25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

安井かずみと岩谷時子を紹介した番組を見た

2018年02月15日 | 音楽 ポップス
 昭和14年生まれの作詞家安井かずみと大正5年生まれの岩谷時子を紹介した番組を見た。女性の作詞家でともにヒット曲に恵まれた。共通しているのは外国の曲を日本語歌詞にするのが出発だったことだ。
 彼女らが作る歌詞は古さを感じさせなかった。いまでも十分に通用する歌詞である。
 安井かずみは生き方も派手で、ファッショナブルで最高級なものや才能を求めた。煙草を吸い、酒を飲み、六本木で遊ぶことも好きなようだった。八歳下の加藤和彦という作曲家とついには再婚して、完全な結婚生活を目指したという。肺ガンだとわかり、加藤は一年間の仕事を取り止め看病にあtたった。裕次郎やひばりのように凝縮して、あるいは短縮して人生を駆け抜けたように思える。いつまでも美しくありたい、一流のものに触っておりたいといような美的感覚に支配されていたのだろうか。どんなに注文がきても、時間は守り、最後にはきちんと清書して手渡していたというから、き真面目で、結婚生活すら本にしてしまう異常さがあった(とぼくは思う)

 あれだけ完璧な結婚生活を送り、対外には旦那をたて、内では夫のうえに君臨していたらしい。
 夫の加藤和彦はなんでもこなす器用人だったが、安井かずみが死んでから一年ほどで日本人オペラ歌手と結婚し、やがて離婚し、そして自死に至っている。

 一方の岩谷時子は宝塚からも乞われ、腰地吹雪のマネージャーとなり、越路吹雪が独立してからも、マネージャーを辞めなかった。マネージャーをしながら次々と世に残るような歌詞を書いた。ファッションはあきれるほどに安井かずみとは対照的で、地味そのもので、眼鏡も外さなかった。越路が55歳、胃ガンで死ぬまでマネージャーを続けた。唯一無二の愛する越路が結婚してから、岩谷の理性は、親友のプライバシーには踏み込まないという姿勢をとったという。
 そしてやがて本田美奈子を見いだし、本田は成長するが、残念にも若くして死んでしまった。
 岩谷時子はいつも客観的に、人との距離も感情的にならず、べったりともせずほどよい距離で越路や本田、加山雄三などを見ていたのだろう、とぼくは推測する。夜遊びもしなかったようである。
 彼女は97歳まで生きた。これは自身の体力のこともあるが、人との関係の取り方が上手かったのが一番の要因ではないかと思う。
 英語とフランス語ができた二人はネタを探すにも事かかなかったことだろう。おそらく濾過する力量があったのではないかと思う。
 それにしても、明暗のように、表と裏のように感情の突っ込み方の違う二人を題材にしたこの番組は面白かった。安井壮絶さと岩谷の愛と哀しみをよく表していた。