乱愚雑記帳

わが鼓動とともに

ブログと言う独り言

2017年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

文章にならない言語記号を漠然とキーボードに打ち込む。何のあてもなく言葉をさがし求め、脳と指とが連動しこの不果実なる存在に戸惑っている。昨日の自分は惨めったらしく去り、今日の自分はうわべの言葉を並べ立て、明日も又、僅かに老化した身体からうすっぺらな無意味な言葉を打ち込むのであろうか。堕落し自己保身と演劇じみた言葉。奇妙奇天烈な仮面を被り言葉を打ち込む滑稽なる自分の姿が浮かび上がる。気怠い自分がやることときたらアイウエオと無意味な文字を打ち込むしかない今日の自分である。何のために言葉をキーボードに打ち込んでいるのか。仕方がない取りあえず目の前のパソコンの雑学からブログを書きましょうか。私の指先に直ぐさま反応する電子回路。パソコンに言葉を入力するデジタル行為、その利便性は最早、無意識化し何の抵抗もなく、強引に言葉の意味をつなげ合わす。この身体化するパソコンの歴史をさかのぼれば、紀元前2000年のバビロニアに至る。日本では縄文か弥生時代に十進法や手動式のデジタル計算機(そろばん)が発明され、1698年ライプニッツが二進法を考案し、現代のパソコンの礎を築いたのが1945年にフォン・ノイマンが考案したENIAC(エニアック)です。真空管17,468本で総重量27トンで倉庫一個分が必要であった。この真空管による電子計算機エニアックから七十二年後、私の机に置かれている小さなパソコンは27トンの巨大電子計算機よりはるかに計算力を持つ。筆記用具が指先となり、言葉はキ-ボードをひたすら直視し、言葉を探し求める。一向に進化しない頭脳。何もない時間が過ぎ去る。マシンと健忘症的な今日の自分。背後から「デジタルは止める!」という声が聞こえてきます。「パソコンで文章や絵を描くとは」反動が脳裏をよぎる。マシンと言葉だけしか頭に浮かばない。何もない空虚なる時間が過ぎ去る。現前のパソコンと身体。絵を中断された絵筆が古色蒼然と忘れ去られている。この生の不安に揺らぐ心象の痕跡を書き記したいものだが、くだらないことは止めよう。倦怠感が身体を覆う。食欲と物欲だけが際立つている。バビロニアでデジタル的な思考した古代人と私との差異とは?逆転する時間と文明。私はデジタル・マシンを所有しているだけで、小さな世界観のなかで記憶素子に囚われているだけではないか。文明の進化とは?知識だけでつなぎ合わせられない言葉。やたら自暴自棄に陥るブログと言う他愛のない独り言である。

Solitary red and blue and puple.

Illustration : HIRAO ENDO

 

 

 

 

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過剰なる欲望の果てに・暴走する世界

2017年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 

年々、地球温暖化による異常気象や地震災害が地球規模で起こっています。各地に甚大な被害を与えている豪雨と水害、旱魃(かんばつ)、凄まじいサイクロン、各国で頻発する自然災害と地震災害のニュースは後を絶たない。今年の日本列島は九州地方を中心として各地に集中豪雨が襲い、多くの河川が氾濫する異常気象の連続でした。自然災害は世界各地で頻繁に災害をもたらしています。荒ぶる自然災害に対し、ヨーロッパを起点にした卑劣なテロリズム、シリア紛争とISとの戦いや民族間紛争は絶えることがない。相次ぐ核実験とミサイルを究極のカードに執拗な北朝鮮の脅し外交に硬直する世界。自然災害と人災が絡まり世界は揺れ動いている。自然災害も人間の果てない欲望とエゴイズムがもたらすものであるならば、地震災害を除いてはすべては人災である。過剰なる欲望の二十一世紀初頭、暴走する世界。立ち直れるか人類!?

                   Illustration : HIRAO ENDO


 

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数人の指導者が人類を滅ぼす・歴史の教訓

2017年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 

   核で脅す北朝鮮。核保有国はだんまりを決め。核の傘で平和を維持する人類はどう見ても狂気である。先の大戦で核と言うパンドラの箱を開けた米国はその破壊力の誘惑に、広島、長崎へ二発の原爆を投下し、一瞬にして二十万人以上の市民を爆死させた。この史上最も残虐な過去の教訓も顧みず、北朝鮮は敵意をあらわに核への魔力に原爆製造に拍車をかける。一握りの独裁者のために人類は地獄と化した焦土をさまよい続けなければならない。第三次世界大戦は人類滅亡への最終戦争であるにもかかわらず、ミサイル、原爆実験成功の度に満面の笑みと怒濤の拍手の中で手を振る裸の王様がこの二十一世紀に存在するのだ。レッド・ラインすれすれに互いに罵り合うこの状況はどう見ても危険な局面である。だからこそ世界市民が手を携え各国の指導者に核廃絶と平和を訴えなければならない時です。現実と理想の硬い壁を突き抜け、非道極まる指導者を失脚させねばならない。人類の歴史はいつの時代にも一握りの危険な指導者の我欲に揺れ動かされている。

Illustration : HIRAO ENDO

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去りゆく季節に・時を思う

2017年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 

蝉の声がやみ、忍び寄る秋の気配が感じられる今日この頃、世の中のざわめきがやけに気にさわります。季節の変わり目、少々うつ気味なのであろうか。突き出た腹の上に疲れた両手を置き溜息を吐く。時間意識を哲学的に掘り下げたH.ベルクソンは時間を時計が刻む積算的なものではなく、内的な時間意識として『純粋持続』と定義しました。とは言え、時間と言えば時計の針を思い起こし、心臓の鼓動のようにカチカチカチと刻む微かな音に耳を澄ませ、生の存在を確認する。ベルクソンの内面的な『純粋持続』が、機械的に刻む時計の針に何故か物の哀れを覚えるのです。すべては過ぎ去り、膨大な過去の記憶が来るべき新たな存在を形成する。去りゆく季節に一抹の憂いを感じつつ。


TICKTOCK! TICKTOCK!

 アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson)18591018 - 194114日)フランスの哲学者。

ベルクソンは、これまでの「時間」は、空間的な認識であり、

本来分割できない空間意識を分節化したものであると批判した。

ベルクソンは、空間的な認識である分割が不可能な意識の流れを「純粋持続」と定義した。

これにより人間の自由意志について、「純粋持続」から本来の分節された意識を解き放す。

物理的時間概念から内面的世界観へ!

Illustration : HIRAO ENDO

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外国旅行者の視線・日本文化再考

2017年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 

  外国人観光旅行者が激増する中で、多くの外国人の視線が日本文化へ向けられています。日本語を流暢にしゃべる外国人や日本文化に魅了され日本に永住をきめる人など日本文化への好奇心が高まっている。西欧人における日本文化への憧憬は今に始まったことではありませんが、最近の日本文化通外国人に何故か日本人として気恥ずかさを覚えます。多くの日本人がまだ未体験の日本文化を外国人が積極的に体験してしまう昨今、これはいけないと図書館へ急行し、あれやこれやと日本文化の学習を始めた次第です。ユー・チューブを見て日本文化への憧憬を深め、工芸品から蕎麦や寿司の調理法を見よう見まねで、伝統的な職人のスキルを学ぶ欧米人が昨今話題になっています。膨大な情報量の現代において異国の文化様式を簡単に学びとれる時代なのです。机に向かって世界各国の美術館やリアルタイムに風光明媚な観光地を見学できてしまう。見えないものが瞬時に見えてくる情報時代のなかで、文化に対する意識が大きく変貌するのを感じます。仮想現実では満足できず日本へ来日する外国人が激増しているようです。戦後間もない少年時代に神田の古本屋で欧米文化を目を丸くして見ていた時代がグーテンベルグの世界のように思われます。あの頃から現在に至る時代の、見る事への変遷が脳裏の中で過去と現在がめまぐるしくうごめいている。現代のスマ−トホン一台で、1969年にアポロ宇宙船で二人の宇宙飛行士を月に送ったNASA全体の計算力を上回るコンピュータの進化に、われわれの文化に向ける感覚がいかにグローバルなものになったことかを痛感するのです。自然と科学の進化の対比のなかで、多くの外国旅行者の視線が人間の手で造り上げられた日本文化に注がれているのです。現実と仮想現実の境界が狭まってゆく科学万能の世紀で、いかに手触りのある本質的な文化を維持してゆくか、擬似的体験のなかで人生を終えるしかないとすれば、実に虚しいことではないでしょうか。日本人でありながら日本文化の真髄を知らないことに反省させられます。外国旅行者の目を通して日本文化を再考したいものである。同時に欧米文化を如何に理解するか、タイムマシンならずとも瞬時に世界各地の文化を見ることができる時代において、多元的文化への相互理解の世紀であってほしい。

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不倫は文化?!

2017年09月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 

国会議員と年下の弁護士とのダブル不倫スキャンダル。真偽の程はどうなのか?この不倫を庇うつもりもないが。何かと昨今の週刊誌は次から次とやりますね。議員も人の子、ふとした弾みの欲動もあるでしょう。不倫にこれだけ大騒ぎする日本は実に平和じゃありませんか。議員のなかにも女性を囲っている議員さんがいるようです。他人の恋路を兎や角騒ぎ立てるこの国の文化のレベルを考えてしまいます。それにしても週刊誌の記者の感は鋭い。他人の不祥事で稼がねばならない因果な仕事に同情さえ覚えます。某タレントが「不倫は文化」と名言していましたね。文化の違いでしょうかフランスなどで有名人の不倫は日常茶飯のようですが。不倫のテクニックが下手ですね。それにしても国会議員という身分を忘れてはいけません。純化された一夫一婦制から離脱した不倫の快楽においても美学が必要です。このブログでの不倫について、背徳的賛美の向きもあり、一笑に付してください。いけません、いつの間にか当方もテレビのコメンテーターのようですね。この国はやはり一億総白痴化現象なのでしょうか。(一億総白痴化:60年前社会評論家の大宅壮一氏が当時のテレビ・メディアの低俗化と大衆のテレビ依存性からの弊害を批判したもの)


       不倫という妖し気な欲望の仮面劇

              Illustration : HIRAO ENDO

 

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爆撃の記憶

2017年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム

 

世界が極めて危険な核の傘の下で平和を維持する現実のなか、北朝鮮が核とICBMを誇らし気に世界にアジテーションし、アメリカ同盟国に対して徹頭徹尾、挑戦的な暴挙を強行するこの独裁国にどう対処したら良いのであろうか。水爆実験に成功したとする北朝鮮に対して中国、ロシアは明確な圧力を行使しない。対アメリカとの微妙な睨み合いをしています。テロ国家北朝鮮に対抗する日本は日米安保に全面的に頼ることも出来ない。危険極まるこの現実の中で国連の安全保障理事会による北朝鮮への新たな制裁も、中国、ロシア常任理事国による熾烈な思惑により限界がある。アメリカは堪忍袋の緒が切れ、全戦力を挙げて北朝鮮への軍事介入を敢行する確立もゼロではない。その際、北朝鮮から日本本土への攻撃に対しどの程度の防御ができるのであろうか。テレビで元防衛庁幹部は防御に対し自信ありげな発言をしていたが、その信憑性に大いなる不審を抱くものでる。例えば、この防御作戦のシミュレーションを人工知能に計ったらどのような結果をもたらすか。多分、深刻な数値を叩き出すのではないかと危惧しています。幼少の頃に経験した先の戦争で日本へ飛来したB29爆撃機の凄まじい破壊力を思い出すと同時に、現在の破壊兵器との差を考えると背筋が寒くなります。空襲警報がJ.アラート(意味は同じ)と呼ばれている今日、子どもたちに戦争の恐怖を与えることは断じてあってはなりません。空襲の度に防空頭巾をかぶり防空壕に駆け込み、爆撃の恐怖に母親の膝にしがみついていた記憶はいまだに脳裏に深く刻まれている。底知れぬ人間の破壊本能になかば絶望視しています。

防空壕での爆撃の恐怖。二度と遭遇したくない悪夢である。

Illustration by HIRAO ENDO

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禁断の果実・欲望のメタファー

2017年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 

人類が始めて「見る見られる」ことに目覚め、裸体であることの羞恥心に身体を覆い隠した。身体全体ではなく互いの局部をイチジクの葉で覆うものであった。旧約聖書『創世記』の第三章の挿話、アダムとイヴが禁断の果実である『善悪の知恵の木』の実をヘビの誘惑にイヴがその実を食べ、アダムに分け与えエデンを追われた。神の禁断を破り限りある生命である人類の誕生である。楽園追放は、人間の快楽への原罪がこの聖典に多様なメタファーとして描かれています。禁断の実を食べ苦悩に満ちた人類は「見られる自己」を意識したエゴの誕生でもある。羞恥心に目覚め、性の象徴たるイチジクの葉で局部を覆い隠したこの聖典は、性を卑しいものとして捉えているが、裸体への概念や各時代の画家の感性によって描かれた絵画が異なるのは面白い。ミケランジェロの天井画ではイチジクの葉は描かれていない。この聖典の在り方に、快楽としての性の捉え方に人間と神の狭間で苦悩する聖職者の視線が見えてくる。当初、神がアダムとイヴを創造し、彼らに「生めよ殖やせよ」と呼びかけていたことを考えると、イチジクの葉で局部を覆う行為にこの聖典への矛盾を覚えるのだが。性のメタファーであるイチジクの葉に固執した挿話は妙に人間味溢れるものである。「見る見られる」関係性から発生した羞恥心から始まる文明の変遷を経て、やがて人間の果てしない欲望は底知れぬ暴力を生み出していく。禁断の実ならぬ核やミサイルは人類生存を断ち切ろうとする悪魔の手のなかにある。「見る見られる」の他者への視線は互いに憎しみ合う極めて危険な人類滅亡への破壊的レベルに突き進んでいる。人類は互いに敵視し合い欲望の限り禁断の実を食いちぎっている。未だ創世記の神の怒りのなかにあるのではないだろうか。

創世記、楽園追放のアダムとイヴから21世紀の今日。ミサイルが飛び交う現代の失楽園。

Collage by HIRAO ENDO

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去りゆく夏のセレモニー

2017年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 

蝉の鳴き声が弱まり、あちこちに蝉の亡骸(なきがら)がめだつ。日本全土に豪雨をもたらした異常気象の今年の夏の終わりを告げている。精一杯鳴き声を発し、力尽きてアスファルトの上に落下し、疾走するクルマの風圧に転げる蝉の亡骸あれば、落ち葉の中で息絶える蝉もある。よく見るとアリが群がっている。自然の見事なる循環過程である。蝉の亡骸にアリが長い葬送の列をつくり、自然へと葬っているようではないか。一抹の憂いと自然の絶えぬことのない力をそこに見る。都市と自然の生命力が向き合うこの情景に、自らを破壊する異常な人間の欲望的文明が浮かび上がる。この都市の木々に留り、甲高く響く蝉の声に忘れていた生命の尊さと、諸行無常、この世の儚さを覚えるのです。ああ、去りゆく夏のセレモニー!

Illustration by HIRAO ENDO

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敗戦の焦土とトウモロコシ

2017年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 

 敗戦の東京は一面焼け野原だった。困窮する衣食住のなかでも食糧が死活にかかわる必需品であり、親たちはその日の食糧を求め必死の買い出しに東京周辺の農家をめざした。今は亡き祖父がまだ東京タワーとその周辺が敗戦の焦土だった頃、トウモロコシの種を撒き見事なトウモロコシを実らせた。東京タワー周辺の焼け跡はこの辺りの住民のちょっとした耕作地でした。また畑の隣接地には毎日のように進駐軍のトラックから機材ゴミをお構いなく投棄していった。子どもたちがその廃棄物をすぐさま拾いあさっては、小遣い稼ぎにくず鉄屋に持って行ったものです。ぼくにとってこの機材のゴミはこの上ない玩具で、機材を組み立て意味不明なオブジェを作り楽しんでいました。飢えた日々が続くなかで、焼け跡から焼夷弾に焼け焦げたガラクタを集めては楽しみ飢えを耐え忍んでいたのです。B29爆撃機による連日の空襲そして惨憺たるの戦後をよくぞここまで生き延びたものである。親の苦労子知らずでしたが、ぼくを生かしてくれた多くの人の温情に感謝する今日この頃です。祖父が栽培したトウモロコシがなければ今の自分は存在しなかったかもしれないのです。少年の日につくったあの焼け跡のオブジェの感覚がぼくを絵画の世界へ向かわせたようです。そして今日、メタボリックな腹を気にしながら敗戦の焦土の記憶を想いめぐらし、七十二年前の飢えた少年がこの未来でお喋りをしています。

 

焼け跡だった頃の東京タワーの台地に実ったトウモロコシ。

この辺りの人々の命を救った。幻影の過去からのメール!?

  

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