Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

帰ってきたヒトラー

2016年07月25日 | 音楽
 話題の映画「帰ってきたヒトラー」を観た。もう皆さん見終わった頃なのだろう。館内はガラガラだった。

 すでに多くのことが語られていると思うので、今さら屋上屋を重ねるまでもないが、わたしの感想を一言でいうと、本作はヒトラーその人もさることながら、ヒトラーを祭り上げた普通の人々をうまく描いていると思った。

 やはり印象的だったのは、ヒトラーに扮した俳優(オリヴァー・マスッチ)が、ベルリンのブランデンブルク門をはじめとして、ドイツ各地に出没する場面でのドイツ市民や観光客の反応だ(一種のドッキリ・カメラ)。多くの人々が笑い、記念写真を撮る。まるで人気者だ。不快感を示す人々もいるが、少数派のようだ。中には本物のヒトラーを相手にしているかのように、移民・難民問題への不満を口にする人がいる。ヒトラー待望論のように見える。

 ‘帰ってきた’ヒトラーが最後にいう台詞、「私を殺したって無駄だ。第2、第3の私が現れる」、「私が人々を導いたのではない。人々が私を求めたのだ」(いずれも大意)にはゾッとするリアリティがあった。ヒトラーは人々の心の中にいる。本物のヒトラーはその現れにすぎない。

 本物のヒトラーは当時の人々の反ユダヤ感情に注目した。ユダヤ人への反感や嫌悪、憎悪を煽った。それが権力への道だった。現代の‘帰ってきた’ヒトラーは移民・難民への反感に注目する。そして思う、「これならいける」と。

 わたしは三島由紀夫の戯曲「鹿鳴館」の中に出てくる「政治とは人々の憎悪を組織化することだ」(大意)という言葉を思い出した。帰ってきたヒトラーは、それと同じ思想に立っている。おそらく古今東西、権力を志向する人が抱く共通の思想なのだろう。そして恐ろしいことに、今はその思想が有効な社会になっている。

 おりしもドイツでは、ミュンヘンをはじめ各地で、テロ(あるいはテロもどき)が頻発している。今後、人々の反移民・反難民の感情はますます高まるだろう。またアメリカでは声高に移民排斥を唱える人が支持を集めている。世界最強の国なので心配だ。翻って日本では反韓・反中の空気が広がっている。他人ごとではない。

 本作の中でも触れられる映画「ヒトラー最期の一二日間」は、悲劇的なトーンの重厚な作品だったが、本作は今の世相への風刺をこめた警告の映画だ。虚実をないまぜにした展開に才気が感じられる。
(2016.7.22.渋谷シネパレス)
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