ゾウさんと暮らす

78歳の 夫ゾウさんと 暮らす 
75歳の 妻が  それなり の 
元気を 綴っています。

⑤ 芭蕉さん 城を眺めたに ちがいない

2017年10月07日 13時40分40秒 | 仙台城址 見学紀行

・・・・  仙台城址 見学 ⑤ ・・・・

ゾウさんは 自身の ブログに

仙台城址へ来たのは 「20年ほど前」と 書いている、が

ちがいます よ。

最近では 3年ぐらい前 公民館講座 研修旅行で きている。

3年しか 経っていない のに

ゾウさん 「俺は きていない」 だ と。

いっつも 私に くっついている んだから 私が

「来た」と いうからには 来たんです !!

xxxxxxxxxxx さて 仙台城址での 

サムライ姿のあとに 行脚装束にも出あった。

松尾芭蕉さん、だと いう。

青葉城に 芭蕉さん 曾良さん 来ている ?

「奥の細道」 宮城野 には なかった、と 思う、が

来ていたら 面白い。

まあ 調べて みましょ。 

先ず は 「奥の細道」 原文 。を。

「奥の細道」 宮城野 --- 

名取川を渡て仙台に入。あやめふく日也。

旅宿をもとめて、四、五日逗留す。爰に画工加右衛門

と云ものあり。聊心ある者と聞て、知る人になる。

この者、年比さだか ならぬ名どころを考置侍ればとて

一日案内す。

宮城野の萩茂りあひて、秋の気色思ひやらるゝ。

玉田・よこ野、つゝじが岡はあせび咲ころ也。

日影ももらぬ松の林に入て、爰を木の下と云とぞ。

昔もかく 露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。

薬師堂・天神の御社など拝て、其日はくれぬ。

猶、松島・塩がまの所々画に書て送る。

且、紺の染緒つけたる草鞋二足餞す。

さればこそ、風流のしれもの、爰に至りて其実を顕す。

    あやめ草足に結ん草鞋の緒 

xxxxxxxxxxxxx

ここには 「城」という言葉はない。

芭蕉の「奥の細道」は 紀行 そのままではない。 

それで 曾良 随行日記 も 調 べ た。 

xxxxxxxxxxx 

四日  雨少止。 …略…  若林川、長町ノ出口也。

此川一ツ隔テ仙台町入口也。 夕方仙台ニ着 

其夜、宿 国分町大崎庄左衛門 。 

 

五日  橋本善衛門殿ヘ之状、翁持参。

…… 其後、北野や加衛門(国分町ヨリ立町ヘ入、左ノ角ノ家の内)ニ逢、……。 

 

六日  天気能 。 亀が岡八幡ヘ詣城ノ追手より入

俄ニ雨降ル。茶室ヘ入、止テ帰ル。 

 

七日  快晴 。 加衛門(北野加之)同道ニ 而権現宮を拝。

玉田・横野を見、つゝじが岡ノ 天神へ詣、木の下へ行。

薬師堂、古へ国分尼寺之跡也。帰リ曇。 …… 。夜ニ降。 


八日  朝之内小雨ス。巳ノ尅 より晴ル。 仙台ヲ立 。

   十符菅・壷碑ヲ見ル。未ノ尅、塩竈ニ着、……

xxxxxxxxxxxxxxxxxxx 

と なっていた。日記としては 曾良さんに限る。 

曾良日記 六日には「亀が岡八幡ヘ詣城ノ追手より入」と あった。 

追手 = 大手門だ。 

       さらに調べた。

xxxxxxxxxxxxx」

「奥の細道と みちのく 文学の旅」金沢規雄 

   p・96

亀岡八幡宮の 話の続きに 

芭蕉は「城ノ追手ヨリ入」と あるので 

宿から 大町」経由、大橋を渡り 「追手」___

仙台城の大手門の前を北へ抜け、川内経由で 参詣している。

橋のたもとには 仙台城の 警固の番所があったが「参詣」は

許されていたので あろうか。

と 記されてあった。

xxxxxxxxxx  著者 金沢規雄さん が

大手門の前を北へ抜け、川内経由で 参詣している

と 決めつけている のは なぜか。

地図で 調べた。  現在なら 

追手の前を 通らなくとも 亀岡八幡宮に行くことが できる。

まあ 芭蕉の文章ではなくて 曾良さんの「日記」の文章を使って

書いてくださったこと は とても 嬉しい。

私は「奥の細道」の 道を たどっているうちに 

曾良さん ひいきに なってしまっている。

芭蕉・曾良さんが ついでに お城も 眺めた、

と 考えた。そう 思いたい。そうに違いない。

それなら とっても 面白い。

当時(江戸時代)が わからない から、これで 終りにする。    

今日は ここまで 


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