アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

53 アチャコの京都日誌 再びの京都

2017-05-13 08:53:48 | 日記

53 アキレス腱つながった

 

足の装具が取れて、歩行訓練が始まったが、2か月間固定していた足首の硬直は、予想以上であった。アキレス腱を繋げる為かかとを固定した事と、歩くための柔軟性を戻す行為は、相反する作用なので、恐怖感が先に出る。再断絶は絶対に避けねばならないから・・・。リハビリの日々が始まった。

 

 十輪寺に行って来た。アキレス腱断絶直前の3月上旬だ。

 

別名、「なりひら寺」と言われる十輪寺は、在原業平が晩年過ごした地である。

在原業平とは、平城天皇の直系の孫で、世が世ならば天皇にもなれた血筋だったが、薬子の変で平城天皇が事実上失脚したので、長く冷や飯をかこっていた。しかし、六歌仙の内の第一人者で当代の色男であったことで名を残した。とにかくもてたのである。伊勢物語のモデルとも言われる。今風に言えば「女に不自由しない男」なのだ。容姿が抜群に良かったと言い伝えられるが、通い婚の時代なのでやはり「歌」が上手かったのだろう。

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因みに「通い婚」とは、夜女性の家に忍び込んで夜を過ごすのである。夜這いに近い。違うのは、高貴な方たちは和歌を交わす。その巧拙で恋が左右されるのだ。考えて見れば十二単で身を包み、長い長い黒髪で覆われた顔。しかも照明施設の無い時代だ。夜通ったならば、確かな顔や体形はよくわからないママ交わったのではないかと想像する。しかも極めて高貴な女性は、御簾の中で過ごしている。最後の決め手は、匂い(香り)しかなかったのではないか。香道があれほど発展した背景はこのような事情があったと思う。今のように白日の下で肌を露出したファッションで、体形や容姿を隈なく確認した上で、交際するのとは大きく違う。これを理解しないと中世の恋愛は理解できない。

 

 業平は、女性の心をつかむ歌を詠み。ころりと落とすいい匂いもさせていたのだろう。どれだけもてたか?なんと、時の天皇の中宮が、彼の昔の女?だったのだ。天皇は清和天皇、中宮は藤原高子、その子の陽成天皇は業平の子とも噂されたのだ。

 

十輪寺には塩焼きの窯跡が残っているが、近くの大原野神社に、かつての恋人の高子(二条の后)がお参りに来ているとき、業平はそこで塩を焼いて登る煙で自分の心を伝えたのである。その時の歌が、

大原や 小塩の山も けふこそは  神世のことも 思出づらめ

因みに、塩焼きとは海の水を焼いて塩を作る作業だが、浪速の海水を使いの者に運ばせたというから大変な贅沢な趣味だ。寺内には、この窯跡と、業平の墓がある。

 

また鳳輦の形をした本堂には、地蔵菩薩が本尊としてまつられ、正面右奥の庭園は、寝そべってみると趣が分かるという、微妙な傾斜が珍しい箱庭のような庭だ。渡り廊下の奥には、襖絵も楽しめるこじんまりしたお寺だった。

 

 西山の中腹にあり、ハイキングがてら行くか、車で行くのが良い。近くの、光明寺・楊谷寺・善峯寺などとセットで巡りたい。