25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

責任の曖昧さ

2016年09月18日 | 社会・経済・政治

 例えば、学校の教師が間違いを起こした場合、謝るのは校長や教育長である。大の大人が堂々と謝罪しない。

 日本にはなぜか責任の所在を曖昧にしてしまうところがあり、僕にはみっともないことに思える。

 豊洲の問題も、責任のなすりつけあいがはじまりそうだ。都議会のドンと豊洲市場の電気工事会社との関係や、談合らしき落札率などを見ていると、なにか怪しいと思う。小池知事が大汚染浄化をやってくれるとよい。

 富山市の市議会の詐欺議員たちは、どのように野々村元議員や舛添元知事の問題を見ていたのだろう。我が身に及ぶことも考えなかったのだろうか。借金大国の国で、何を考えて税金や交付金の使い方を討議してきたのだろう。政務調査費など本当にいるものなのだろうか。60万円の月給を70万円にするというのもいかがなものだろうか。まして富山市42万人の市に40人もの議員が要るものだろうか。

  市町村の議員はボランティアと考えている国もある。

 日本も抱える問題が多くなってきた。外国との関係、地方政権与党の腐敗、困難な財政問題、人手不足というのに、10兆円の追加経済対策、輸出業者への手厚い支援をしても、2%の物価上昇もできない。さらに消費者にはさほど買うものもないし、老後不安のために節約志向となる状況。

 もしも、安倍政権が失敗したら、責任は退陣というだけである。責任はその程度である。腹を切るくらいのことを考えてもらいたいものだ。

 今回の東京都の様子をみていても、天下り先が多いのにも驚く。

 経済成長主義という価値観や政策観はそろそろ検討されなければならない。尾鷲で言えば、地場産業を叫ぶのが虚ろであるのと同じようにである。

 

 

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