52 アチャコの京都日誌 再びの京都

2017-05-12 06:30:39 | 日記

52 アキレス腱つながった

 リハビリ開始!

 

酬恩庵に行った。

 「一休寺 京都」の画像検索結果「一休寺 京都」の画像検索結果

 ご承知の通り、一休寺として有名だ。最晩年、大徳寺の住職となった時には、ここ京田辺から毎日紫野に通っていたという。(現在でも車でも30分かかる。)

とんちで有名な可愛らしい小坊主が、臨済宗大徳寺派の総本山の高僧にまで登りつめたのだ。第100代後小松天皇(南北朝統一時の天皇)の落胤とも言われる高貴な方でもある。偉大なる一休さん。

しかし、88歳と当時では十分長い人生の最後に残した言葉が、「死にとうない。」だったという。んっ?なぜ。禅を極めた高僧が最後に「死にとうない。」とはなぜか。

 「一休寺 京都」の画像検索結果「一休寺 京都」の画像検索結果

実は、一休さんは77歳で盲目の美女と巡り合う。森女(しんじょ)という琵琶法師だ。この森女も謎の多い女性で、後村上天皇の後胤とも言われる。

そんなことよりなにより、一休さんの晩年の歌集「狂雲集」に、以下のような行が書かれている。

美人陰有水仙花香         吸美人婬水

(美人の陰に水仙花の香あり)   (美人の淫水を吸う)

このように森女との淫行の実態を赤裸々に書き残している。官能小説としてもかなりキワドイ。しかも77歳で彼女に巡り合い88歳の最後まで、愛欲の中に身を置いたのである。これを高僧の晩年とするか。?

しかし私はこのような誠に人間らしい一休さんが好きだ。悟りきって死をも恐れない現世に未練を残さない死より、このように未練たらたらの人間らしい一休さんが好きだ。

何より、

その年で「女がいる」一休さんが好きだ。

さらにその年で「出来る」一休さんが好きだ。

さらに、その年で「淫水をすする」一休さんが羨ましい。

そんな思いで酬恩庵に行って見た。写真は、一休さんの死に臨んで作らせた自身の木造だ。80歳を超えた老よりは内に秘めたる生命を感じる。

その髪の毛と髭は自らのものを植えたという。生きる事への未練を強く残したというように思った。墓は「宗純霊廟」として宮内庁所管になっている。天皇の直系親王の証拠だ。

また、方丈庭園は、南庭・北庭・東庭と三方に分かれていて、特に北庭は、枯山水の蓬莱庭園で、松花堂照乗・石川丈山などの合作による名園だ。因みに松花堂照乗は、寛政の三筆の一人で、松花堂弁当の由来となった人物だ。

 

京都中心地からはやや離れているが、行けば必ず得ることがある良い寺だ。

最後は、庭でも見ながらゆっくり「禅の悟り」の難しさを考えてみたい。

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