南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆あれから52年

2017-06-15 22:23:57 | 生活

 3070 年末挨拶回りではないが、イスラムの年の暮れ挨拶を兼ねて、輸入原料の入手が困難になるかもしれないという、ちょっと、問題のある会社を訪問した。しばらくぶり、半年以上ぶりだ。ミトラ カラワン工業団地でした。ついでに、二社にパルセルを届けた。また、ついでに、レバラン休暇後に日本へ帰ると伝えた。大丈夫?と聞かれたが、私はいない方が大丈夫のようになっているから、大丈夫、っと、伝えた。この会社については、技術的、納期、品質では全く問題が起きていない。原料入手が難しいだけで、製品つくりは難しくない。

 

ということで、帰国まで仕事日は10日ほどしかないが、縁をきってしまうわけではない、また、1月には戻るが、とりあえず、1943年+22=1965年6月に押出部門の三交代の班長になった。経験なしで、いきなりである。以来、今日も押出部門である。2017年6月だから、52年になる。“ここまで一人で来たけれど、思えば遠くへ来たもんだ、この先どこまで行くのやら”、か。

http://otaenplaext.net/newpage132.html

基本的考え方として強調したいことを書いた。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%202.html

http://otaenplaext.net/newpage3.html

“隙間のローテク“として、プラスチックの押出成型を紹介した。ここには、私が手掛けた製品の紹介もしている。

 

終わりになったわけではない。とりあえず、半分にする。そういう契約にしてある。ダイレクターとしてのビザは来年3月一杯ある。ゴルフの生涯会員権もそのまま残してある。日本出張所にいるようなもの、戻ってほしいと言われれば、いつでも、戻る。現在、うまくできない時以外は、出勤しないで、在宅でも構わない状態だから、日本にいて、手伝いもできる。新しい製品の立ち上げは、今の設備ではキャパが足りない。何ラインか、増やしてからの話になる。それは、インベスターの判断だ。

 

 チバトゥインター近くのビル建設ラッシュは凄まじい。工業団地も、どこまであるの?と思うくらい、遥か彼方まであるが、ここの高層ビル群の予定図を見ると、ジャカルタ、スディルマン通も真っ青という感じ。通過するだけだが、高速鉄道はどこに敷かれるのでしょうか。

 ちょっとした歪のバンジール50cmくらいの深さで、バイクは通れない。

半分 帰国 いつまで


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