乱愚雑記帳

わが鼓動とともに

宝くじという快楽幻想・果てない物欲と浪費

2017年01月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 

金銭感覚は人格そのものであり、また汗水流して稼いだ金と突如降って湧いた金とでは有り難さが異なります。どちらにせよ大金を手にすれば一般的に人は欲しいものから手に入れて行く物欲の法則に従い、的歓喜の時空へ浮遊し果てしなく浪費は拡大してゆく。これは私の物欲的欲望からの発想であり、その当事者になりたいという欲望が裏打ちされています。果てしなき欲望の資本主義の今日、われわれは貨幣と消費の生産経済サイクルに限りなく従属すされています。これは私の消費レベルをはるかに超えた物欲の世界を想像するおとぎ話のようなものである。「もし十億円が当たったら」という会話をよく耳にします。「宝くじが当たったらまず一千万円程度使い後はとりあえず貯金します」と冷静に答えた人もそれが現実になった途端、果てしなき物欲の世界で金銭感覚が麻痺状態になるのではないでしょうか。現代の若者世代は物欲がないと聞きますが果てしてそうでしょうか?目の前を爆音を轟かせ走り去るランボルギーニを無視するような視線の若者が億単位の大金を手にした瞬間どう変わるのか見ものである。人は稼いだ金額の大半を浪費するようです。まして突然の十億円という大金が現実となったらもうこれはもう夢心地の時空で浪費に浸るしかない。浪費』『蕩尽』を英語に訳すとwaste(ウェイスト)です。原義は荒廃した、不毛の;荒廃させる、消耗させるである。これがウェイスト・プロダクトwaste productになると産業廃棄物である。大金を手にし天国のような物欲消費の果てに産業廃棄物になりかねないのである。まさに金融資本主義そのものである。なんとも恐ろしくも羨ましい妄想であるが‥。私といえば浪費の果てに吟遊詩人にでもなればなどとロマンチックな見果てぬ夢を見る。なんとも哀れさえ感じる物欲の法則であるが、貯蓄もまた裏返せば自己をバリヤーで囲み、立ち入り禁止の張り紙をわが身に貼り付ける非浪費の浪費でもある。『エロティシズム』の著者、バタイユ的解釈を持ち出すまでもなく欲望の資本主義に従属する浪費は再生産への供儀(いけにえ)によりあなたの破壊的浪費によって別なる浪費を生み出してゆく。宝くじを買い求めることも、抱腹絶倒ミラクルな当選者が経験するであろう幸せなる浪費は生産と大量消費のサイクルのなかで物欲と浪費の法則そのものであり、それこそが宝くじにおける快楽幻想である。宝くじ売り場で見られる長蛇の列は、当選を夢見る善男善女であろうか。膨らみゆく宝くじ幻想のなかで、今年もまた「初春の夢破れたり宝くじ」でありました。狂喜乱舞する浪費、残念!


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