やっさんのぶろぐ(映画、趣味、日記など)

個人日記、忘備録、反北朝鮮、島国を去りました。

相撲八百長に見る官僚国家

2011-02-03 08:29:00 | Weblog
相撲の八百長が取り上げられている。相撲はプロレスのようにはじめからみなが八百長を知った上で見る芝居と認識しているが、マスコミはまるで相撲が他のプロスポーツと同様に八百長なしで行われているものとしていることが滑稽である。マスコミ、テレビ視聴者、NHK、文科省役人ほとんどの人が相撲は八百長であると知っている。いつも相撲の話になると眼鏡をかけた細身の老人が出てきて、大声でどなりちらした後に一件落着の繰り返しをしているが、あの眼鏡老人は一体何者であろうか?相撲も官僚が行う八百長芝居の一つに過ぎない。相撲を見れば日本の官僚機構を全て理解できる。学校であれば先生が文科省で相撲協会は生徒である。生徒がカンニングしても見て見ぬふりをして、先生は生徒の成績が上がったと他の先生や細身の老人校長先生に自慢するような話である。アメリカ人が日本の官僚を理解する上で相撲は最適な教材である。別に文科省と相撲協会に限ったことではないが、あまりにも現実とマスコミの対応が乖離しているので、見ている視聴者はあきれるばかりである。

個人的には相撲は国技であってもよいが、相撲協会、NHKは金儲けの道具として使用してきた相撲から撤退すべきであると思う。国技であっても商売の道具にする必要はないし、素人が神社の境内でするのは相撲本来の姿である。全てアマチユアとして存続すればよい。物事の本質は、NHK視聴料と称して税金のように国民から視聴料を吸い上げ、その税金の一部を相撲協会が独占的に使用している点である。いっそのことNHKにプロレス中継をやってもらいたい。そうすれば誰も相撲に文句を言わないであろう。視聴料といおうが本質的には税金と同じである。現実を直視できないのは文科省官僚、NHK、マスコミだけである。ほとんどの国民はこの猿芝居を傍観するしかない。少なくとも相撲を八百長なしのスポーツと信じている人は、その他の全てを理解できないし、NHKと仲良しクラブのマスコミ、役人、政治家の言うことを鵜呑みにするしかないであろう。

この猿芝居の最後は容易に予測できる。また、眼鏡の細身老人がわめき散らして、相撲協会に謝罪させて、相撲取りが泣く芝居をして終わりである。前回の八百長事件と同様につくづく相撲取りは泣く演技が得意である。泣いた相撲取りがちゃんこやを始めたといってマスコミが取材するおまけまでついている。水戸黄門や相撲の八百長と同様に全て段取りどおりの結末をまたマスコミが喜んで放送している。もはや、日本の報道はパパラッチ以下である。後100年たっても日本には民主主義は根付かないであろう。アジアと民主主義は相容れないものであるのかもしれない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オーストラリアと白人優位主義 | トップ | ホリエモン、茶髪大学教員、... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事