Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

メッツマッハー/新日本フィル

2014年10月04日 | 音楽
 メッツマッハー/新日本フィルのツィンマーマンとベートーヴェンのチクルスが好調だ。今回も魅力的なプログラムを組んでいる。

 1曲目はツィンマーマンの「静寂と反転」。この曲は(もう何年も前になるが)一度聴いたことがある。マティアス・ピンチャー(今はパリのアンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督をしている。当時はドイツの若手作曲家のホープだった)の指揮カールスルーエ歌劇場のオーケストラの演奏だった。

 新国立劇場の「軍人たち」に衝撃を受けたわたしは、ドイツ旅行中にその演奏会を聴いてみた。なんの予備知識もなかったので、静寂に包まれ、スネア・ドラムのリズムが終始鳴っている音楽に、正直いって戸惑った。

 二度目となる今回は、これはツィンマーマンの‘夜の音楽’かもしれないと思った。スネア・ドラム以外にも、アコーディオンの幽かな音、シンバルを弓でこする音、その他いろいろな音が聴こえる。夜のしじまのようだ。真夜中に一人眠れず、戸外の物音に耳を澄ますツィンマーマンの冴えた感覚が感じられる。

 カールスルーエのときはスネア・ドラムが指揮者の前に置かれていた。結果そのリズムが強調された。今回は普通の(舞台奥の)位置に置かれた。適切な距離感があった。他の楽器とのバランスがよく、透明な音響が生まれた。指揮者の力量のちがいを感じた。

 「静寂と反転」が終わってそのまま(拍手を入れずに)ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」に移った。すばらしいアイディアだ。「キリエ」の抑制された表現とも相俟って、じつに自然な推移だった。

 「クレド」の長大かつ壮麗なフーガを聴きながら、ツィンマーマンとベートーヴェンを組み合わせるのはなぜだろうと考えた。世の中から孤立したツィンマーマンと、人類愛を歌いあげるベートーヴェンとは、正反対の位置にいる。でも、この組み合わせになんの矛盾も、齟齬も感じないのはなぜだろう――。

 ベートーヴェンは人類愛を歌いあげる。それは夜空に輝く星のようだ。でも、ツィンマーマンを巻き込もうとはしない。ツィンマーマンは孤立した場所にいる。暗い森の中にいる。そこから動こうとはしない。そこにいてもいいのだ。そして夜空を見上げる。満天の星。ツィンマーマンはそのとき、美しいとは思わないだろうか。仰ぎ見る満天の星に、慰められはしないだろうか――と、そんなことを考えた
(2014.10.3.すみだトリフォニーホール)

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