55 アチャコの京都日誌  再びの京都

2017-05-15 09:04:46 | 日記

55 アキレス腱つながった

 

 稀勢の里が大けがしたのは春場所終盤だ。その頃には私はすでにアキレス腱を断絶して休んでいた。その稀勢の里が、昨日夏場所に強硬出場してやはり負けた。いかにスポーツ選手でも無理がある。一般人の不摂生のおじさんの私は未だ松葉杖だ。昨日から片方だけ使っての歩行も可能となった。片手が使える事で物資運搬が独力で出来る。家庭内での弱者からの脱却の第一歩として、大きな前進だ。配偶者にどんな物でも頼んで持って来てもらう屈辱から解放された。

 

大原の勝林院に行って来た。魚山声明大法要「御忌会」に参加した。数年前のことだ。

 

   京都市左京区大原、洛北エリア、天台宗の三門跡寺院のひとつである三千院の参道奥にあります実光院は、魚山大原寺勝林院の子院です。庭園(契心園)は四季折々に花を咲かせる山野草が植えており、特に不断桜は必見です。   

 

声明とは、お経を声高らかに歌い上げる事。すべての歌謡はこれに由来する。壮大なハーモニーを聞いてきた。ここ大原の地は、仏教声明の発祥の場所で、三千院、寂光院、宝泉院など、見どころのお寺も多い。衣笠からバスで30分くらいの山里で、鴨川の源流となる律川・呂川に挟まれた一帯だ。呂律は、言葉の調子のことで、吾輩は痛飲した時には呂律が回りませんが、お経にも呂律は重要だったのだろう。その二文字を川の名前にしている。

 

勝林院のそう広くない本堂内の戒壇周辺に置かれた座席で、直に声明の響きを聞いていると、体に直接伝わってくる。参加者への御利益も当然だが、腹の底から出す僧たちの発声はさぞかし体に良いだろうと思った。坊さんが長生きなのはこれが原因かも知れない。また、その昔は声の良い僧侶には、女性信者が多く集まったというのもうなずける。

さて、ここ勝林院の御本尊の阿弥陀如来は、「証拠の阿弥陀」と言われる。鎌倉時代の天台宗座主顕真が、浄土宗宗祖法然に、浄土の宗義について論争したのがここ勝林院。

photo│大原問答

あまた集まった高僧の前で、法然が阿弥陀如来の徳果を理を極め詞を尽くして説いた時、阿弥陀如来から光が発せられたことから、「証拠の阿弥陀」と言われる。また、そのお手からは七色のひもが繋がれており信者はそのひもに触れる事で、極楽浄土に導いてもらうという具合だ。

本堂前の、苔むす庭を眺めつつ周辺のお寺を巡った。

 

宝泉院は、五葉の松が素晴らしいしく、有名な「血天井」の一つが見れる。三千院は、境内の往生極楽院内の阿弥陀三尊像の脇侍の座り方(大和座り)が珍しい。建礼門院ゆかりの寂光院にも足を伸ばした。

丸一日のんびりと過ごせる。

因みに、ユーチユーブでその様子を検索したら、参加者の中の吾輩がしっかり映ってた。還暦祝いの赤いジャケットなのでよくわかる。

 

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