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内向き傾向?

最近は海外旅行数が減ってきているらしい。
特に若い人たちが海外旅行をしなくなったとよく聞く。これだけ
インターネットやテレビで様々な情報が日々入ってくれば行かなくても
行った気分になってしまう。それに世界中いたるところでテロが
あったりでその影響も少なからずあるようだ。
海外の物価高、という経済的事情も大きな要因だ。

海外に行けばいいってものではないのだが、ちょっと外の世界を
のぞいてやろうという冒険心が低下している事実は否めない。
その理由として上記以外に、世の中が内向き傾向にあるような気がして
ならない。自分の手の届く範囲で全てで、それ以外は存在すらしない
といったところか。身の回りにモノと情報があふれかえる高度内向き
情報化社会ニッポンでは、例えばニートやリストカットといった
極めて個人的な事象をあらわにして、またそれを殊更取り上げる
傾向がある。
雇用がないとかゆとり教育の弊害だとかという政治的な話は別として、
本来であればそういった“生きる力の欠けた部分”は自分自身の中での
負の部分でありそっとしておくものでありそうだが、昨今は状況が
違うようだ。
自分がいかに壊れやすくデリケートな人間であるかを自分でアピールし、
内省度を自慢するための手段としてのニートやリストカットであるように
感じてしまう。もちろんごく一部だと思うが。


昔観た、ニューヨークのユダヤ系の人を撮った写真で、手の刻印(収容所
でつけられた)がちらっと見えた写真は少なからずショックだった。歴史の
中の悪夢が今なお一個人の肉体に刻まれている事実。



昨夜は見事な攻守でチームを勝利に導いたGG佐藤。
見事な復活劇だ。
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On the Road with Patti Smith

『2xIntro:On the Road with Patti Smith by Micheal Stipe』
洋楽評論界の至宝、和田靜香大先生に以前教えてもらった写真集がこれ。
数年前に手に入れたのだがアマゾンで探したら結局アメリカの古本屋から
取り寄せる事になってしまった一冊。

1995年のボブディランのツアーに参加したパティ・スミス。
この二十年振りになるパティ・スミス復活のツアーにREMの
マイケル・スタイプがツアーカメラマンとして同行。楽屋から
移動時からモノクロ写真で撮りまくっている。ウイリアム・バロウズや
ソニックユースのサーストン・ムーア、キム・ゴードンまで写っている。
マイケル・スタイプはかねてからパティ・スミスの大フアンだったとのこと。
ミュージシャンがミュージシャンを撮るって観ていて楽しい。もうこれを
撮っていたマイケル・スタイプはきっとツアーの間毎日楽しくて仕方なかった
だろう。パティも他では絶対見せない、見せても絶対撮らせないような
無防備な笑顔を何度も見せている。
これぞミュージシャンのツアーの記録写真だ。決まりきったアー写の連続
ばかりで辟易している人はぜひ観てみれば。
  
今アマゾンで探したら中古本でけっこあるようだ。
パティ・スミスが好き、REMが好き、バロウズが好き、キムゴードンが好き、
モノクロ写真が好き,以上どれかにひとつでも当てはまる人は
視て損はないと思う。アマゾンのセールスマンみたい。
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がんばれGG佐藤

GG,大丈夫なんだろうか?西武はメンタル面の治療を
施しているらしい。二岡に比べればあんなの失敗の
うちに入らない。よみがえれGG。

リチャード・ミズラックのデザートカントスのシリーズを
観なおしていて色々身近に感じられる部分があった。畏れ多くも。
この人は西欧文明が一神教的な考えで自然を征服してきた過程で
発生した矛盾を詩的な写真であぶり出してきた。それによる
副産物として政治的発言もしていた80年代は『狂気の遺産』
のインタビューなどでも感じられた。
が、その後の活動は海辺を撮ったものや金門橋の写真など美的な
センスを全面に押し出したLandscapeだ。一見大人しくなったように
感じるがそれは間違いでそもそもミズラックは最初から視ているものが
違ってたように感じる。西欧文明の中にも自然崇拝的な考えは
あると思うが、ミズラックは“万物に神が宿る”そのものが最初から
見えてしまっていたように感じる。最初から軍拡批判的姿勢で
砂漠の写真や牛の死骸を撮ったとは思えないのだ。勝手な解釈だけど。
自分独自の神のような存在をその中に見つけた時にシャッター押して
たんじゃないのかな。


http://www.g-sho.com/richardmisrach/
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個展の打ち合わせと五輪観戦疲れ?

昨日は水道橋のアップフィールドギャラリーで
打ち合わせしてきた。来年の春からの諸々の動きで
準備することが色々あってのんびりしていられない。
宣伝も兼ねて今後の進み具合も随時記して参ります。

日曜午後のJR水道橋駅はジャイアンツのユニフォームを着た
家族連れが目立った。巨人の帽子をかぶった男の子を
見ると自分の子供時代と重なる。自分は東京だったので
やはり小学生の頃YGマークの帽子かぶってよく後楽園球場
に連れて来てもらった。そんな親父ももう亡くなり
今では自分が子供つれて行くようになった。先週の神宮の
試合は雷で中止になってしまったがそれでも年に何回かは
娘つれて野球場に行く。野球はサッカーと違って
だらだらしてるのでビール片手に、ライトとファーストの
違いとかなぜラミレスは日本代表じゃないのかなど
のんびりと娘に解説してやることが出来る。
まさしくスローフードならぬスロースポーツ。飽きたら
途中でさっさと帰ってくるのが常だ。

北京五輪が終わってなんとなくスポーツ疲れしているような
気がする。やってもないのにね。
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GGを責めないで

日曜日の朝から観てしまったマラソン。
最終日の北京五輪。男子マラソンは例によって
入賞したアフリカ人は日本語が話せる。日本でずっと
鍛えられたとのこと。肝心の日本選手の成績はふるわなかったが
ある意味日本の長距離陸上のレベルを示したのでは。
期待された野球は残念な結果に終わった。最初から観ていたが
なんとなく元気がなかったというか勝ちそうな雰囲気がなかった。
エラーがなくても負けてたと思う。
閉会式は今夜でしたっけ?次回のロンドン五輪に向けてベッカムが
出ると書いてあった。布袋寅泰が出場した閉会式はシドニーか
アトランタだったか。今回はジミーペイジが出るとの噂が。
ロックギタリストとオリンピック閉会式。本当に出たら今後
恒例になったりして。

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そういえば複写

デジカメのテストといってもついフィルムを基準にして
考えてしまう。ポジよりどうとかこうとか。フィルムと
比較する事自体無理があるんだけど。

デジタルが撮影関係にこうして身近になってきて
便利になったのはまず複写だ。大きくなければ
直接スキャンしてしまえばいい。なにより正確だし。
思えばフィルムで複写は難しかった。平行垂直出して光を
均等にして。デジタルだとホワイトバランスだけ気をつければ
あとでそのあたり修正出来るし。昔ブツ撮りのアシスタントを
していた時複写がやっかいでやっかいで。
例えば掛け軸。細くて長くて色調は淡くて線は繊細。
光を均等に当てればいいってもんじゃなく画の濃淡によって
強弱を調整しなければならずそのあたりの見極めが難しい。
「ライト気持ち右!」っていわれて1センチ動かしたかどうか
で「ok!」なんて言われてこんなのでホントに変わるのかよ、
なんて思ってポラきったら実際に変わっていた。
ずっとみてると見えなかっただんだん光が見えてくるようだった。
今ではモニター上でそのあたりもっと精確に調整出来てしまう。
先日も明治神宮の昔の錺金具の設計図を複写したのだが
ぼろぼろなのであとでモニタ上でだいぶ復元する事が出来た。
将来的には本来の線や色と傷や変色でできたものは細かく解析すると
違うはずだからそのあたり自動で復元してくれるものが出来ると
便利かな、と。学術的資料はそのまんまの形で残すのが基本らしいけど。



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ドアノーとデジカメ

市庁舎前のキス、というロマンチックな写真はポスターやポストカード
にもなりとても有名な写真だ。数年前に海外のオークションで確か二千万
とかでオリジナルプリントが落札されたらしい。この写真を撮ったのが
ロベール・ドアノーでパリを舞台にしたスナップ写真の大家だ。ちなみに
この「市庁舎前のキス」、役者に頼んでやってもらったとか。写真は主観だ
と主張するドアノー。そういった舞台裏も作品の素晴らしさは揺るがない。

スナップの名手ドアノーは今のデジカメ開発競争をどう観ただろう。
こちらは機材のテストで日々精進せねばならぬ。写真は昨日のテスト撮影
NikonD3とCanon5Dの撮り比べである。左がD3


  

800%くらいまで拡大するとよく分るがD3のシャープは以外にも5Dよりあるかも。
他はまあ色々・・・。

『郊外へ』(堀江俊幸著 白水社)は詩人サンドラールとドアノーの
結びつきが‘パリの出口を出たあたり’を舞台にして語られる。詩と
写真の融合を語った文章はドアノーの作品を改めて見直したくなる。
遠いモノクロのパリが目の前に鮮やかに現れるようだ。

網膜を伝達した主観的風景がデジタル信号によって記憶される。
撮りたい風景が浮かんだらさっさと役者に頼んで演技してもらっちゃうように
意外と現実主義者のドアノーならデジカメの発達は喜んだかもね。
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北京五輪でいちばん印象に残ったこと

まだ終わっちゃいない北京五輪。
でももう残りあと5日。
ここまでの競技で自分がいちばん印象に残っているのは
開会式でも北島康介でもなく、ましてやレスリングの吉田沙保里が
金メダル獲った瞬間に後ろにちらっと写った江頭でもなく
(一瞬だったので見間違いかと思った・・・)なんといっても
フェンシングだ。日本人が初めてフェンシングで銀メダル獲った
というニュースを観たのだがあの“試合のカッコよさ”。
黒バックの背景に白い衣装(競技用のユニホーム)を着た二人だけが
ライトに照らし出されて対戦する様は近未来の戦士の戦いを観ている
ようだった。
前回のアテネ五輪までは普通に照明あててたらしく周囲を暗く落としたのは
今回の北京オリンピックからとのこと。銀メダルの太田選手は観客席とか
周りが見えない分試合に集中出来たらしい。試合をする選手にも良い影響が
あってビジュアル的にもかっこ良くなるのならこういった工夫は今後も
色々な競技でやって欲しい。。



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シベリアの日本人墓地にて

ハバロフスク空港でヤクーツク行きの飛行機を待っている時のことだった。
待合室は学生らしき若い人たちが多かった。ちょうど六月の下旬でロシアの
学生にとっては夏休みが始まる時期だ。大荷物を抱えた若い人たちがそこか
しこにいる。ヤクーツク行きのゲートの前に並んでいるのはほとんどがアジ
ア系の人たちだった。やはりみんなヤクート人なのかなと考えながら列の後
ろに並んだ。空港内の表示は全てキリル文字だけなので掲示板の行き先が分
からなかった。搭乗口の近くでヤクーツク行きの飛行機はこのゲートでいい
のか、近くにいた女の子二人連れに聞いてみた。二人は突然英語で話掛けら
れた事にちょっとびっくりしたようだったが「私たちも同じ飛行機に乗るか
らここでいいと思う」と教えてくれた。聞くと彼女たちはハバロフスクの大
学生だが休みに入ったのでヤクーツクの実家に帰るところだという。大学で
はホテルの勉強をしていて英語は授業で習っているそうだ。名前はイリーナ
とイラといった。二人とも黒髪をロングにしてTシャツにジーンズ姿だ。僕
が日本からの旅行者だと告げると突然、背の高い女の子イリーナが日本語で
「コンニチハ。ゲンキデスカ」と言った。
 “私の日本語は合ってますか?”
ハバロフスクは大きな都市で日本語を学ぶ人も多い。
 “合ってますよ。上手だね” 
でもその後の彼女の言葉に驚いた。
 “私のおじいさんはナハ出身です。日本人なのです” 
 間違いなく沖縄の那覇らしい。しかも彼女の街はここハバロフスクではな
くこれから向かうヤクーツクである。言葉の壁であまり理解出来なかったが
彼女のおじいさんは戦後すぐの頃からヤクーツクで暮らしていて、彼女が子
供の頃に亡くなったらしい。彼女のご両親も彼女も日本語はほとんど出来な
いとのこと。北の果て、世界一極寒の街ヤクーツクに沖縄出身の日本人の方
がいたとは。そこに一体どういった事情があったのだろう。大正時代、シベ
リアの主な都市には日本軍のシベリア出兵に伴い多くの日本人が移住してい
た。が、イリーナのおじいさんの時代とは少し違う。やはり第二次大戦後の
ことらしい。シベリアでは第二次大戦後に当時日本の支配下にあった中国東
北部やサハリンから多数の日本人が連行され何年も強制労働を強いられた。
多く人が亡くなり多く人が日本に帰国したが、様々な事情でそのまま現地に
残った日本人もわずかだがいたという。ヤクーツクにもラーゲリ(収容所)
はあった。日本人も抑留されていたはずだ・・・。

 ヤクーツク空港に着陸後、二人の大きな荷物を機体から運び出すのを手伝
った。乗客は空港建物内には入らず滑走路からそのまま出口を通過し空港の
外に出る。雨が降っていた。到着のざわめきが落ち着いた時にでももう少し
話が出来れば、と思い二人を振り返るとすでに迎えに来ていた家族と雨を避
けるように足早に駐車場に歩いていく姿が見えた。ひさしぶりの再会なのだ
ろう。呼び止めるのをあきらめて楽しそうな家族の後ろ姿を見送った。



 一週間後、ヤクーツクからハバロフスクに戻ってきた。六月のハバロフス
クは街中に綿毛が飛び交い、夏の到来を告げているようだった。空港から市
内に向かう途中左手に大きな霊園があった。以前から一度訪ねてみようと思
っていたのでタクシーの運転手に頼んで入ってもらった。
 お供え用の鮮やかな色の花束を売るおばさんたちが集う入り口を抜け墓地
の中に入ると、そこは森の中だった。広大な森の中に点在するその墓地はブ
ロックごとに分かれそれぞれ樹木に囲まれている。太陽の光が樹木の緑を濃
くしている。運転手が清掃作業をしている清掃員に聞いて見つけた。日本人
の墓地は静かにひっそりと、あった。




 ある世代以上の日本人にとってはシベリアといえば強制労働をさせられた
抑留地という印象であろう。街中の公園で休んでいる時も、この公園がかつ
て日本人抑留者によって建設されたという話を思い出させる。海を見渡す丘
の上で、そこの石垣を日本人がひとつひとつ積んでいったことを思う。あの
ホテルも、あの庁舎も日本人が造らされたものだ。
 耐え難い寒さと満足な食事もない劣悪な環境で仲間が次々と死んでゆく
中、ダモイ(帰国)というロシア語の一言に唯一の希望を託して生きていた
生活は今の時代からは想像出来ない。ものすごい数の人々が抑留され、その
うちの多くの方々が亡くなった。正確な人数すら分からない。ソビエト相手
に戦争していたわけでもなし、人の国の人間を理由もなく勝手に数年に渡っ
て抑留して自国の街造りに酷使した。ロシア人というのはなんて勝手なのだ
ろう、と思っていた。


 草の匂いが強く香る。樹木が強い光をさえぎり森の中に涼しい影を作って
いた。花束を持ったロシア人の女性がひとり、日本人墓地の敷地に入ってき
た。奥にある新しい墓石に花を供えて手を合わせている。その墓石には漢字
で個人名が刻まれてあった。まだここ十年ほどのもののようだ。想像するに
運良く帰国出来たがシベリア抑留時代の仲間のところで永遠の眠りにつきた
いという故人の希望からのものなのだろう。女性は目が合うとにこっと微笑
んだ。身振り手振りでお参りする理由を聞いてみた。彼女は熱心に話してく
れるのだがロシア語なので全く分からなかった。ときおり墓石を指差し
“アキタサン、ヨシダサン、コバヤシサン”と何かを訴えかけるように話す。
残念ながら全く通じないことがわかりお互い顔を見合わせて苦笑した。彼女
が日本人の墓地をお参りする理由は分からなかったが、彼女以外にもお参り
した人がいるのは分かった。新しい花がすでにいくつも供えてあった。

 一説によるとシベリアに抑留された日本人は百万人、同じく抑留されたド
イツ人は二百万人、ロシア人およびソ連邦関係国の人々は八百万人、合計一
千万人もの人々がシベリアにとどまらずロシア全土の強制収容所に入れられ
ていたらしい。ロシア人自身が一番の被害者だったとは。時代に飲み込まれ
多くの犠牲を強いられたのはロシア人も一緒だったということを、墓地で出
会った女性が教えてくれた気がした。



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