Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

浅田次郎の「帰郷」

2016年09月15日 | 身辺雑記
 浅田次郎の短編小説集「帰郷」(集英社刊)を読んだ。太平洋戦争の戦中、そして戦後の話が6篇。1日に2~3篇は読めそうだったが、1日1篇のペースを守って、大事に読んだ。

 6篇いずれも、太平洋戦争で死んでいった、あるいは生き残ったけれども、心に深い傷を負った、名もない庶民の話。それらの人々へのレクイエムのような作品だ。わたしは最後の作品を読んだ後、涙が出た。それは最後の作品に限らず、6篇すべてにたいする想いだった。

 6篇を俯瞰的に見ると、3つの世代が登場する。1つ目の世代は、太平洋戦争に突入した時、すでに大人だった人たち。この人たちは、戦争というものがどんなものか、分かっていた(が、口に出せなかった)。2つ目の世代は、開戦時にはまだ若くて、戦争を信じきっていた人たち。そして3つ目の世代は、戦後に生まれて、戦争というものを知らない人たち。

 各作品は、3つの世代の内、ある世代を描いたり、世代間の交流を描いたりするが、どの作品をとっても、作中の人物たちには温かい気持ちが通じあっている。どの作品にもほのぼのとした味がある。殺伐とした作品は1つもない。

 浅田次郎は1951年生まれ。わたしと同い年だ。先ほどの3つの世代でいうと、3つ目の世代に属する。戦争は知らない。けれども、戦後の風景はかろうじて知っている。そんな世代だ。だからだろうか、傷痍軍人とか夜の遊園地とかの描写が懐かしかった。

 わたしの場合は、東京の多摩川の河口の、町工場がひしめく地域に生まれた。繁華街というと蒲田だった。親に連れられて蒲田に行くとウキウキした。今でもあるが、東口と西口をつなぐ地下通路があった。小便の臭いがしたかもしれない。そこに傷痍軍人がいた。わたしは下を向いて通り過ぎたような気がする。

 そのときはもう高度成長の時代に入っていた。やがて傷痍軍人も姿を消した。わたしは戦争(あるいは戦後)を意識することなく育った。

 戦争(戦後)を意識するようになったのは、比較的最近のことだ。自分はどこから来たのか。どんな時代を生きてきたのか。そんな自分探しをするようになったとき、戦争の影が重なってきた。

 浅田次郎のこの短編小説集には、わたしが生きてきた時代と、わたしが生まれる前の時代とが描かれていた。わたしが今一番知りたいことだった。
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