乱愚雑記帳

わが鼓動とともに

流れゆく雲に思いを馳せる

2017年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 

瞬く間に桜が散り、葉桜もわずかな本格的な春かと思えば、いきなり夏の気温である。つい先ごろまで着ていたダウンを圧縮袋に詰め、慌ただしく衣替えとなる。四季のある日本だが、「間引き季節」になったようです。わが家から僅かな距離にある東京タワーは初夏のような青空に、僕の日常的風景として凛然として聳え立つていた。この平和な風景に忘れ去られた数々の歴史が秘められている。1958年東京タワー(正式名称、日本電波塔)完成時、このタワーの真下にある心光院の住職が『電波塔』とは不謹慎であるとクレームを出し、当時のマスコミの話題になったものである。『塔』は言語学的には土塚(stupa)ストゥーバで仏塔・仏舎利の事というのが争いの理由である。また、このタワーの地で明治期に近代的な文芸評論家、詩人であった北村透谷が精神を来たし縊死している。戦時中はタワーの下に防空壕があり敵機B29が飛来する度に空襲警報が鳴り、タワー周辺の住民たちが防空頭巾をかぶり粘土層の横穴式防空壕へ避難したものである。タワーと写真中央の白いビルの間に文豪尾崎紅葉ゆかりの高級料亭『紅葉館』があったが惜しくも空襲で焼失している。中央の白い近代的なビルができるまでは海軍省の外郭団体として日本海軍省倶楽部『水光社』が焼け残っていた。戦後、米軍に接収され、米兵の社交場や宿舎として使用され、日本への返還を通告されたものの占領軍フリーメイソン(慈善・親睦団体)によって占領され続けた。この水光社で昭和18年に山本五十六元帥の国葬が行われ葬送の列は双曲線の坂道、飯倉交差点を通過して行った。タワーの下にある心光院には江戸後期の戯作者、滝沢馬琴の墓があり、隣接する瑠璃光寺には江戸中期の儒学者、荻生徂徠が眠っている。芝増上寺(徳川家菩提)から放射する光の道筋はこの世とあの世につながる異界の時空でもある。流れる雲に大いなる時の流れを感じ、忘れ去るものたちへのセンチメンタルな思いに馳せる。この風景のように、平和なる日々が続きますように。

Photography by ENDO HIRAO

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