25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

保守とリベラル

2017年09月08日 | 社会・経済・政治

 民進党の混乱が続き、北朝鮮問題で騒いでいる中で、加計学園は今治市を訪れ教員確保を報告し、議員からは何の質問もないまま、準備は着々と進んでいるようである。水増しの見積書は検証されなければいけないし、記録なし、内閣府には捜査の手がはいらなければならない。

 森友問題でもイタリアの日本大使館に公使になって転勤した安倍昭恵の御側用人も国会で疑惑を追及されなければならない。

 また、税金を盗み取ることが可能となる政務活動費につてチェック機能が果たせられる法律や条例ができなければならない。国民は節約に節約を重ねて、将来の不安も払しょくされないままでいるのに、その国民から搾り取った税金を加計学園や市町村議員や県会議員などに詐取されるようではこの国はまともではない。いずれ、再度これらの問題にきっちりとケリをつけることを期待する。

 山尾志桜里議員は練りに練った言葉で釈明と離党の会見をした。その姿と物言いは、泣くことを耐え抜いた感があった。三日の日の早朝、突然に文春記者に突撃インタビューを受けて、頭がパニックになってしまい、目は泳ぎ、言葉が出ず、やはり人生の経験のなさ、学力だけで来た人間の脆弱さを見た。脆弱さを見たが下半身はメスであることも週4日の逢瀬ということで、国民に目に見えるようなイメージを与えた。それが嘘なら、文春を訴える声明をだすべきであった。それがないということは事実だったということだ。「男と女の関係はない」と断言した。それもあり得ることだろう。誰も見ていないから。しかし、法律の専門家であるなら、「みなされる」ことは知っているはずである。

 おかげで、民進党の再挑戦である補欠選挙もあやうくなった。すると、民進党が分裂しかねず、そんなことがテレビで毎日報道され、いつの間にか、森友、加計、日報問題が遠くへ押しやられていく。国民が安倍政権をここまで追い詰めたのに、である。

 今の日本国には、保守とリベラルがはっきりした形で存在してほしいと思う。前原党首は保守の政治家である。小池百合子も保守の政治家である。あまり保守とは何かよくわからないが、日本の伝統や文化の蓄積の基づいている政治を行いたいのかもしれない。政治的には「アメリカべったり」「日本会議」「経済成長主義」であるように思える。リベラルとは何かと言えば、「なるべく格差を生まず、税の再配分、福祉や教育を重視を主張する、ということだろうか。

 もうひとつ言えば、共産党は名称を変え、綱領を変えてリベラルに近づくとよりリベラルが鮮明になってくる。最も大切なことは戦争をしない、させない、国民を巻き添えにしない、ということだ。この点でも鮮明に区別ができればよい。



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