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ビジュアル系?

昨夜は新宿ロフトに我がM.J.Qが出演したので観に行った。
アコギなSSとして仲野茂&下山淳、銀杏BOYSの峯田和伸と中村氏というラインナップ。
最後のアンコールではロマンチストを全員で演奏。エレキに持ち替えた下山さんのギターに
Qちゃんのドラム,山本さんのアコギが絡む。短かったが一瞬のエレキが逆に新鮮だった。
打ち上げではQちゃんと銀杏の中村君と色々話したのだが、仲野さんとミチロウさんが同じステージというのは
昔ならありえなかったこと。仲がどうとか悪かったとかは遠い昔の話である。

80年代のロフト。今と違い小滝橋通りにあった。高3も終わりの2月に
当時ボウイの布袋寅泰の誕生日ライブを観に行ったことを思い出した。
(そのちょっと前の大晦日にはスターリンも観た)
AUTO-MOD(ベースがパーソンズの渡辺貢、ドラムスが高橋まこと)やいくつかの
当時ボウイ以外で布袋さんがやってたバンド、最後に布袋さんと下山淳さん2人のセッションだった。
自分の高校時代は80年代の前半で世の中では力のあるバンドが群雄割拠していた時代で、その中でもまだ
ライブハウスや学園祭回りをしていたボウイが好きだった。ファーストのボウイやセカンドの
インスタントラブが廃盤中でフジヤマでやっと見つけたり、ライブで録った音を
みんなでコピーしてバンドでやったりしていた。雑誌『Player』で布袋さんが連載していた
小さなコラムを目当てで毎月読んでいたりした。エルビス・コステロもXTCもドゥルティ・コラムも
ソフトセルもそこで布袋さんに教わった。
ボウイが東芝に移籍して大ブレイクしていく前にボウイ熱は冷めたのでその後のビジュアル系バンドブームに
つながっている経緯はあまりよく分らなかった。やがて仕事するようになって昔どんなの聞いてたかという話に
たまになったりした時、「ボウイを聞いてた」というと「ビジュアル系が好きだったんですか?」みたいな
反応をされてしまう時がある。
別にビジュアル系バンドが嫌いでは全然ないけど、自分にとってはLONDON POPや小滝橋のロフトやフジヤマとか
渋谷ライブインとかウォークマンとか、10代頃の色々な思い出が、そのずっと後に出来た“ビジュアル系”という
言葉ひとつで現されてしまうのはせつない。当時はビジュアル系などと言う言葉自体がなかったし。

という話をQちゃんにしたらさすが分ってくれて長年のこのもやもやした気持ちが薄らいだ。
同時代を生きた人はやはり理解し合えるね。
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アムール川(動画付き)



寒風の吹き抜ける枯れた原野の中をとぼとぼ歩いていると気分は脱北者である。
途中、何度かカメラのフィルムチェンジを行った。
ついでにここにアップしてある画像を携帯で撮ったりもした。
気がつくと結構な時間素手を外に出していた。手袋をしても痛みが引かない。
あわてて握ったり伸ばしたりを繰り返した。考えてみれば
カメラは金属だし素手で零下の中で触ってはあまりよくない。
このアムール川は全長が4400キロ、流域面積および全長が世界トップ10に
入る川である。ここにしかいない固有種も存在する。地球を代表する大河の
ひとつと言える。

結局こちら側に戻って来たのは4時半近くだった。1時間半も川の近辺を
うろついていたことになる。今年の冬はやはり暖冬で、例年ならマイナス25度くらい
に下がるらしい。

動画は渡る前の遊歩道から川を見下ろす風景。
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アムール川を渡る

翌日午後、再度川渡りにチャレンジ。
気温は街中でマイナス12度。この吹きっさらしの場所では
体感温度はもっと寒く感じる。
ちなみに午前中はここから20キロ程離れた郊外の動物園に行って来た。
ユニクロのパッチでは寒くて寒くて。帰ってからミズノのブレスサーモにはき替えた。
靴底にもホカロンを敷いて準備は万全である。

いったい川の向こうまでどのくらい距離があるのだろうか。時間を計ってみることにした。
14時55分スタート。傾いた陽がまぶしくて昨日今日で顔はすっかり雪焼けしている。
写真は氷上である。透き通った氷の下が真っ黒だ。こういうところはツルッと滑るので歩かない。
雪が踏み固められた場所を歩くようにする。いい才したおじさんやおばさんがこういう氷の上を
見つけると子供のようにツツっーと滑っている。子供も腹這いになって滑って遊んでいる。

犬の散歩が結構多い。凍り付いた犬のウンチを踏まないように注意して歩く。
そういえばシベリアでまだシベリアンハスキーって見てないな、などと考えながら歩く。
何人かとすれ違い何人かに抜かれる。しかし昨日より確実に寒い。手袋してても手が冷たい。
川の真ん中くらいから隆起した氷がなくなり平になっていた。雪に茶色の砂が多く混じるようになり
マーブルチョコレートのような模様を作っている。月や火星の表面ってこんなだろうかと思わせる。
風が強くて顔を覆ったマフラーが息と鼻水でぐちゃぐちゃだ。メガネが曇りだす。しょうがないから
マフラーをどけるが寒風が肌を直撃して我慢出来ない。ロシア人はよく顔を出したままでいられるな。

しかし向こうから人が渡ってくるが向こう岸に集落はあるのだろうか。ただ木が横にずらっと生えているだけ
のように見えるが、あの木の向こうにきっと何かがあるのだろう。

やっと向こう岸の木のところに到着した。時計を見ると15時30分。あまり立ち止まらずにサクサク歩いて
きたがそれでも30分はかかった。川幅は2キロ以上はある計算になる。
土手を乗り越えてさあ、と思ったらその先は、何もなかった。ただ枯れた草が所々あるだけの広大な原野。
今来た川幅よりもっと遠い彼方にかろうじて建物らしきものが見える。原野のなかを人が数人こちらに
向かって歩いてくる。あんな遠い所からわざわざ歩いてくるのかと正直気が抜けた。さっさと帰ろう。
振り返ると凍った川の向こうはハバロフスクの街がよく見える。ハドソン川を挟んだニュージャージーから
マンハッタンの摩天楼を眺めているようだった。


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冬のシベリアより

この週末は、ハバロフスクに行って来た。
ハバロフスクはこれで2度目になる。前回来たのは夏だった。
新潟から飛行機で1時間45分。時差は冬期は1時間。
機内で現地の気温マイナス11度とアナウンスがあった。
ハバロフスク空港に着いて飛行機の外に出たとたん冷気に体が包まれる。
新潟も寒かったけど寒さの質が全く違う。
翌朝、ホテルの部屋から白く凍って帯のようなアムール川が見えた。ちなみに窓は全て2重窓。
(写真参照)部屋の中は気温25度位に保たれていてホテル内は快適だ。
午前中、凍結した川の上を歩いてみることにした。
1年半前の夏真っ盛りのころの川の情景が目の前の凍結した姿と重なる。

川の向こうからこちらに来る人、逆にこちらから向こう側に渡る人、人の往来が結構ある。
氷に穴をあけ釣りをしている人を見かける。釣ってもその魚は汚染されて食べられない
と聞いたのだが。ちなみに一昨年の中国・吉林省の化学工場の爆発事故によるアムール川の汚染について
現地の人に聞いてみたら、やはり水道水が使えず市民はミネラルウォーターを大量に
買い込んだりしたそうだ。健康に関する事だけにさぞや市民のみなさんは中国に対してはご立腹だろうと思いきや、
「別に。そんなこともある」とのこと。地続きの国境を長く有する人々の懐の深さか。

川沿いの遊歩道から石段を下りて川岸に向かう。
凍結した川は所々で鋭角的に隆起して表面には全体的にうっすらと雪が積もっている。
人が歩く所は雪と氷が踏み固められて歩きやすくなっている。その自然に出来た‘道’が対岸まで蛇行して
続いている。遠目にはこの辺りから川だろうと見当がつくのだが近くにいるとどこまでが
岸でどこからが川の上になるのかよくわからない。
川沿いの遊歩道にいた時は感じなかった風が、さえぎる物のない氷上ではまともに吹きつけてくる。
東急ハンズで1000円くらいで買った靴底に付けるゴム製の滑り止めが役に立つ。さっき石段で
カチャカチャいわせて歩いていたらすれ違うロシア人に「ちょっとそれ見せてくれ」と言われた。

所々雪が積もっていない場所は氷がむき出しになって見える。透き通った氷に白い筋が何本も入り
その筋が大体の氷の厚さを教えてくれる。1メートルはあるだろうか。氷の下は真っ黒だ。アムール川は
中国名は黒龍江である。夏に見た川の色は濃い茶色だった。寒風で顔の皮膚に痛みを感じ出しながら
漆黒の大河の上に立っていることを改めて感じる。氷が薄い所はないのだろうか、割れて落ちないだろうな、
などと渡る前は考えたが、この厚さ、盛り上がりを蹴飛ばして感じる硬さ、身を切るような寒さ、,,
この氷が割れるわけがない、と改めて実感する。

黒いキャンバス上に浮き上がる幾何学的な氷の模様、うっすらと風紋のように積もった雪と砂、氷原の向こうには
煙を吐き出す工業煙突、氷上の世界は別の惑星のようで12枚撮りのフィルムをすぐ撮りきってしまう。
フィルムチェンジする時が大変だろうな、と日本いる時から想像していたのだがやはりそのとおりだった。
手袋を一旦脱いで、ローライフレックスを逆さにしてフィルムを素早く抜いて素早く入れる。フィルムを
袋から剥いたところで素手を一旦ダウンのポケットに入れないと痛くてもたない。

20分も歩き回っただろうか。対岸はまだまだ向こうだし、とりあえず一旦戻ることにした。
ニット帽を耳までかぶり、さらに首の周りにフリース製のマフラーをして顔がなるべく外気に当たらない
ようにしていたのだが、それでも肌が痛い。ロシアの人は顔まで覆う人は見当たらない。痛くないのだろか。
家にあったニットの覆面タイプの帽子(プロレスラーみたいなの)をマジで持ってくればよかったと思った。




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マイ・シネマトグラフィー を観た

アカデミー賞を2度も受賞した撮影監督のハスケル・ウェクスラーの姿を
息子がドキュメンタリーとして捉えた映画。
撮影監督ものかと思っていたらむしろ親子の確執、というか
ひたすら突っ走って来た天才肌のオヤジを理解したいという息子の
記録映画である。
始まって、いきなり息子の構えるカメラに向かって怒りながらドキュメンタリー映画についての
持論をまくしたてるハスケル・ウェクスラー。一筋縄ではいかない頑固親父そのものである。
とても面白くて結局最後まで観入ってしまった。
『カッコーの巣の上で』で途中で降ろされたことなど今もオヤジは左翼活動の為の
FBIの横槍だと信じて疑わないのだが息子は関係者のインタビューから親父の
撮影監督という立場を越えた姿勢に問題があったことを浮かび上がらせる。自分を持ち上げるコメントばかり
でないインタビューを取り入れることがこのドキュメンタリー映画の必須だと諭すハスケルに息子は応えて行く。
デモに参加したいという元左翼の親父に付いて行ったサンフランシスコで
夕陽の中で撮りたいと申し出る息子に、せっかく話す気になったのに今この部屋で
なぜ撮らないのかと怒るハスケル。目の前の俺より夕陽の画の方が大事なのかと。その程度のものなのかと。

30年も連れ添いながら別れた2番目の妻(この映画の制作者の母親)がアルツハイマーになり施設にいる所を
訪ねる場面は、他人に対する優しさより自分の人生を追求して来たハスケルの、心の奥底にある複雑な思いを表している
ようで、撮ったのが息子だというところに価値があるように思う。
最後にハスケルが映画の権利にサインするのだが、それはこの親子にとって特別なことなのであろう。
不都合な真実とは比較にならないがどっちか観に行くとしたらこっちかな。

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