いざとなった時に、どのように言動を取るかで、その人の生き方が量れます。
親は愛情をもって、子供が自分の力で考え行動することが出来るように、「独立自尊」の大事なことを植えつけるように育てるはずです。
人の道を踏み外さないようにと、慈しみ育てる女性の役目は大変重いものがあります。
『古より、王者に対して王道を教え歩ませたは、そこに大いなる意義があることを痛切に感ぜよ。
今世の者は、かかる王道を受けもせぬに、本来ワイワイガヤガヤの輩が、民主主義などと称して先頭に立つゆえ、世の中そのものまで狂わしてしもうたわ。
神の「カ」の字も知らぬ者が、祭の「マ」の意味も分からぬ者が、政治などという「まつりごと」を行うゆえ、狂うてしまうのじゃ。
今の政治家共は、分相応に大人しく引き下がるがよい。すべてじゃ。
何度でも申すぞ。今の政治家共では、まことの政治は出来ぬ。
「実力者」なる言葉使うも控えよ。
今の世に実力者なる者、政治家共の中にはおらぬ。
勝手を申すではない。
人の道踏み外しても、臆面もなくシャアシャアと致しておるような者の集団と化した今の政治家共は、指名手配されておる人間共の典型ぞ。よくその面構えを見てみるがよい。
かかる輩共を育て上げたも、母であり、妻たる者が、人の道の何たるかを教えなかっただけでなく、出世欲・金銭欲・名誉欲に目を眩ませたからであろうが。
母も妻も同罪と思え。
かかる魂にて得た地位や名誉や財産が、何故(なにゆえ)「故郷に錦を飾る」ことと相なるか。
人類のまことの故郷(ふるさと)は、高天原(たかあまはら)は精奇城(さごくしろ)ぞ。
高天原はおろか、神の世界・仏界・霊界・幽界にも戻れず、餓鬼や修羅の世界の者が、飾る錦など、初めからあろうはずもないわ。
すべては川面を流れゆく木の葉の如きものぞ。
これより後は、母者も妻たる者も、子供や夫が、かかる人間などにならぬよう、しっかり育て上げることじゃ』










