Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ビェロフラーヴェク追悼

2017年06月03日 | 音楽
 ビェロフラーヴェクの訃報に接し、驚くばかりだ。享年71歳と聞くと、それなりの年齢かとも思うが、その音楽の清新さや、指揮者としてはまだこれからの年齢であることを思うと、やはり突然という感を否めない。ご冥福を祈るばかりだ。

 ビェロフラーヴェクは日本フィルの1974年の春のシーズンに初登場した。当時は一人の指揮者が連続して2か月分の定期を振ることがあり、ビェロフラーヴェクも5月と6月だったか(当時の記録がないので、確かめられないが)、2度の定期を振った。メインのプロは、初回がブラームスの交響曲第1番、2度目がドヴォルザークの交響曲第8番だったと記憶する。その他、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」も入っていた。

 わたしはドヴォルザークの交響曲第8番に鮮やかな印象を受けた。まだ大学生だったわたしは、翌日大学に行っても、頭の中はその演奏が鳴りっぱなしだった。今でもその感覚が残っている。

 わたしはそのシーズンから日本フィルの定期会員になっていた。アルバイトで稼いだお金で一番安い席を買った。大学生の分際で贅沢だとは思ったが、音楽への情熱を抑えることができなかった。日本フィルを選んだ理由はいくつかあった。今それを詳述しても仕方ないので控えるが、ともかく分裂直後だった日本フィルを選んだ。

 ビェロフラーヴェクの名はまったく知らなかった。おそらく当時はほとんど無名だったろう。その少し前に、苦境に陥った日本フィルをチェコの名匠スメターチェクが振り、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」で名演を残したことが報道された。そのスメターチェクがビェロフラーヴェクを推薦したという話があった。

 以後、ビェロフラーヴェクは日本フィルを定期的に振るようになった。わたしは中でもマルティヌーの交響曲第6番「交響的幻想曲」に感銘を受けた。そのときの演奏の様子は今でも目蓋に焼き付いている。

 ビェロフラーヴェクはチェコ国内でも重要ポストを歴任したが、むしろイギリスのBBC響の首席指揮者で成功した。チェコの音楽家のイギリスでの成功というパターンが、ドヴォルザークに重なって見えた。

 ビェロフラーヴェクは1974年の初登場のときから、清新な感性と伸びやかな音楽性で際立っていた。それらの特徴は晩年になっても変わらなかった。巨匠的な懐の深い演奏をする中でも、常にそれらの特徴が感じられた。いつまでも心に残る指揮者だと思う。

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2 コメント

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追悼 (清水浩憲)
2017-06-05 11:39:32
1974年5月
ピアノ、ヤン・パネンカで、オベロン序曲、「皇帝」、ブラームス1番
1974年6月
ピアノ、舘野泉で、弦楽のためのレクイエム、ハチャトリアンピアノ協奏曲、ドボルザーク8番です。
いつも楽しみに読ませていただいています。
ノイマンよりもずっと好きでした。
驚きました (Eno)
2017-06-05 17:56:14
清水様
ご教示、ありがとうございます。ヤン・パネンカが弾いたベートーヴェンの「皇帝」は覚えていたのですが、オベロン序曲とハチャトリアンのピアノ協奏曲はすっかり忘れていました。そうでしたか‥。
それにしても、古い記録をお持ちなんですね。驚きました。もしかすると、ご記憶なのかもしれませんが。
私はここ数日、ビェロフラーヴェクのCDをあれこれ聴きながら、感傷的になっております。

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