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実物のiPhone

先日初めてiPhoneを見せてもらった。
電話とメールの送信機能以外は使えるとの事。
もはや携帯電話ではないですね、これは。PCが手のひらサイズになった感じ。
タッチパネルの操作も思っていたよりとてもスムーズでやりやすい。
値段も意外と高くないようなので、日本で発売になったらぜひ欲しいけど、
ちょっと気になったのはストラップどこに付けるか。
薄くてわりと重量感があるので、落としたらすぐ壊れそうだ。
日本ではいつどこから発売になるのだろう。



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mobile

MacのOSが10月に新しくなるということで、それに付随するMacブックの
刷新も見込んで、あと3ヶ月密かにNewモデルをじっと待っているのだが、
さすがに現場では古いノートは不便になってきた。
先日の外での撮影でエプソンのストレージを持ち込んだが、なんだが液晶が4.0くらいだと
カメラの背面とたいして変わらない感じだ。ニンテンドーDSみたいな大きさ
じゃなくてもう一回り大きいの開発して欲しい。
結局ADの米谷さんが持ち込んだキャノンのSELPHYが一番便利でポラ代わりに重宝した。
ストレージは取り込み専用でチェックするのは簡易プリンター、という組み合わせがいいのだが
なんか機材が増えるばかりでそこらあたりもう少し選択肢が欲しい。
EPSON P-5000以上Macブック以下の大きさのストレージがあれば自分には一番いいのだが。
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ジーコの通訳の鈴木國弘さん

ジーコ前日本代表監督の通訳、鈴木國弘さんにインタビュー撮影でお会いした。
色々なお話をうかがったが、とても興味深く、また考えさせられるものだった。
特に、W杯ドイツ大会で惨敗、日本に帰国後の退任会見でのこと。
日本流で言えばこの場は敗軍の将の謝罪の弁を聞くという雰囲気で満ち溢れていたらしい。
スポーツジャーナリストよりTVのワイドショーのリポーターが多数前席に詰めていたとのこと。
「全ての責任は私にある」的な見出しに最適な発言をマスコミは期待していただろう。
しかしながらジーコは日本サッカーの問題点を朗々と40分に渡って説いたらしい。
ジーコの反省の弁を期待して集まったリポーターの間にしらけた雰囲気がただよったが、それでもかまわず
鹿島時代から15年も長く日本サッカーに関わって来たジーコの自説を述べ続け、精一杯やって悔いはない、と
述べたとの事。ブラジルと日本の流儀の違いももちろんあったろうが、完全アウェイの中、堂々と語り続ける
ジーコを鈴木さんは立派だと思ったという。

W杯で勝った負けたはともかく、この“とりあえずあやまれ”的な発想がどうも気になる。
特定の誰かが著しく不利益を被って責任が明確なものなら迅速な謝罪も致し方ないが、
まだ理由も被害もはっきりしないうちからマスコミはまず謝罪を要求する。
中には極めて個人的な理由なのに有名人というだけで“世間をお騒がせして申し訳ない”みたいな会見を開く人もいる。
とりあえず世間に対する落とし所が必要だと考える由か。
イラクで武装勢力に拉致され無事に解放された日本人ジャーナリストが帰国した時に、そのジャーナリストの年老いた
両親が会見の席上で息子に「とにかくみなさんにあやまりなさい」と言っていた。ジャーナリストは「どうして自分が
あやまらなければいけないのか」といった親子での押し問答があった。
年金未払い期間があったといって、年金ポスターに出ていた人気女優が謝罪会見をしていたのは数年前だ。
今となっては社会保険庁のミスだったかもしれないが、その時その女優は公式の場で謝罪させられた。
公的機関の啓発ポスターに対する信用の問題、ということでとりあえず早期に謝ったのだろうが、
果たして本人に本当に責任はあったのか。

自己責任を鑑みて必要がなければ断固貫くのがいいのか、理由がはっきりしなくとも波風立つ前にすぐ謝ることを良し
とするか、こういったダブルスタンダードを切り替えしながら生活するニッポンに悩む所だが(欧米かっ)、
少なくとも“世間を騒がせたものには謝罪を求める”ことを公然と要求する姿勢とは気持ちの上でなるべく離れた所に
いたいと思う。

鈴木さんの話からすっかりそれてしまった。上記の考えは自分のものであって鈴木さんとは何の関係もありません。
鈴木さんには今でもジーコから普通に電話がかかってきて、現在の日本代表のことはずいぶん気にしているとのこと。
現在はサッカーとは違うビジネスをやられているようだが、今後の変わらぬご活躍をお祈りしてます。

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ヤクーツクの夜

今から約200年前の18世紀末に漂流してこのヤクーツクにたどり着いた大黒屋光太夫一行は
「夏には一晩中明るい」と聞いても信じなかったという。逆に異国人だからからかっている、と思って
憤慨したそうだ。白夜なんてものが世の中にあることは想像も出来なかったろう。
光太夫一行は11月にこの街に着いて12月にはイルクーツクに旅立っている。
暗く激しい寒さの印象ばかりできっとこの街を去ったのだろう。

明るい空でビールを飲みながら彼女達といろいろ話をした。
彼女達の話すヤクート語はロシア人には理解出来ないらしい。学校ではロシア語でヤクート語は習わない。
このヤクート語はチュルク語系で、つまりヤクート人は昔はもっと南の中央アジアにいたことになる。
こんな北の人達がトルコ人やカザフ、ウズベキ、トルクメニスタン人などと会話が通じるのが不思議だ。
ヤクート人の平均寿命は男性で大体60才くらい。やはり気候が厳しいからだろう。あとここでも
やはりアルコール中毒が大きな問題になっているようだ。
「2月にハバロフスクに来た時マイナス15度くらいだった。僕にはとても寒かった」といったら
鼻で笑われてしまった。「寒さを体験したいなら2月3月頃ならマイナス2、30度まで上がるからいいかも」
と言われた。12月1月が一番寒くなるそうだ。持って行った椎名誠の「零下59度の世界」(集英社文庫)を見せたら
「この頃(1984~85)は本当に寒かったけど今はこんなには寒くない」と言っていた。今年は1月に
マイナス54度というのが一度あっただけらしい。昔はオーロラが見える時もあったそうだ。
本の中に出てくるオルジョニキーゼ広場の海運会社の写真は今も全く変わっていない。椎名誠さんや
米原万里さん達も当時同じレナホテルに泊まったようだ。このホテル、部屋に入るとソビエト時代に
逆戻りした気分になる。
画像はホテルの3重窓からの向かいのアパート。時刻はこれも夜中。
ちなみにこの本にも出てくる“マイナス50度で外に干してある洗濯物”の件を聞いたら、
「洗濯物がフレッシュになっていい」そうだ。
「一晩くらい干したらあとは家に入れて干せばすぐ乾く」とのこと。ホントかなと思ったが
そう言っているんだからきっとそうなんだろう。
ハバロフスクと違って街中にはあまり羽虫がでず(ちょっと川縁や池の近くに行くとシベリア蚊に
襲われるので虫除けは必需品)
湿度もわりと低く本当に気持ちのいい季節だった。


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