いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

青春の門 筑豊篇

2016年10月28日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 今更ですが、23年ぶりの連載再開が話題になっていたので、目を通しておこうと思いました。当時の筑豊の自然描写や炭鉱の生活など、背景はとても魅力的です。主人公の信介は私の親父と同年の昭和10年生まれなので、今年は81歳。とても青春という年齢ではないですし、来年は85歳の五木さんが連載再開で「青春」をどう描くのかは不安も感じますが、まあそっちは気にしないことにします。

 信介が中学高校の時分から、性的なイベントがやたらに多いですね。五木さんの北欧を舞台にする短編を読んだ時から同じ感想を抱きましたが、本筋にあまり関係のない「濡れ場」が頻回に入ってきて、話の筋をわかりにくくしているような気がしますし、読みにくいです。それだけ執着する割には性描写が詳細でもしつこくもない、というのは五木さんが「性の目覚め」を青春の重要な要素に数えてはいるものの、それが第一だとは思ってないからでしょう。そもそも、濡れ場もあれだけ回数が多いと目立たないもの。だからこれは連載小説における一種の読者サービスなのかも知れません。何せ連載が「週刊現代」ですからね。しかし最初から大著を読み通す気で読んでいる読者には余計だと感じます。

 小説じゃなくて漫画ですが、こういうスタイルの青春物として、長谷川法世「博多っ子純情」を連想しました。性の目覚めに悩む主人公と、一途な彼女、荒くれの男たち、と設定にもかなり共通点があります。ヤンチャで性的に早熟な青年と、性のはけ口にされるなどして、あまり大事にされてないのに粛々と従う、熱い愛情を秘めた女性。それからサービス精神満点で性の手ほどきをしてくれる年上の女性。こういうパターンが九州のあの辺ではある種理想の青春像だったのでしょうか。他の地域では、これだけ「あけすけ」だと反発が強くなるように思います。「青春の門」「博多っ子純情」共に全国で人気を博した作品ですが、全国の読者も、あれは筑豊あるいは博多という独特の風土あってのことと思って、別の世界を覗くような興味をそそられて愛読したのだと思います。私は漫画の方はともかく、五木さんの筆力なら、濡れ場よりも書くべきことが他にあったと思いますけどね。
コメント
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