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フィンランドの有名人・後編(北欧の話その6)

2016-10-15 11:16:06 | もう一度行きたい
 二人目は、前編のムーミンからはガラッと変わって実在の人物、あの『フィンランディア』で有名な作曲家“ジャン・シベリウス”である。

 『フィンランディア』は単に音楽として有名なだけではない。20世紀初頭のフィンランドの民族意識の高まりや独立運動との繋がりから、『フィンランディア』は歴史の中でも有名である。スメタナの『モルダウ』と一緒に世界史の教科書にも出ていたと思う。それがシベリウスを優れた作曲家であるとともに、歴史上の人物として、広く世界に知らしめている理由となっている。

 1917年ロシア革命の混乱に乗じて独立を宣言するまで、フィンランドに自らの国は存在していなかった。古くからフィンランドの地に人は住んでいたが、国を形作ることはなかったのである。12世紀以降はスウェーデンによる支配が長く続いた。スウェーデンの属国というか、スウェーデンの一部、州のような扱いだった。
 皮肉なことに、フィンランドが初めて国家の体をなすのは、1809年のロシアによるフィンランド大公国の建国である。当時のロシア皇帝アレクサンドル1世はフィンランドの自治を認め、その結果としてフィンランド国民の中に民族意識が芽生え始めたという。しかし、この基盤の脆い自由は長続きしなかった。19世紀の終わり急速にフィンランドのロシア化が推し進められ、彼らの自由は取り上げられた。こうした中で『フィンランディア』は作曲されたのである。

 ここまでは世界史の話。僕も詳しく知らなかったが、フィンランドの哀しい歴史はまだ続いていた。独立を宣言したフィンランドは、その後第二次世界大戦と前後し、新たな隣国・ソ連との戦いに巻き込まれてしまう。その戦いに敗れたフィンランドは、ソ連に主要な領土を一部奪われたのであった。
 そうした中、国威発揚のため『フィンランディア』に愛国的な歌詞が付けられ、『フィンランディア賛歌』が作られた。『賛歌』は愛国歌あるいは第二の国歌として今でもフィンランド国民に歌い継がれている。

 僕らはフィンランドの古都トゥルクにあるシベリウス博物館を訪れた。フィンランド唯一、ということは世界で唯一のシベリウスの博物館である。
 博物館は、トゥルクの中心部、マーケット広場から歩いて10分のところにある。トゥルク大聖堂の裏手、閑静な住宅街の中だ。館内にはシベリウス直筆の楽譜や日記・手紙のほか、彼の生い立ちや活動を説明するパネルが展示されている。彼は小さい頃からヴァイオリンを勉強していたといい、また姉や弟も楽器をやっていたというから裕福な家に育ったのだろう。
 建物の中央に小さなホールがあり、週1回ミニコンサートをやっているそうだ。それ以外の時は、椅子に座ってスピーカーから流れるシベリウスの曲を聴くことができる。リクエストに応じて曲を流してくれる。シベリウスの人生を想いながら、厳かな雰囲気の中で聴く『フィンランディア』は格別だった。

 トゥルクからタンペレに移動し、翌日、ムーミン谷博物館を見学した。その後電車でヘルシンキに向かったが、せっかくここまで来たのだからとハメンリーナで途中下車。シベリウスの生まれた町である。今でも生家が残っている。もっとも生家といっても借家である。こじんまりした平屋建てだった。
 医者をしていた父親は、シベリウスが2歳のときに亡くなった。その後一家は困窮し、ついには自己破産。兄弟そろって楽器を習う裕福な家かと思っていたら全然違うようだ。
 貧しい、苦しい中から音楽家として大成したシベリウス。フィンランドの人達は、そんな彼の人生にフィンランドの現状と将来の独立・繁栄とを重ね、希望を、生きる力を育んでいたのかもしれない。シベリウスの功績、そして音楽の力は本当に大きい。
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