雪が降らない南の島

インドネシアで仕事をしながら悪戦苦闘とエンジョイを紹介しています。

(^_-)-☆頼んだら忍耐

2012-05-29 00:11:41 | 複雑

1230  先日、空港からの帰り、いつもの通り大渋滞、スリッピ ジャヤというショッピングモール。このモールは、あれから14年の98年大暴動の時に略奪された後、出口を封鎖されて放火され、丸焼けになって500人以上の犠牲者を出した。その悪夢をかき消すかのように再建、再開店は速かった。99年8月には今の状態になっていた。その時の痕跡は何もない。大いに賑わっている。

 タマンアングレックの派手な照明。始めてジャカルタへ来た人は渋滞にはまると同時にこのネオンを始め多くの光に出会う。どう思うでしょうか。美しい、大都会という印象を受けるでしょう。ゴミは見えないし、悪臭も感じないから。

トランスジャカルタの停留所までの歩道と歩道橋。

30日滞在延長のステッカーが貼られたパスポートを受け取ったのではなく、ワーキングビザの延長と同じように、スタンプの空欄にいつまで有効という手書きの日付があった。この制度を使ったのは初めての経験でした。80万Rp払った。内訳は分からない。

ところが、どうも、私のワーキングビザの申請が、私とはかかわりない理由で、できないらしい。その理由が、消えるのがいつになるのかはっきりしないらしくて、見通しがつかない。せっかく延長しても、その期間中にビザが習得できない状態になってしまったらしい。旅はできるが、見通しが立たないというのもつらい、私が原因ではないので、なお、歯がゆい。

 

プンダントゥが今朝やってきた。普通は、彼女と会うことはないが、今日、今月分の給料を渡して、来月からは、もう、来なくていいと言うつもりで、外出を控えていた。彼女がやってきて、一時間半ほど、床の掃除や床拭き、洗濯や食器洗いをし、ベッドメーキングをして、終わったから、帰りますと、言ってきた。家の前にゴミが散らかっているのが、気にならないのか、聞いたら、普通だという。ポリ袋にゴミを集めて生ごみを捨てる場所に一緒に出してほしいと頼んだ。カマールマンディの掃除をしてなかったので、それも頼んだ。他に直ぐ行かなければならないところがあるのか、私が頼んだことを乱暴にやって、これでいいかと聞くから、もう、いい、今月の給料だよと、90万Rp渡して、プンバントゥとしての評価は10万Rpでしかない、来月は、もう、他に人を30万Rpで頼んだから、もう来なくていいと、言ってやった。彼女、無言のまま、さっさと、去って行った。鍵については何も言わなかった。交換するつもりだ。

 

頼んだことで、了解されたことでも、頼んだ結果が思わしくない場合は、頼んだ先から、手を引いたり、手を引いてもらったりする決断をしなければならない。時期を見て判断をしなければならない。宙に浮いている状態が長いことは決してよいことではない。他に手段はあるのだから。

忍耐 限度 判断

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(^_-)-☆どうしたらいい?

2012-05-28 22:44:12 | 変!

1229 今朝、06:00過ぎゴルフ場の手前でサンライズでした。

ゴルフが終わって、昼食後、スーパーへ寄ったら、ドリアンが山積みされていて、開き具合と香りが調度よかったし、しばらく、食べていなかったので、禁断症状気味だった。一つ千円平均だった。家について、さっそく、開いてみた、タイミングは最高だった。Enak bangatでした。日本にいたのではこの味をこの安さで満喫することは不可能である。

 

 プンバントゥの給料相場は一週間に二回、一回が3時間程度で一カ月30万Rpです。毎日通ってきて、一日、やはり三時間程度、買い物や夕食の用意してくれる。それなら、1カ月、100万Rp(1ジュタ、9千円くらい)が相場です。プンバントゥとしての仕事の知識を持っていて、まじめに働いてくれることが前提です。

 ということを前提に考えているのですが、今、ちょっとした問題がある。元、キャディで今は、やめて専門学校へ通っているという(確認はできない)その資金の足しにしたいのでプンバントゥをさせてほしいと、先月待つに家にやってきた。学校の資金援助も念頭に入れて、一週間二回、一回が三時間程度、曜日は月木、何時から何時でもいい、という条件で、1ジュタにしてやった。ほとんど、援助金です。

 ところが、彼女、プンバントゥの仕事を満足にできない。ずっと前に書いたことがあるが、テフロンコーティングの意味を知らない、鍋やフライパンのコーティングを金属たわしで、剥がしてくれた。アイロンをかけるときに水をスプレーする。その役割を知らない。一般的に、匂いつきにスプレーを買ってきて、それを振りかけながらアイロンをかける。彼女、そのボトルが空になったから、買ってほしいという。私は、匂いが好きではないから、水を入れて使えばいいよ、と言ってやった。ところが、彼女、まったくその気が無い、使わないで、アイロンをかけているらしい、ゴワゴワのまま、畳んで仕舞ってある、私が水を入れてやって、これを掛けながらアイロンをかけたらそれでいいよ、と、教えてやったが、その後も使っていない、仕上がりは、ゴワゴワのまま。水をスプレーするのが主目的で、匂いは、ついでに付けているだけということを知らない。匂いを付けるためだけにスプレーするのだと思っているとしか思えない。

 選択の時に自動洗濯機に洗剤と洗いものを放り込むだけらしい。襟元や袖口やその他、時に汚れているところに洗剤を塗りこんでもみ洗いをしてから、洗濯機を回転させるという常識も持ち合わせていないらしい。全然、汚れが取れていないのに気にならないのか、気がつかないのか、どうにもならない。

 

 私の仕事机の上やプリンターの上に白い埃が付いている。拭く様子はまったくない。ベッドの下に埃がたまっているので、ベッドをずらして、埃がたまっている場所が分かるようにしておいたが、ベッドを位置を元に戻してくれただけで、床の掃除はしてくれてなかった。ポリ袋をゴミかご内側へ入れておいて、そのゴミ袋を縛って外へ出しておいてもらうことにしてあるが、やるのは、そこまでで、新しいポリ袋をゴミかごに取り付けることはしない。いつも、私が帰ってきてから、私が取り付ける。そういうことにも気がつかない。トイレの掃除はしない、ガレージの掃き掃除はしない。

 靴下のゴムの部分にアイロンを充分掛けてくれて、ゴムを溶かして締りが悪くなるように、広げてくれた。パンツも同じ現象になっている。

 

 衣服の収納の仕分けをしない、できない?下着のシャツ、Tシャツの区別がつかない、長ズボンと短パンの区別がつかない。靴下、パンツ、作業服、襟付きの半そでシャツ、Yシャツ、など収納するたびに置く場所が違っているので、同じ種類のものが1か所に集められていない。彼女に頭の中、どうなっているの?

 評価は一カ月10万Rpでしかない。その10Rpは、プンバントゥを始めて2回目の時、たまたま、私が家にいて、通勤費用に10万Rp前払いを頼まれて、渡してある金額です。

 どういう家庭で育ったのでしょうか、母親の手伝いはしなかったのでしょうか、母親がやはり、何も知らない人なのでしょうか、インドネシアの程度はこんなものが平均的なのでしょうか、これほどひどくないと思いたい。今まで、何人か使っているが、この人が最悪。

 Majelis Ulama Indonesia (MUI)イスラム急進派で暴力的な集団の脅かしで、警察が中止を要請した、レディ ガガのインドネシア公演は正式に中止になった。

 

お手伝い 匂いスプレー 汚れ落とし

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(^_-)-☆新築空港ビル

2012-05-27 22:32:21 | 習慣

1228 インドネシアで飛びぬけて有名な日本人は、誰か知っていますか。シェフ ハラダと言います。オカマスタイルのコックさんです。料理番組を仕切っている。バラエティー番組にも特別出演することもある。“イブイブー、バッパバッパ”という前置詞を付けてしゃべる。私にしてみると、奇妙な日本人です。しかし、インドネシア人と目線が同じ高さかちょっと低いくらいの姿勢で話をするのがいいと思う。インドネシア人の主婦に人気がある。いつまでもつか心配でもある。

 

 インドネシアの各地の空港のターミナルビルを新築中か建設中のところが多い。設計者は同じといえる、スタイルが同じ、屋根が波になっていて、波の大きさは同じ、波の数が多いか少ないかで規模の大きさが分かる。ブラウやパンジュン ピナンは建設中、今回のマッカサールやクンダリは既に真新しいターミナルになっていて、一見気持ちがいい。

 共通して気に入っていることがある。待合室にバッテリーチャージ用にコンセントが探す必要が無いほど、あっちにもこっちにもあること。HPのバッテリーチャージには大変便利です。それほどインドネシアはHP社会なのです。USBモデムを使ったインターネットの接続電波が強いことです。HPで、ネット接続も同じことです。

その点スカルノハッタの空港は遅れている。ま、各地の空港を新しくする前にスカルノハッタを何とかしなければどうしようもないと思う。何もかも、時代遅れ、アクセスを含めてである。

 ゴミの問題を消すためには、その気になっても。二世代50年以上はかかるだろうが、スカルノハッタを新しく作るには5年もあればできるでしょう。

 

 成田空港でコンセントを探すには困難、あることはるが、それはPCやHPの為ではなく、掃除機の為である。ネット接続電波も個人が使うものは電波が弱い、空港のワイアレスランは有料になっているので、使いたくない。ラウンジの中に行ける人はいいが、そういう人はネットなどやらない。サービスの改善意識を感じられない。

日本の列車や航空機のコンセントも最近ついているのを見つけることがあるが、着いていない座席の方が多い。何時間も車内や機内に閉じ込められて旅をしているのですから、勿論、ネット接続はできないが、文章を書くとか、何かを編集するとか、ゲームをするとか、できることをして、充実した時間を過ごしたい。

インドネシアの地方の新しい空港では待っている間、ずっと、それができる。

 

 おまけで、せっかく、新築したばかりのトイレの便器が何となく、磨り傷だらけ。白いプラスチックに細い線の傷が沢山、着いている。勿論トイレットペーパーは無いわけで、例の小さいシャワーで洗うのですが。様式とインドネシア式ではそのシャワーを使い勝手が違う。そこで、インドネシア人の皆さんはお尻を置く場所に足を乗せてしゃがむのです。傍に立って、体を洗うのです。そこで、こういう張り紙が貼られるのです。効き目はないようですが。

 

 ゲートナンバーを何と思っているのか、ボーディングパスに書いてあるノモール ピントゥと実際に通過するゲートナンバーが位置するかどうかは意味をなしていないようだ。機体がどこへ着くか、係員がどこから入れるかは、搭乗券に書いてあることとが一致しているかいないかはどうでもいいことなのです。

 

入れ物や機械装置や設備を新しくしてもそれを使う人が新しくないから、直ぐに壊れるし、故障するし、間違い操作は多いし、修理、メンテナンスができないし、色々、なかなか、難しい国である。

地方 空港ビル 便座

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(^_-)-☆旅の印象

2012-05-26 22:02:06 | 情報

1227 チカランへ戻った。旅の印象というよりインドネシアの印象です。インドネシア国内の旅をしていると、私が通常生活している地域ではそういうことはないが、車の燃料、ガソリン、軽油と家庭や道端のカキリマなどで使う、3KgLPGが不足していることが、深刻な問題になっていると感じる。ガソリンや軽油は道端で、ペットボトルで売っている、リーッター6000Rp〜10000Rpする。LPG3kgの標準価格は13000Rpだが、20000Rpになっている。ガソリンスタンドには長蛇の列、その中の何台かは、今、ボトルへ移してタンクを空っぽに近い状態にして戻ってきた車である。警察が取り締まるはずなのに、警察が仕切っていると、人々は言っている。

 

 インドネシア全体というか、チカランもジャカルタもその他の場所も、今回歩いた場所も共通していることがいくつかあるが、特に例外なく共通していることがある。どこを歩いても、臭い、悪臭である。生ごみが腐ったにおい。プラスピックを燃やしている匂い。本当に、ひどい、鼻を摘まんで歩きたい、思わず、しかめっ面になってしまう。

 ポカリスウェットがささやかにポーズで海岸の清掃をして、コマーシャルで流している。こんなポーズが商品の宣伝に使われるほどインドネシアのゴミは至る所にばらまかれているし、流れている、飛んでいる、移動している、自分でゴミを投げ捨てたことはないというインドネシア人はいないでしょう。

 

 ゼニアの新車を持っている運転手を使ったが、その車に、なんと、カーナビが着いていた。3ジュタでつけたという。インドネシアで始めて見た。ちょっと感動した。しかし、このスラウェジの田舎町の人がカーナビを必要というのが不思議。勿論、CDプレーター、USBメモリーのミュージックなど一般的な機能をある。そのカーナビだが、画面が変、海に沿って走っているのに、海が無い、その代わりに山がある。田舎のジャングルを切り開いた道は曲がって入るが一本道です。偶にわき道に出会う、しかし、その道はない。

 

 こんな田舎の町で、道が沢山あるわけでもないし、曲がりくねっていて、方角がわからなくなる、てなことも無さそうだ。何故、必要なのか聞いてみたが、客を案内するのに必要だと思ったからだという。都市のタクシーの運ちゃんではあるまし、この田舎町でいらないでしょうと思う。

  

 ホテルの朝食が私に合わない、全部、辛そうだったし、残り少なく、不潔に感じて、食べるのを止めた。外へ出てルマー マカンを見つけてそこで食べた。ブブールアヤム(鶏肉とお粥)とベベックゴレンをいただいた。テータパナスワール(熱い紅茶に何も入れない)込みお込みで、2万5千Rpでした。

 カーナビ ゴミ 燃料不足

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(^_-)-☆充分動いた

2012-05-25 13:53:33 | インドネシア

 1226 クンダリの街の中のホテルに入った。

 P,Labengka(プラウ ラベンカ)を一周して出発から3時間で戻ってくるためにMolawaの港から06;00に出発した。種を明かすと私が使っている地図は小中学校で共通で使う地理の教科書です。その地図によると、この島の周りに5個に島があるはずです。その島々を巡ってほしいと、漁船の持ち主に頼んだが、曖昧な返事だが、無理だと言っていることは分かった。地図を示して、この辺りまで一時間半かけて行ってくれ、そうすれば、港に戻るのが09:00になるでしょ。と、説明した。どうも、その説明を理解できないらしい。ポンポン船(インドネシアでも、ポンポンという、ちなみに船外機はヤマハという))のエンジンのけたたましい音と振動に中で大声を出しなお且つ、耳の傍で話を一生懸命するだが、わかってくれない。何となく、私の言うことが気に入らなくなったのか、機嫌が悪くなったような気がした。どうしても、わかってほしいので。紙に書いて説明をした。やっと、一番遠いところまでゆく時間とそこから戻って来る時間が同じだという、前提で話をしているのが分かったらしい。分かると、急に、聞いてもいないのに、家族の話しをしだした。私もホッとした。

 沖へ行くにしたがって、うねりが大きくなってきた・沖の方からそのうねりが向かってくる。次第に大きくなり、白波が立つようになってきた。船頭は慣れているから、平気だと思っていたが、どうも、相当心配になってきたらしい、戻りたいと言い出した。まだ、一時間も過ぎていない。島の向こうまではまだ15分くらいかかりそうだが、肝心な地図になる小さな島がないようだ、船頭に聞いたら、あることはあるが、こんなに近くない、もう、一時間は掛るという。そこで。船頭の緊張を解くために引き返すことにした。その代わり、島に沿って、島の北方にある小島を目指すように頼んだ。

 

その島に近づくに従って、今度は、水深が浅いから、その島を一周できないと言い出した。私が見たところそうは見えない。とにかく行ってくれと頼んだら。しぶしぶ、承知して向かった。そのうちの船の後ろの波が高くなってきた。他の子船もゆっくり進んでいるが、水を分ける波の異常に高い、こちらの船も、すれ違う船も、その波を受けてローリングが大きくなってきた。それで、船頭が言っていたことが分かった。そのうち、極端にスピードを落とし、竹竿を海底に指して漕いで進むようになった。50Cm位の水深だということが分かった。

 そのまま、漕いで、浅いところを通過したのが、出発してから2時間過ぎていた。そこから、一直線で港に戻った。一時間以上は掛るはずだったが、帰りは、波乗り状態だったので速い速い、40分くらいで戻った。Molawaの部落を沖から撮影したが、本当に小さな部落です。それでもテルコムのアンテナ鉄塔が立っている。沖からみると、海岸沿いの5kmくらい間隔で鉄塔が立っているのが見える。

 

09;30に迎えの車に乗ってクンダリへ向かった。14:00前に町の中に入った。海岸沿いに安いホテルと高いホテルがあるから、そちらで、ホテルを探そうと運転手が言う。スイスホテルへ行った。クンダリ一のホテルだという。値段を聞いてびっくり、シングル部屋でなんと、1,4ジュタ(一万三千円位)、やめた。次は安いところ、ゴールドホテル、15万Rp(約千四百円)、部屋を見せてもらったら、真ん中の通路の両側に4m四方の部屋があり、ダブルベッドが入るとすぐのところに置いてあり、その向こうの総ガラス張りの向こう西洋式のバスタブが見える。便座はその横に見える。明らかに目的がはっきりしたホテルである。インドネシア人もイスラムとはいえ、好きなものは好きなのでしょうね、地方の田舎のちょっとした町にこういうたぐいのホテルは必ずある。海岸沿いにケバケバシイ塗装をした、似たようなホテルが並んでいた。スマランの郊外の様子を思い出した。

 市街地に入って、ATHAYA(アタヤ)という並みのホテルに決めた。50万Rpです。

 島巡りは今にも雨が落ちてきそうな曇天の中でした。クンダリについて青空が見えてきた。午後、2時間ほど街をぶらぶら歩いた。信号が案外多かった、それも、機能をしていた、インドネシアの街にしては珍しい。ところで、四差路に横断歩道の横線がある。その向こうに歩行者用の信号が無い。私以外の歩行者はいない、向こうに警察官がいる、車は赤信号で止まっているが、他の方向から、車が来ている。向こうの警察官にゼスチャーでわたってもいいかと聞いたら、いいという。そこで、渡って、歩行者用の信号が無いから迷うよ、と言ったら、知らん顔をされた。

 

 今回の旅もそうだが、ビンタン島そうだった。停電が頻繁に起きる、時間での計画停電ではなさそうだ、時間が決まっていない。自家発電で直ぐに回復するにしても、いったん電源が喪失する。バッテリーが機能をしていないラップトップは一瞬でせっかくのデータが消えてしまう。ガッカリです。私は、常にUSBメモリーにコピーしながら、オペレートをしている。バッテリーだけで、3万円する。新古PCを安く買った。そして、二台持ち歩いている。

 停電 算数 ホテル

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(^_-)-☆動けず

2012-05-24 22:21:06 | 行動

1225 モスジッドは沢山あるが、スピーカーからの祈りの声は一日中聞こえてこない、遠くからも聞こえてこない。いいことだと思う。朝は鶏の声で起こされた。

雨季がまだ続いていると、地元の人が言うとおり、一日中降ったり止んだりで、外へなかなか出ることができなかったが、昼過ぎに二時間ほど、海岸を散歩することができた。この辺りには、何もないことも分かった。実に何の変哲もない、単なるインドネシアの田舎町です。クンダリから三時間もかけてくる日本人が珍しいようで、歩いていると子供ばかりでなく、大人までどこから来たと、人懐こいというよりなれなれしく話しかけてくる。海岸を歩いていると、浸食が進んでいるようで、砂浜が狭くなっていて、緑の岸まで波が打ち上がってくる。砂浜を歩けない個所の方が多くて、草むらの中を歩いていた。そのすぐ脇に、みすぼらしい家が並んでいる。その草むらは、その家の土地の一部なのか、公共のものなのかはっきりしない、ときどき、それらの家の庭のようなところを歩くこともある。干しものをしている女性は、何者?こんなところを、変な国籍不明人が歩いているのは、という顔をしているので、怪しいものではないと私から挨拶をした。

 

 海岸は浸食されて無くなってきているので、岸辺のヤシの木の根元も並みに洗われ、海側に傾いているヤシの木も沢山あるが、海岸の沿いに倒れてしまって波に洗われ、大きな根っこの塊だけが海岸にたくさん残っている。景観が台無しだが、自然現象だから仕方がないし、景観を大事にしてお客さんを予防などと考える人はいないようだ。もっとも、このくらいの場所は、インドネシア中どこにでもあるし、アクセスがいい場所も沢山ある。ワカトビというダイビングスポットがクンダリのずっと南の島にあるが、スピードボートで5時間かかるそうだが、その場所に対抗するような場所もこの近くにあるらしいが、積極的に開発する気もないようだ。

農業、漁業で自給自足の生活をしている、それはそれで、いいのではないかと思う。路端で魚を売っていた女性に旦那さんは船を持っているのかと聞いてみたら、この魚は、彼が朝、取ってきた魚だという。沖の島の方へ行ってみたいが、船を出してくれないかと頼んだら、旦那に電話をしてくれて、旦那は引き受けてくれた。天気が問題だが、とにかく、明日、早朝、出かけることにした。

 

 田舎で雨で車もない、どうにもならない。

我慢 変な人 散歩

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(^_-)-☆クンダリくんだり

2012-05-23 22:31:44 | 旅行

1224 南東スラウェジのモラワ(Molawa)という東海岸のプンギナパンにいる。地図は間違えている。

ここで何をしているかというとまだ何もしていない。18:00(バリと同じでジャカルタタイムより1時間早い)頃、この町へ着いた。何故ここへ来たかというと、クンダリという名前の町があるのをインドネシア人から聞いていて、海がきれいだと言っていたので、来てみた。クンダリは最後の日に見て回るとして、二日を海のそばで過ごそうと思って、空港のインフメーションで聞いたら、北の方に海岸の奇麗なところがあって、ホテルはないがプンギナパンはあるというので、タクシーの運ちゃんに行くように言ったら、45万Rpだという、約100Km、3時間かかるという。それで、OKしてここにきている。

 

 実は大変だった。4:00に家を出て、空港へ向かった05:30には空港へ到着した。ライオンのカウンターへ行ったら、予約されていないという。しばらく待ってほしいと言い残して、担当者がどこ変え行ってしまった。そのカウンターで10分ほど待った。後ろについていた人が、ぶつぶつ言いながらいなくなっていった。担当者が戻ってきて、お助けカウンターの方へ行ってくれという。其方へ移動して、また、10分ほど待っていたら、別の男の担当者が来て、手違いで、8:15のフライトには乗れないので、06;00がまだ、出発していないから、06:00でいいかと聞いてきた。間に合うならいいよと、答えた。もう、06;00を過ぎていた。それから、また、10分ほど待った。その間に、私の他にもう一人同じ事情の人が私の隣へやってきた。あなたもクンダリか、という話なった。それから10分待った。今度は同じ担当者が、06:00のは出発してしまったから、8:15発でバリクパパン経由の便か、直行便があるので、どちらかにしますという。私はどちらでも、とにかく、目的地へ着けばいいのだから、承知した。それから、また20分ほど待った。その間に同じ事情の人が10人ほどになった。その人たちにも同じ説明をしている。私は、この、込んでいる時期にこんなに大勢の人をミスブッキングにしてしまったのも変だし、代替えのフライトに空きがあるとは思えないので、言っていることが変だと思いだした。それから、また、20分ほど過ぎた時には、20人以上になっていた。問題のE−チケットがカウンターにどんどん増えてゆく。そのうち、一人の男性が切れだした、もう一人の女性も切れだした。もっと上の人間を呼んで来い、と言い出した。こんなところで、1時間も待たせておいて、まだ、搭乗券をいつ受け取れるかの返事もない。何とかしろ、という感じ。

 8:15のフライトなのに7:15を過ぎていた。やっと、別の女性が現れて、PCの故障で、皆さんのボーディングパスを発行できない状態になっていたのが原因でした。今から、至急、手書きで、作りますから、その間、ラウンジでお待ちくださいということになった。ラウンジへぞろぞろと皆さんと移動した。それから、20分後にやっと、手書きのボーディングパスを渡された。一番、最初にE−チケットを私が呼ばれたのは一番、最後でした。チケットが一番下だったのです。そんなことにも気を使っていない。

 それからおまけがあって、皆さんはワンウェーなのでしょうか、E−チケットを受け取っていない。私は往復なのでE−チケットを返しと貰わなければ困る。それを、言ったら、あわてて,とりに戻った。やっと機内の人になったのは08:00でした。

 

 マッカサールでトランジット、機体も変わる。トランジットデスクでボーディングパスの新しいものを受け取った。ピントゥ3ですと、念を押されるように言われた。新築ターミナルの一方の端でした。搭乗のアナウンスがあった。ところが、ピントゥ6からと言っている。変だと思った他の人が確認した。6が正解。また、一方の端まで移動した。それも、皆さん急いで移動した。搭乗のアナウンスだったからです。ところが、6番ゲートの部屋にはいいたら、まだ、搭乗の段取りにはなっていなかった。皆さん、立ったまま。また、10分以上待たされた。

 ジャカルタからクンダリ行きの皆さんはライオンエアーに好いように、遊ばれた感じでした。そりゃ、怒る人もいて当然だよ。

 ジャカルタの中心の上空を通過した。このルートも珍しいが、スリッピ、グロゴール付近、JLスディルマンやタムリンやモナスをこんなにはっきり上空から眺めたのは初めてです。

とにかく、クンダリくんだりまでなんとか着いた。

遊び 怒り 忍耐

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(^_-)-☆普通の生活

2012-05-22 22:18:16 | 環境

 1223 皆既日食、金環日食、堪能できましましたか、インドネシアのテレビでも東京などの様子を放映していました。
 ワーキングビザの申請が延び延びになっていたが、整って、プロセスに入った。遅くても二週間以内にシンガポールで習得することができる目安がついた。今度が最後のシンガポールで取得になるでしょう。
注文をしてある装置の進捗状況を眺めに行ってきた。場所はチビトゥンだがコタチカランに近い。押出しの金型や装置はインドネシアローカルの中小企業で充分、用を足せる。日本や中国から買う必要などまったくない。今日も予定通り進んでいて、来月の第二週には試運転して、性能を)確認できる状態までになっていた。私は仕事をしていないが、眺めているだけで、確実に前進をしている。
 ということで、仕事の話ではなく、またまた、渋滞を避ける話、チビトゥンへ向かうときには、高速を使って、MM2100と反対側に降りて、行く。目的の会社までは並みの渋滞がところどころにあるだけで、順調でした。しかし、ジャカルタ方面行きの高速はチビトゥンまで順調だったが、帰りの方角(対向車線)は、相変わらずの大渋滞を確認していた。また、チビトゥンから高速へ入る道は一般国道から完全に車で埋まっていた。目的の会社からチカラン方面に戻るには、チビトゥンのインターへ戻って高速を使う選択肢はまったくない。この前のこと、懲りているので、ジャラン カリマランを使うこともしない。国道を東に向かってコタ チカランへ入った。其のあたりは当たり前の渋滞だったが、ラマヤナ辺りから、車が進まなくなってしまった。耐えて、そのまま直進し、ジャバベカ1方面へ行く手もあったが、対向車が来ない、これは、道が塞がっているなと呼んで。なお、東のルマーアバンを通ることにした。三角形の二辺を選んだのだから、距離は長くなるが、渋滞が少ないことを願った。ルマーアバン駅の踏切からジャバベカに向かった。それからは、ジャバベカゴルフからリッポチカラン方向と同じ道を通るだけ、他の道を使った場合と比較はできないが、渋滞の中にいる時間はかなり短いと確信する。
 リッポチカランではなく、コタ チカランの雰囲気です。チカラン バラットのインターからジャバベカを過ぎて、そこまでの距離の二倍以上先にあります。リッポチカランのように計画的につくった街ではないので、雑然として、インドネシアらしい、この町では、日本人は暮らしてゆけないでしょう。

 普通 並渋滞 国道

 

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(^_-)-☆汚職はハラム

2012-05-21 21:27:15 | 欲望

1222 イスラムで食べてもよいものやってもよいことをハラルと言います。食べてはいけないものやってはいけないことをハラムと言います。ご存知のように豚肉はハラムです。ハラルの表示はどこでも、なんにでも見ることができますが、ハラムのマークがあるものを私は見たことがありません。ハラムの表示をした食品を売っています。豚肉も売っています。しかし、ハラムのマークは有りません。

 

ところで、面白いコマーシャルというか宣伝をやっている。マジックショーの舞台に三人のマジシャンが登場、エジプト人と日本人とインドネシア人です。先ず、エジプトの映像が映し出され、一瞬の内のその映像から、大きなピラミッドが消えてしまう。次に日本の映像が映し出される。その映像から、一瞬に富士山が消えてしまう。それぞれ、パラパラと拍手。今度はインドネシア人が目の前の箱に積まれた書類を一瞬のうちに消してしまう。観客総立ちの大拍手、その箱にはKOREKSI(汚職)と書いてあった。

 レディ ガガの公演はインドネシアにとって、セクシー過ぎて危険だとイスラム急進派や警察の反対で、中止させられたが、論争が起きていて、公演の復活活動も起きている。

コンパスの見出しには、汚職とレディガガとどっちが危険?汚職の方がはるかに危険だろ。と出ていた。

 元ミスインドネシアのアンギェリーナ ソーダという国会議員が先日、汚職で捕まったという話は書いたが、そのご本人、その一年ほど前には、俳優から国会議員になり、スポーツ関連議員として活躍していたハンサムなご主人が心臓マヒで急死した。悲劇のヒロイン、けなげに、彼の前妻レーザ(有名歌手で上田正樹とのディユット曲がヒットした)との間の子と自分の幼子を抱えながら国会活動をしていた。コマーシャルのも起用されて、セイノードラッグ、セイノーコルプシと言いながら、親指を下へ向けていた。そのご本人が汚職で捕まってしまって、最近,拘留が延長された。

 

 ナザルディンやヌヌンという、ちょっと有名になった国会議員や国会議員の妻が裁判中、別の汚職時間だが、共通点は、追及されると感じて、外国へ逃亡したことです。一人はマレーシア一人はチリで捕まって、インドネシアへ引き渡せた。捕まってもにこにこしている。裁判でも悪びれた様子はなく、拘置所でのようすも、身内大勢と面会して楽しそうな様子がニュースで流されている。

 カラワン ティムールインター近くのPT.オーマンバの日本人社長が逮捕された。労働争議関連の裁判で、裁判官にアンダーテーブルを渡したという理由です。氷山の一角というか、どこでもある話というか、当たり前にお金を渡したからでしょう。当たり前にアンダーテーブルを渡すことだらけです。ベアチュカイ(税務署、税関)の職員には会社へ来た時には必ずある程度の金額を渡します。ペナルティーを要求されたときに、その金額を鵜呑みで渡すのではなく、たとえばの話ですが、要求された金額の四分の一をその職員に渡し、ペナルティーを四分の一にしてもらうのです。納める金額は最初、要求された金額の半分になります。個人が受け取った四分の一はその事務所の配分比率に従って何人かで分けて受け取ります。そういうシステムが固定しているのです。環境省にしても、警察にしても、労働省にしても、全てのチェックに関して、いくらかの手土産的金額を渡します。各種申請も全て既定の手続き金のほかにその倍くらいの金額を渡します。

 エージェントを通す場合も、そのエージェントからアンダーテーブル支払いの金額が上乗せされて見積もりが出されます。

 警察による、バスウェーを走っている一般車の取り締まり、この罰金は全部,自分たちの懐へ入ります。

パサラヤブロックMの脇を通る自動車専用高架道路、これも予算の半分は工事以外に流れているはずです。

 汚職 公務員 コルプシ

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(^_-)-☆斜陽のブロックM

2012-05-20 22:02:44 | 環境

1221 パパヤで買い物をしたが、帰るにはまだ早すぎる。

明るいうちにブロックMの中を歩いてみた。パパヤの入口のちょっと奥の左側に駐車した。というのも、中の方へ行ってしまうと駐車する場所がないかもしれないので、入口近くても、空いていれば、そこへ止めてしまった方が、無難だからです。車を降りて過ぎに右に曲がった。左の角に新築の建物がある、なんだろう?その先、右側に川奈の看板が見える。昔、アユがあった場所はトコウマス(貴金属店)になっていた。鳥勝の前に、昔会ったことがある車の整理をしているおっさんが椅子に座って物思いにふけっているのに会った。何をしている?と話しかけたら、逆に、何をしている?と、聞かれてしまった。2000年頃にはよく来たことがあるが、今は、全然来ていないので、久しぶりの様子を見に来たと伝えた。そうすると、べらべら、しゃべりだした。

 先ず、以前はよかった、日本人が、どんどんきて、チップも沢山くれた。今は半分になったしまった。カラオケの店も減ったし、日本食レストランも少なくなった、経営者が変わって、名前も変わったところもあるが、客の数は少ないままだ。原因はブロックMスクエアーができたことだという。その客の為のバイクの駐車場が大幅に面積を増やしたことです。おそらく、車の駐車場の面積は2000年頃の三分の一になっている感じがする。それに、歓楽街には似合わないコンビニやトコウマスが新装オープンしている。韓国系のカラオケは無くなってしまった?とも言っていた。一回楽しむのに今は1万5千円はかかる。

何より、リッポチカランやリッポカラワチの新しい沢山の日本人や観光人向けの歓楽街ができて、わざわざ、ジャカルタまで来る人用が無くなった。この、おじさん、そういう事情をよく知っている。10年後には、日本人向けの歓楽街ではなくなると断言していた。

 

 パパヤの次の入口の右側にセブンイレブンが目立っていた。一等地に進出している。流石だと思う。その前の道は、昔は車、今はバイクに占領されている。変わり具合の象徴だと思う。以前、焼き肉千里があった通りも車の駐車スペース半分になっていた。そこはブロックMスクエアーの方を向いていて、雰囲気はそちら側になっていた。左へ左へ曲がって丸福のある通りに出た。振り返れば、やはり、サークルKやスクエアーの建物である。タイチャンラーメンの客も激減だし、レストランユキもこの中では老舗中の老舗だが、経営は大変だとか、カラオケユキ1、ユキ2はだいぶ前にクローズしたそうだ。モンやシキの並びとその向かい側のカラオケは全部なくなっていた。間口が狭い、日本食レスランに変わっていたが、どう見ても立地条件は良くないと思う。いつまで、持つでしょうか。ボーティクエ?ホテルなるものが目立っているが、どういう人種が利用するのでしょうか、場違い、雰囲気に合わない感じがする・ユウジロウやキューリ、チャンティックトーキョーの並びが、昔の面影を残しているが、この辺りが、壊されて近代的な建物ができてしまえば、2000年ころの面影は消えてしまう。商社や建設会社の招待を筆頭に、出張者が来れば、必ず、連れて行ったころの雰囲気は無くなった。

 日本の景気とインドネシアの景気の縮図がここにあるような気がする。

18:00前にはブロックMから出た。パサラヤの危険だと言われた駐車場が平地になっていて、その向こうの道の上に高架の自動車道を建設中だった。既に薄暗くなっていた。家に着いたのは19;00順調でした。

 

 落日 面影 今は昔

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