第6回  小野篁  六道珍皇寺 あの世とこの世の境

2017-03-30 09:41:51 | 日記

    六道珍皇寺 と 閻魔像

⑥  小野 篁 六道珍皇寺

・六道の辻
 ※昔はここから先は、「あの世」だった?
京都には、葬送の地が3か所ある。鳥辺野、化野、蓮台野。平安の昔から、死者はその地であの世へと見送られた。化野(あだしの)とは、京都の西嵯峨鳥居本のあたりで、化野念仏寺の1000体以上の無縁仏が有名。蓮台野(れんだいの)は京都北部紫野から船岡山あたり。そして最大の葬送の地が、ここ、鳥辺野(とりべの)である。京都東山の清水寺の南側にある広大な墓地あたりである。昔は火葬されるのは身分の高い人間だけ、燃やす木材すらない庶民は、その地に風葬されたと思われる。カラスなどの野鳥の餌になったのだろう、鳥辺野という名前にその事が、伺い知れる。従って、その地は、昔からあの世とこの世の境界と信じられていた。
 東山の清水坂を下って東大路通の松原辺りが、その地と言われる。この地に中世、活躍したのが、小野篁だ。渡来系の名門の小野家の系列の人で、小野妹子、小野東風、はたまた絶世の美女と言われた小野小町も同じ小野の系列の人だ。
 篁は、数奇な運命をたどった人で、遣唐使に選ばれるものの、果たせず、その後、何かの事情で一時島流しに会うが、復帰し宮廷に仕えた。しかし、篁には不思議な霊力が
あり、昼は朝廷に出仕し、夜はある井戸を通じて地獄に通い閻魔大王にも仕えていたという。また所説あるが、篁が病を得て死んだ時、地獄に至り、その責め苦を目の当たりに見た後、地蔵菩薩に救われ現世に戻ったとも言われている。その事から、地蔵信仰を進めるべく一木から6体の地蔵菩薩を彫ったと言われ、後世、平清盛の指示により京の重要地6か所に安置したと言われる。京都夏の風物詩「六地蔵巡り」の始まりである。
※幽霊が、雨で赤ちゃんを育てた??
六道珍皇寺の界隈は、地獄と現世の境目だ。それゆえに多くの伝説を残している。
その一つ、「幽霊子育て飴」『ある夜、妙齢の女性が、飴を買いに来ました。やや様子がおかしいけれど一文銭を手に飴を買って行く。あくる夜も訪ねて来て、一文銭と引き換えに飴を。そして7日目、お金がないので、着ていたこの羽織と引き換えにと言う。仕方なくそれを受け取り飴を渡す。不思議なことに雨も降っていないのに、その羽織はぐっしょり湿っていたので、あくる朝玄関先に干しておいた。通りがかった大店の旦那が、この羽織は?と聞く。事情を尋ねると、若くして死んだ娘の棺桶に愛用の羽織とともに埋葬したとのこと、その羽織が干してある。そして、すぐに墓地を掘り起こすと、白骨化した娘の横で赤ちゃんが元気に泣いていた。』その娘さんはおなかに赤ちゃんを宿しながら死んだ。土の暖気で生まれた赤ちゃんへの思いは強く、幽霊となり三途の川の渡し賃の六文銭で飴を買い子供を育てたのである。その赤ちゃんは成長の後、ある大きなお寺の住職になったとされる。その飴が、「幽霊子育て飴」今でも、六道の辻、西福寺前で売っている。
・六道珍皇寺

 鳥辺野の入り口にあるこのお寺には妙な雰囲気が漂っている。山門の前には、「六道の辻」と書いた大きな石碑が建つ。
創建は、空海と言う説や、小野篁と言う説など諸説ある。名も、チンノウジではなく、チンコウジと読むのだそうだ。別称も多く、寶皇寺・鳥辺寺・念仏寺・愛宕寺・そして通称は、六道さんである。因みに、愛宕寺は、嵯峨野に移って愛宕念仏寺になったと思われる。

魂まつり ここが願いの みやこなり         服部 嵐雪

毎年、8月盂蘭盆会の前、7日から10日にかけて、先祖の精霊を迎える「お精霊(しょうらい)迎え」または「六道参り」と言う。山門を潜ると、左右に出店が並んで
いてそこで、「高野槇」を買う。昔から高野槇の葉に先祖の霊が帰って来ると言われている。依り代のようなものだろう。そして迎え鐘を突く。いつも暑い最中だが、相当な
行列となる、裏門を出て通りを一キロにも及ぶことにもなる。熱中症に気を付けながら数時間の待ち時間だ。
行列の最後尾が、宇治茶の「辻利」の本社の前まで続くこともあり、お茶の携帯は必須だ。(水でもポカリでも良いが、辻利の前なら宇治茶が良い?)そして、やっとたどり着く、そして、迎え鐘を突く。一度二度と突きたいが、後に待っているので一人ひと突きが礼儀。よくある、大鐘ではなく、小ぶりの鐘は、梵鐘の中に納まっていて見えない。鐘は引いて鳴る。手を合わせて先祖を謹んで迎える。すぐに本堂横にあるテントの前で、水塔婆を買って、先祖の戒名や没年を記入してもらう。先ほどの高野槇で水を浸して水回向を行い、地蔵尊の前に備える。このような一連の所作は、周りの人々についていけば良い。因みにこのようにお迎えした精霊は、大文字の送り火で、あの世にお送りし、さらに念のため六地蔵参りで丁重に閻魔様には先祖が地獄に行かないようお願いしておく。これが京都人の先祖への回向である。
篁の「冥途通いの井戸」は、普段非公開だが、本堂の右奥に遠目にだが見える。最近、周辺の元の境内敷地から、「黄泉帰りの戻り井戸」が発見されたとの事である。冥途通いと言うからは、一つの井戸で行ったり来たりしていたと思いきや、出口入口が決まっていたのだ。マリオが土管から出てくるように行き来していたのである。
御本尊は、薬師如来だが、本堂右の、篁堂の中にある、小野篁像と閻魔大王像は迫力があり必見である。

・おすすめコース

六道珍皇寺~西福寺~六波羅蜜寺

 ※この辺りは、見どころも多く、絞るのは難しい。
すぐ近くの、西福寺。ここも地獄の入り口とされている。空海が開祖とされるが、桓武天皇の皇子、嵯峨天皇の皇后の檀林皇后は、特に仏教への帰依が深く。しかも相当な美女であったと言われる。その皇后が、亡くなった時に、「わが死体を野に晒せ、そして朽ち果てる様を絵に残せ」と仰せられた。これを「九相図」と言う。①死体②死
後膨張③腐敗④蛆虫がわく⑤鳥が食らう⑥一部白骨⑦白骨化⑧骨が散乱⑨塚が建つ。この9段階を見せる事で、肉体の不浄さ、世のはかなさを見せたという。生前が美しい方であればあるほど凄まじいものであったと思われる。その「九相図」と「地獄絵図」がお盆の間、公開される。心臓の弱い人には、おすすめ出来ない。普段は、見逃してしまうお寺だが、洛中洛外図屏風や天井画など、極狭い本堂の中には見どころが多い。玄関は、下駄箱や水屋が置いてあり、普通の民家の生活感がにじみ出ている珍しいお寺だ。
六波羅蜜寺は、申すまでもなく平清盛ゆかりのお寺。口から阿弥陀さんが出ている「空也像」で有名なところである。六波羅は、轆轤原(ロクロ原)がなまったものか。当時、鴨川べりでは、無縁仏が轆轤を晒していたのだろう。名前の由来からして不気味な地域である。くれぐれも夜一人で出歩かないように。
念のため「幽霊子育て飴」は、買って帰ろう。    一つ500円也。

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