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『アガーフィアの森』(オールド・ビリーヴァーのこと)

一昨年の九月、シベリアのトゥバ共和国を旅した。
行程はまず新潟からウラジオストックに飛ぶ。ウラジオで乗り換えて今度は西シベリアにある
ハカス共和国の首都アバカンへ。アバカン空港からトゥバの首都キジルまで500キロ近くは車で移動である。
準備の段階で日本の旅行会社を通して西シベリアのノヴォシビルスクの旅行会社に様々な手配や問い合わせを
していたのだが、その時「アバカンからキジルまでの間に、森の奥深くで古い信仰を守って暮らしている人々がいる。
世間とは隔絶された世界で自分たちのコミュニティーを形成しているのだが、興味があるなら彼らの村に1泊
ステイ出来るようアレンジが可能だがいかがだろうか。」と連絡が来た。通常とは異なるオファーを幾つか出して
いたので向こうが気を利かせて言って来たのだろう。その時はロシアにありながら日本人に近いDNAを持つと
言われるアジア系民族の国で、シャーマニズムとチベット仏教が混在しているトゥバという国に興味が向いていたので
アジア系の民族だったら訪ねてみる価値ありかな、と考えた。問い合わせしてもらったところ
「違う。宗教的理由で隠遁生活を長年営んでいるロシア人だ」との返信が。
ロシア人なら結構です、とその時は断った。実際、スピリッチュアルな魅力に満ちたトゥバの旅は素晴らしく
その‘オールド・ビリーヴァー’の話は忘れていた。

昨年7月にバイカル湖の南、ブリヤート共和国のウランウデで博物館を見学していた時の事。森の中の古い小屋で
集団生活を営んでいる人々の古びた写真を見た。まるで中世の時代に暮らす人々のようであった。ガイドをしてくれていた
国立ブリヤート大学のマリーナ先生の解説によると「帝政ロシア時代に宗教改革のあおりで異端派と位置づけられた人々が
弾圧を逃れシベリアの森の中にバラバラに逃れました。隠れるようにして暮らしている人々は今でも実在します」とのこと。
そういえば、と前年の‘オールド・ビリーヴァー’のことをその時思い出した。

『アガーフィアの森』(ワシーリー・ペスコフ著 河野万里子訳 新潮社)
人跡未踏のシベリアの森の奥深くで原始生活を営む一家が資源探査の科学者達によって偶然発見された。
父親とその4人の子供達は300年以上前のロシア宗教改革時に自分たちの信仰を守ろうとこの地に逃れて来た一族の
末裔だった。4人の子供達はこの森の中で育ち特に下の2人はそれまで自分たち以外の人間を見た事がなかった。
人間社会のことはなにも知らずに四方250キロには人がいない森の奥深くで自給自足の生活を送っていたのである。
信仰や風習や日常生活の道具や話されていた言葉に至るまで中世の様式のままであったこの一家のことが新聞紙上で
発表されると世間では大反響を巻き起こす。以後10年、家族は死に、末娘のアガーフィアひとりになるまでのリポートで
ある。

信じる事とはここまで人間を強くするのか、ということが具体的に書かれていてただただ驚く内容なのだが、
この場所、サヤン山脈の西の地点ハカス自治州の北の地点、とある。本中の地図で見ると自分がキジルから
トゥバ人作家のチャルルリグオールに連れられて3泊4日で山の上の湖に行った場所の近くなのである。
近くといっても日本人の感覚の‘近く’ではないのだが。しかしトゥバとの境に近いサヤン山脈のアバカン川の近く、
となるとますますもって、あの時、苦労の末登って(車だったけど)山の頂上から四方を眺めた時のことを思い出す。
たしかに険しく、傾いた陽が遠く続く稜線を照らしていたあの風景、・・・。

アバカンからキジルまでの道中、峠の一本道で工事をしていて約3時間、足止めをされた。なんの表示も掲示もない
あまりに唐突な工事であったがドライバー達は車の列をつくっておとなしく開通するのを待っていた。
言葉の通じないドライバーと2人きりだった僕は2時間経っても開通する気配のない様子に、彼に迂回路を訪ねた。
が、地図を見ながら身振り手振りで
「迂回したらキジルまで2500キロかかる」
といわれてこのシベリアでの距離感というものを改めた。
あの時の、車を降りてあの山の上で、ぼーっと眺めていた景色を思い出す。

9月で雪が降り始めていたその土地は冬期はマイナス40度にもなるという。そういえば寒い日は飛んでる鳥が落ちてくる
って言っていた。自然とか宗教とか歴史とか人種とか風習とか、どの切り口からでもシベリアは振り幅が振り切れて
しまうほどで興味は尽きない。
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東京大学総合研究博物館 写真展

大学構内にある様々な学術標本を紹介するために写真家上田義彦がそれらを撮影した
写真展が現在、東京大学総合研究博物館で開催されている。

動物の骨、剥製、ガラス瓶に漬けられた魚類、卵、人体模型など雑多なものが
“作品”として新たな命を吹き込まれたように静かに展示されていた。写真家本人が、
ワピチというシカの骨を見た時、厳密さ、合理性、繊細さを感じた、というように、
それぞれのモノから生命の崇高さが伝わってくる。

主催である東京大学総合研究博物館の西野氏の冒頭のあいさつ文には、
“・・・記録写真は、被写体がヒトであれ、動物であれ、自然であれ、つねに主観性を排した、メカニックな
眼差しに特徴があります。それに対し、上田さんのカメラ眼には、類稀な個性のフィルターがかかっています。
そのため、捉えられたヴィジョンは、独特の奥行きと柔らかさに包まれ、作家性を強く主張しています。・・・”
とあった。例えば新聞記事は主観を排した合理性だけを求められる。今回は一流の小説家に新聞記事を依頼したら
どうなるか、というまるで試みのようだ。被写体がなんであろうと本質的な美を常に追求して来たこの写真家の特徴は、
主観を伴ったメカニックな眼差しであったかと改めて思った。生きているモノはひとつもないのに命を感じる・・・。
合理的な生命体であるほどに美しさを感じた写真家の意思がしっかりと感じられた。

ここでしか手に入らない写真集も販売している。
写真展の開催自体があまり知られてないのだろうか。無料なのに誰もいなかった。



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祝!出版・和田靜香さん

そういえば先月、文春文庫より和田さんの本が出版されました。
すでに出版されてはいましたが今回改めて文庫化されたそうです。
先日の『R25』のブックレビューコーナーでも大きく紹介されていました。
和田さんは病院に詳しいので何かあるとよく相談にのってもらってます。。
読んでると病気になりそうですが、みなさんもぜひどうぞ。
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