Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ルーヴル美術館展

2015年04月18日 | 美術
 国立新美術館の「ルーヴル美術館展」へ。金曜日の夜間開館の時間に行ったが、それほど空いてはいなかった。もっとも、作品と作品との間にゆったりとスペースが取られていたので、気持ちよく見ることができた。

 本展のテーマは風俗画だ。そのテーマのもとに、ルーヴル美術館の膨大なコレクションの中から作品を選択している。見ていて気が付くことは、たとえばトランプ遊び(またはトランプ占い)とか、ワインを飲む男女とか、その他いくつかの同一テーマの作品が集められていることだ。それらのテーマの広がり、あるいは画家による含意の違いが検証されている。

 それらの作品を見ていると、本展には来ていない作品も想い出される。一例をあげると、トランプ遊びのテーマでは、以前に日本にも来たことがあるジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「ダイヤのエースを持ついかさま師」※を想い出すという具合だ。

 本展は――ルーヴル美術館展と銘打つ割には――地味な印象だが、よく考えられた内容だ。見ているうちに、それがだんだん分かってきた。

 目玉はフェルメールの「天文学者」※だろう。さぞや黒山の人だかりかと思いきや、意外にそうでもなくて、ゆっくり見ることができた。皆さん分散しているようだ。たまたまそうだったのかもしれない。でも、好ましい会場風景だった。

 いうまでもなく、「天文学者」は傑作だ。学問への没頭、そのときの霊感の一瞬をとらえたいかにもフェルメールらしい静かなドラマだ。フェルメールには、あえて輪郭をぼかした作品と、輪郭をはっきり描いた作品とがあるが、本作は前者のほうだ。会場の照明は、そのことを意識して調整されているのではないだろうか。微かに演出らしきものを感じた。

 「天文学者」はフランフルトのシュテーデル美術館の「地理学者」※と対になる作品だ。「地理学者」も数年前に来日した。わたしの記憶の中で、両作品が結びつく。展覧会に足を運ぶ楽しみだ。

 ル・ナン兄弟の「農民の食事」※は、数年前に来日した「農民の家族」※とよく並べられる作品だ。インパクトの強さも同じくらいだ。もっとも、「農民の家族」はフリーズ状の家族の肖像だが、「農民の食事」にはドラマが感じられる。テーブルに座る3人の男たちのうち、2人はワイン(キリストの血の暗喩)を手にしているが、1人は持たない。破れた衣服、放心したような顔つき。これはどんなドラマだろう――。
(2015.4.17.国立新美術館)

※「天文学者」と「農民の食事」

※「ダイヤのエースを持ついかさま師」

※「地理学者」

※「農民の家族」
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