25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ビートたけしの映画とフランス映画

2017年11月22日 | 映画

 どうしてビートたけしの映画がフランスで人気があるのか。この前2972年作品のアランドロン主演の「Big guns」を見てわかるような気がした。アメリカ映画と比較するとよくわかる。アメリカ映画は明るさと荒唐無稽さがある。アクションものでは不死身であり、結果よしよし、である、

 フランス映画はどうも結末にショックがある。滑稽味はなく、じっと暗い。殺すタイミングなどはウム言わさず瞬時である。殺し方にもフランス映画は工夫がある。アランドロンは無口な殺し屋だった。息子のためにこの仕事をやめようとする。組織はそうはさせない。生身の人間として闘う。これはたけしの映画でも同じである。

 「髪結いの亭主」という奇妙なフランス映画がある。この映画は前にも紹介した。髪結いの女と知り合い、仕事をせずに、ひたすら店にて女房の立ち居振る舞いや仕事ぶりを見ている。結末は意外であり、解釈不可能である。う~ん、と唸ってしまい、考え込んでしまう。つまらない映画だったら考え込むおことなどしないのだが、映像に引っ張る力があり、最後の1分前まで興味深いのである。それが最後の1分で、あっと言わせる。フランス映画でよくみる手法でもあると思う。

たけしの「アキレスと亀」も奇妙な話だった。この雰囲気もフランス映画っぽかった。

 ロンドンにいた頃、上の階の部屋にいた日本人の男が、彼女持つんならフランス女だよ、とぼくによく言っていた。そしてついにフランス人の彼女ができて、しばらくして日本に帰って行った。フランスの女と日本の男は相性が合うんだよ、というのが彼の持論だった。奥ゆかしさもある、と言っていた。本当なのか、と今もわからない。

 たけしの映画「アウトレイジ」はほぼ同じ雰囲気であることで、昔のその話を思い出した。何なんだろう。





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