Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

井上道義/日本フィル

2017年12月10日 | 音楽
 一昨日は井上道義/日本フィルを聴き(「幻想交響曲」その他)、昨日はデュトワ/N響を聴いたが(「火の鳥」その他)、面白かったのは前者のほう。

 1曲目はラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」。曲の性格からも、心優しく、控えめで、静謐な演奏になるのだが、そこに濃やかなニュアンスが施されている。井上道義がスコアからどんなドラマを読み取っているかが窺える。

 2曲目は八村義夫(1938‐85)の「錯乱の論理」(1974~75作曲、79改訂)。ピアノ独奏を含む管弦楽曲。当時は評判になったが、作曲者が早世したこともあり、最近は忘れられている。八村義夫とはどんな作曲家だったかと、今この時期に問い直すことは、有意義なことかもしれない(八村義夫は情念の世界の作曲家だった。今の時代にあっては新鮮に感じられる)。

 ピアノ独奏は渡邉康雄。渡邉康雄は改訂版(1979)の初演(1980)で独奏を務めた。また1984年3月の日本フィル定期でも演奏した。当時の記録をひっくり返してみたら、わたしはその定期を聴いていた(指揮は尾高忠明)。「「錯乱」したような金管の強奏をどう聴いたらよいのか」と書いてあった。

 今回は、最後の絶望のパフォーマンス(わたしの勝手な命名だが)が、一時代前のアイディアに感じられたのがショックだ。画家の例で恐縮だが、わたしは鴨居玲(1928‐85)の「1982年 私」(画家=鴨居自身が白紙のキャンバスの前で呆然としている絵)(石川県立美術館所蔵)と同質のものを感じた。

 3曲目はベルリオーズの「幻想交響曲」。これは名演だった。じっくり腰を据えて、曲の隅々までそれぞれのニュアンスを抉り出した演奏。指揮者とオーケストラとがよく噛み合い、指揮者だけ一方的に走り出すような演奏ではなかった。

 終演後、井上道義がマイクで語り始めた。1971年、グィド・カンテルリ指揮者コンクールで優勝し、1976年に日本で初めて指揮したオーケストラが日本フィルで、曲は「幻想交響曲」だったと。そのとき演奏した楽員が何人かいた。井上道義の求めに応じて、ステージで起立した。そのとき聴いた聴衆も、客席に何人かいたはず。わたしもその一人。

 そのときのことはよく覚えている。長髪の若者の颯爽としたデビューだった。それから40年あまり経つ。指揮者と聴衆との付き合いは、意外に長くなるものだ。
(2017.12.8.サントリーホール)

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ピエール=ロラン・エマール... | トップ | マイスター/読響 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

音楽」カテゴリの最新記事