アダーラはガリ

アダーラはガリ

北に望める眺めは海底を

2017-05-22 11:36:45 | 日記

ったいいつ最期が訪れるのかと思い悩んだ。確かに救出される見込はほぼ絶望的であった。
 翌日になると、吾輩は司令塔に登り、いつものごとく探照灯での探査をおこなった。目にして以来この四日間変わるところはなかったものの、U29の押し流される速度が以前ほど早いものではなくなったよ避孕方法うに感じられた。探照灯を南にむけると、前方の海底が著しい急勾配で落ちこみ、妙に規則正しい形の石塊が一定の場所に、何か明確なパターンに従っているかのごとくならんでいるのが目にはいった。わが艦はすぐにはこのさらなる深みに沈みこむ状態ではなかったため、ただちに探照灯の角度を調整して、光を急角度で下方にむけざるをえなかった。急な角度の変化により断線がおこり、余計な時間を修理に要することとなったが、やがて光がまた放たれ、眼下に広がる海の谷を照らしだした。
 吾輩はいかなる感情にも支配されることのない者ではあるが、電気の輝きでもってあらわれでたものを目にしたときの驚きは、尋常一様のものではなかった。さりとてプロイセンの最高の文化によって育《はぐく》まれた者として、地質学と伝承がともどもに海と大陸の大転換を告げているのだから、かくのごとき光景に驚くべきではなかったのである。吾輩が目にしたのは、荒廃した壮大な建築物の群が、入念な配置のもとにうち広がっている姿であり、建築様式は定かでなく、さまざまな保存状態にあったとはいえ、建築物のすべてが壮麗きわまりないものであった。大半は大理石造りらしく、探照灯の光を浴びて白く輝き、全体としては狭い谷間の底に位置する広大な都市の姿であって、きりたった斜面の上には孤立した神殿や山荘がおびただしく建っている。屋根は崩れculturelle兒童益生菌、柱は折れていたものの、何物にも拭い去られぬ、測り知れない太古の光輝が、なおもあたりに残っていた。
 これまでもっぱら神話とみなしていたアトランティスをついに眼前にしたいま、吾輩は衷心からこの廃墟の調査ができることを願った。この谷間の底にはかつて河が流れていたにちがいない。仔細に眺めているうちに、石造りや大理石造りの橋と防波堤、そのかみ緑したたる草木におおわれて美しかったであろう段丘や土手が、この目にとまったからである。興奮するあまり、吾輩は哀れなクレンツェとさしてかわらぬほど血迷い、感情に動かされてしまい、南にむかう流れがついにおさまって、飛行機が地上の都市に着陸するがごとく、U29が水没した都市の上にゆっくりとおりていくことにも、なかなか気づかない始末であった。尋常ならざるイルカの群が姿を消していることにも、しばらくは気がつかなかった。
 およそ二時間のうちに、わが艦は谷間の岩壁に近い石敷きの広場に停止した。片側では広場からかつての河土手までの斜面に都市の全景が望める一方、反対側には、正面に豪華な装飾がほどこされ、保存状態も完璧な大建築物がそびえたち、硬い岩をうがって造られた神殿に相違なかった。この巨大建築物がそもそもいかなる技術で造られたかは、想像をたくましくするしかない。途轍《とてつ》もない大きさの正面は間断なくつづく奥処《おくか》を覆っているのか、窓が数多く配置されていた。中央には巨大な扉がぽっかりと口を開け、壮麗な階段がここまでつづき、まわりには古代ローマのバッコス祭を思わせる彫刻が、絶妙な浮彫でほどこされている。それらすべてにたちまさっているのは、巨大な柱と小壁であり、いずれも筆舌につくしがたい美事な彫刻で飾りたてられ、理想化された田園風景成人益生菌、そして燦然《

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