ホームレス問題の変遷から見えること ~大阪希望館の取り組み~ 

2016-06-29 21:28:36 | 日記
 かつて連合総研調査研究プロジェクト「社会的困窮者・就労困難者の現状と各種支援策の効果に関する調査研究」の研究委員として、私は「住宅手当制度」の執筆担当をさせていただきました。

 2013年2月9日(土)、この研究のインタビュー調査を実施するうえで、ある大学の先生と一緒に私は、大阪希望館相談センター・NPO法人釜ヶ崎支援機構に訪問させていただいたのですが、そこで対応してくださったのは、沖野充彦さん(NPO法人釜ヶ崎支援機構副理事長兼事務局長・大阪希望館運営協議会事務局長)でした。大変興味深いことをお話されたことを今でも覚えています。少しご紹介させていただきます。

※さしあたりここでは、「ホームレス問題の変遷から見えること」に限定して紹介致しますので、研究調査の詳細をお知りになりたい場合は、「社会的困窮者・就労困難者の現状と各種支援策の効果に関する調査研究」をお読みいただければ幸いに存じます。

 
 沖野充彦さんは「ホームレス問題の変遷」について、以下のように語ってくださいました。

 まず、高度経済成長期から1990年代初めまでの話です。
 日本中から都市部に日雇い労働者が集まり、建設業界が下支えしていました。釜ヶ崎、山谷、寿など、いくつかの寄せ場が整備・形成された。寄せ場は日雇い労働者のまちとして、単身男性失業者の受け皿の役割を果たしました。当時は、若くて健康であれば肉体労働をしながら暮らしていけたと言います。
 職場の経験のある先輩から仕事の技術や生活の知恵などを学ぶこともできました。
知的障がいや発達障がいの疑いのあり、仕事もきつい様子の方もいたようでしたが、そうした方々も職場の社長や先輩も面倒を見てくれる環境があったと言います。
 つまり、働くことを包括してくれる、ある意味で職場がセーフティネットの機能を果たしていたと言うのです。
とても興味深い話ですね。
1990年代はじめになりますと、大型公共事業の縮小で建設業界の仕事が減少はじめます。
そこで多くの方が路上に放り出されるといった事態になったのです。

 次に、1990年代末から2000年代初めまでの話です。
 中小企業に勤務してきた中高年層がリストラや倒産によってホームレスになるケースが増えてきました。
 今まで働いてきた会社での待遇はあまりよくなったこともあって、それほどの蓄えがないために失業と同時に生活に困るといった人が多くなりました。

 2005年前後から今日までの話。
 派遣労働や非正規雇用の増加によって、職を転々とせざるを得ない若い方が増加します。それにともなって、失業後の次の仕事がみつからないとすぐに住居を失い、野宿へというケースが急増したのです。
 この頃から会社で求められることが多くなっていくことによって、高校を中退した若者や、知的障がいや発達障がいの疑いのある方などを受け止める機能が弱まり、排除されはじめてきたというのです。
 雇用システム、家族、地域という日本社会を支えてきた3つの要素が弱体化し、若者たちがちょっとしたきっかけでホームレス状態になっていきます。

 2008年秋のリーマンショック以降、大阪では派遣や非正規労働で働かなければ生活できない人が多い「ネットカフェ難民」と呼ばれた人たちの相談窓口であるOSAKAチャレンジネットに路頭に迷った20代~30代の若者たちが激増したと言います。

 行政が開設しているホームレス自立支援センターに入居することかできず、入居するのに2~3ヶ月待たなければいけないという状況でした。

 そこで、労働団体、宗教者、NPO団体、人権団体、社会福祉団体などが集まって、「野宿生活に追いやられる前になんとかしなければいけない」「行政の対応が遅いなら、民間でモデルをつくり、後で行政の対策を引き寄せればいいのではないか」という思いから、大阪市北区天神橋筋六丁目近隣地域に、支援拠点となる相談センターと借り上げ方式の支援用居室を構えた大阪希望館を開設したのです。

 大阪希望館の目的は、「誰も社会からこぼれ落とさないために、おおさかのまちを大きなセーフティネットにしていく」です。
①まちや大気を社会資源と位置付け、市民の力でセーフティネットワークをつくる社会運動。
②そのために、労働組合や宗教、民間を超えて協働した取り組みを行う。
③大阪市北区に開設した相談センターと支援居室をモデルとしながら、各地域にセーフティネット拠点を広げていく。
 運営費と支援経費はすべて民間資金、支援用居室はすべて民間の借り上げ。当事者に生活保護制度や住宅手当制度等からの経費を受けずに運営。すべて民間の力だけでスタートしました。

 画期的な取り組みですね。

 当初、大阪希望館は公的施策等につながるまでの緊急宿泊と食事、就労支援を主な支援策としてめざしてきたのでずが、年越し派遣村以降、集団生活保護申請を経て厚労省の対策が変化します。その結果、稼働能力のある若年失業者も大阪市で生活保護を受けることができ、自立支援センターにもスムーズに入居できるようになったそうです。
 その後、第2のセーフティネット呼ばれる7つの緊急対策が矢継ぎ早に打ち出されましたが、制度の枠におさまりきれない実態のある利用者が相談に訪れるようになり、包括的で継続的に再出発を支える支援、生活保護に頼らない別の支援等の必要性を感じ、「ひとりひとりに応じた道の支援」(居職心一体型パーソナルサポート)へと支援のありようが変化していったと言います。

参考文献
連合総研「社会的困窮者・就労困難者の現状と各種支援策の効果に関する調査研究」

 当法人のホームページは以下をクリックするとご覧いただけます。





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