だろうか、日本ではキリストよりマリアの方が人気がある。
 秀次の娘たか(岸井ゆきの)はクリスチャンなのだろう。
 そして弱い父親が〝母性〟を求めていることを知っていた。
 だからマリアの絵を父に渡した。
 しかし、そんなマリアの絵も弱りきった秀次を救うことは出来なかった。
 何かを感じることは出来たが、所詮は絵であり、救いにはならなかった。

 そして秀次の自決。
 自分で自分を勝手に追い込んで自爆してしまった感じですよね。
 皆がそれぞれの形で救いの手をさしのべていたのに。
 寧(鈴木京香)は秀吉(小日向文世)に「孫七郎を楽にしてやってほしい。人には持って生まれた器がある」
 荒武者の福島正則(深水元基)でさえ、「孫七郎は気が優しすぎるんよ。関白としてよくやっていたと思う」と秀次を理解していた。
 もしかしたら秀次は重度のノイローゼ状態だったのかもしれない。
 前回も書きましたが、三谷幸喜流の新解釈だ。
 他人のどんな言葉も受け入れられなくなった時、人は破滅していく。
 心を閉ざせば、他者のどんな思いも言葉も無力になる。
 器の問題もある。
 信長の弟の織田有楽斎のように、自分は兄のような器ではないと思い定め、権力を求めず雅に生きるという生き方もある。
 自分の器を知って、自分らしく生きる。
 それが人にとっての幸せなのだろう。

 ……………………………………………………………………………………

 その他の登場人物に関しては、呂宋助左衛門(松本幸四郎)。
「力を持つと人は変わります。手前はそのような無理無体に対して常に闘いを挑んで参りました。ルソンの道ばたに転がっているただ同然の壺を大名たちに高値で売る。これが手前のいくさでございます。この呂宋助左衛門はあらゆる弱き者の守り神でございます」
 反骨・反権力。
 自分なりの戦い方。
『黄金の日日』(1978年)で呂宋助左衛門を演じた松本幸四郎さん、まさか38年後に同じ役をやるとは思わなかっただろう。

 きりは愕然。
 信繁(堺雅人)とこんなやりとり。
「私は妻をめとることにした」
「早すぎやしませんか?」
「側室も」
「はっ!?」
 たかがやって来て
「そういうことになりました」
 すると叫んで、
「何なのよーーーーーーーーーーーー!」 ←そりゃ、そうだよね(笑)
 それと、きりは「私はどこでも鬱陶しがられますけど」と秀次に言っていたが、ネットで「ウザきり」と言われているのを意識してのせりふに違いない(笑)

 徳川秀忠と本多正純も出てきた。
 司馬遼太郎の小説では、本多正純は天海や金地院崇伝らと共に豊臣を滅ぼした悪徳謀臣なんだけど、そんな印象は受けなかった。
 違った描かれ方をするのだろうか?


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4 コメント

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秀次と女性たちと『黄金の日日』 (TEPO)
2016-07-18 18:18:04
>自分で自分を勝手に追い込んで自爆してしまった感じですよね。

最後まで「恐怖で心を閉ざしてしまった秀次の自滅」という線で一貫していましたね。
「高野山で謹慎」も「謀反の疑い」も外聞のための辻褄合わせだったとはまさに「新解釈」です。
ただし「三条河原」の史実は変えられないので、秀次に対してあれほど寛大だった秀吉が-「切れた」にしても-なぜ罪もない妻子たちを皆殺しにしたのかはちょっと不自然な感じがします。

他方、予想通りきりを救うために側室の話を自ら撤回し、期せずしてながら信幸の心を解きほぐすなど、秀次は優しい人物として描かれていたと思います。

ただ一人三条河原行きを免れたたかですが、今回の話を見る限りでは「信繁の側室」というのは救命のための便法だったようです。
しかし「紀行」で紹介されていたとおり、彼女は後に大名の奥方となる信繁の娘を産む「まことの側室」となるようなので、いつか日本に戻ってくるのか注目したいところです。他方、

>「何なのよーーーーーーーーーーーー!」
いかにもきりらしいと思いました。
彼女が信繁と結ばれるのはまだ先のことなのでしょうか。
おそらく「気がついてみればずっと身近にいた女性だった」といった具合に持って行くのだと思いますが、次回信繁が春を正室に迎えてからも「身近」にいるとすればどのような立ち位置になるのかも注目したいところです。

>『黄金の日日』(1978年)で呂宋助左衛門を演じた松本幸四郎さん
当時の名は「六代目市川染五郎」でしたね。
幸四郎さんの助左衛門再演はまさに『黄金の日日』のオマージュー巨大な夕日の映像は『黄金の日日』のOPそのままに見えますが雲の形が少し違うようです-でした。
『黄金の日日』は当時大学生だった三谷氏を魅了し、劇作家を目指すきっかけとなった作品だったそうです。

>反骨・反権力。
天下を取るまでは助左衛門の友であった秀吉が、天下を取った後はいわば「悪役」となった作品だったと記憶しています。
高橋幸治さんの信長、緒方拳さんの秀吉という配役は『太閤記』と同じながら、『太閤記』が秀吉を素朴に「国民的英雄」として描いていたのに対して、権力者となってからの秀吉の暗黒面を描くようになった草分けかと思います。
また、武士以外の視点による最初の作品であり、石川五右衛門や秀吉暗殺未遂犯となる鉄砲の名手杉谷善住坊のような「アウトロー」たちが主人公の友として登場するところなども斬新だったように思います。

もっとも本作では秀吉の死が近いようですので、『黄金の日日』以後定石化してきた「秀吉の暗黒面」はさほど強調されぬままに終わるのかも知れませんが。
大河ドラマ (コウジ)
2016-07-18 21:38:28
TEPOさん

いつもありがとうございます。

>なぜ罪もない妻子たちを皆殺しにしたのかはちょっと不自然な感じがします。

そうなんですよね。
僕もここが一番不自然でした。
秀次の方も、きりには配慮があったようですが、自分の自決が一族郎党に向かうことに考えがいかなかった様子。
信繁の「関白殿下は賢明な方だった」というせりふがちょっと説得力がありませんでした。
あとは、もう少し秀次が秀吉と腹を割って話していたら……という思いもあります。
「新解釈」にこだわり過ぎてしまったって感じですかね。

たかはこのままルソンに行って帰ってこないのか?幽閉の九度山時代に戻ってくるのか? 興味があります。
あと、きりとの顛末も。
振り返ってみると、こんなに側室にこだわった作品もありませんでしたよね。
主人公に側室というのは健全なお茶の間には不似合いなので攻めていますよね。

『黄金の日日』は、五右衛門の釜ゆでが印象的だったくらいで、ほとんど覚えていません。
後半は「悪役」の秀吉。「暗黒面」の秀吉。
そういうお話だったんですね。
それと三谷さんが、劇作家になったきっかけに作品でもあるんですか。

一方、『国盗り物語』だったと思いますが、高橋幸治さんの信長は完全にトラウマになっています。
あんなにインパクトのある信長はいなかった。
僕にとっては、信長=高橋幸治です。
Unknown (野良犬)
2016-07-19 19:43:24
今回の秀次事件…
おそらく國學院の矢部教授が数年前に発表した説(秀吉の命ではなく自ら自刃した説)をベースに秀吉と秀次のすれ違いから繊細な秀次がおいてめらいく様を脚色してますね。

矢部教授の説では秀吉の命ではなく潔白を訴えたるために自ら腹を切ったとするもの。
なぜあれだけ激怒したのかについては、秀次が腹を切った青巌寺は秀吉が母親のための菩提寺として建てたものでそこで腹切って血で汚してしまったためとしている
そして事態収集のために、秀次謀反をでっち上げて太閤記に記したのではないかと
なるほど! (コウジ)
2016-07-20 09:49:55
野良犬さん

教えていただきありがとうございます。
なるほど!
矢部教授の説は一本筋が通っていますね。
実に人間ぽい解釈です。

歴史の真実というのは当事者でないとわからない。
残っている資料や文献でも、筆者の主観が入ったり、利害関係者に都合のいいようにねつ造されている可能性がある。
歴史は個人が想像力を働かせて、自由に愉しめばいいんですよね。

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