ゾウさんと暮らす

78歳の 夫ゾウさんと 暮らす 
75歳の 妻が  それなり の 
元気を 綴っています。

藤沢城址(館山)やっと 観つけた

2016年12月12日 15時45分28秒 | ・ 歴史 ・ 歩く

この夏 一関市藤沢町へ行った。 

黄海の 三好監物・在郷屋敷は さがしだせた。

さらに 藤沢のまちにあるという 藤沢城址を 探しに 出かけた。

それらしきところへ 上ってみたが、 そこは 住宅街だった。

xxxxx  ここからは 2016・12月4日(日)のこと

今回は 位置を きっちりと ネット検索して 

3枚の地図を 印刷して 出かけた。

千厩町から R・456 入って

左手に 縄文ホール、並んである 藤沢小学校を確かめて 

つぎ その道 右手の 方向をみる。

  下の写真の 茂みが 館山ではないか、と 見極めをつけて、 

空き地が あったので 駐車させてもらう。

 ← ゴミ小屋の前に車を置いた。

杖をもつ。上の写真 向かって 左へ歩く。

地図で 入口を 確かめた。 標識は なかったが

 

坂の途中で 洗車をしている方がいた。

質問「藤沢の城跡は この道でいいでしょうか」。

指さしのうえ「すこし行って 右へ まがる」と 教えていただけた。

ありがとうございました。

 今度 来るときは 左手の家の 赤い広告が、目印 だな。

            この坂を登ると ↑

1分もせずに 分かれ道がある。 やっと 看板、

 

やっと、館山公園の 看板。  ↑ 右の道に入る。

 

いろんなブログには 「道は 荒れている」と 書いてあった が

草ぼうぼうではない し 結構広い道。 1間は ある かな。

左手に 駐車場の看板は あった。

しかし 普通の車で 入り込むのは 

(力がない人は) やめたほうが よさそうな。

 ここまでは 

R・456から 20分 かからないだろう。さらに上へ。

道幅があるから 薄衣城址への道 よりは、楽に 感じる。

 

ここは 二 の 丸 かなぁ? わからん。

 

↑ この小屋の わきの道 は やめて

右手の 「身代わり 地蔵」を 見て、 

 

左手へ。 小さい坂を ゆく。

 

一番 広そうだから、ここが 本丸だろうか。

高い台地は たいてい 本丸 だ、と思う が 一応

藤沢城址説明略図と くらべてみる。 が 

東西南北が わからないから どこが 本丸やら 二の丸やら。

説明を受ける機会が あれば 嬉しいのだが、

残念ながら あっても 知る方法がない。 ここは

江戸時代には「藤沢所」として 大町、新田(中村)などの 

伊達氏の重臣たちが拝領した   となっている。 

元禄十一年(1698)には 奥山氏が 1800石で拝領し、

明治維新まで居住した、とも なっている。

図書館から「藤沢町史」を借りた。 これから 勉強する。 

標高は 218、9メートル  

下の写真は 一段下がったところ 

 

この木々の間から 街が みえた。

殿様( 地頭 )も 眺めた に 違いない。

ゾウさん ここから ↑ 

何かの 石碑 がある 草むらへ 入っていってしまった。

叫んでも 聞く耳は 持っていない人には 届かない。 

身代わり地蔵の ところで しばし待つ、が

戻ってこない。 一人 駐車場手前まで 降りる。

静かだ。 

もしかしたら 崖で 滑って …… 。

心配になって 戻る。 ここも 静か。崖に向かって

「ゾウさん~~~~」と なんどか 叫んでみるが 静か。

今度は 転げるように 下山する。 

車のなかで 私の作った 資料を読んでいた。も~~~。

xxxx

そして 帰宅したら 暇にまかせて この 「城跡」のことを

ブログに 書きはじめていた。 わたしの お株とらないで !!

2016・12月12日(月) 記

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
«  認 知 症 に なった かな | トップ | 敗者だけが 被害を 被ると... »
最近の画像もっと見る