【 日々の感謝 】

【日々の感謝】 それは当たり前のことだと思っている、日常生活の中に生まれるもの

辛抱は、我慢と違う

2011年04月05日 | 人生・生活

我慢は、自分の心を抑圧するために、やがて耐え切れず爆発してしまいます。

辛抱は、神様の支えの上に立ち、神様の懐に抱かれているのです。

『十』は神様を表します。
『辛』の字は、この『十』の上に『立』つと書きますから、神様の支えの上に立つことになります。

そして、なおかつ神様の懐に『抱』かれているのです。

 

辛抱の時は、神様の鍛えです。

目的を成就するために、耐えるのです。

人の世を生きて行く上に、ある程度、耐えることは必要です。

 

お辛いのは、むしろ下で支え、抱いて下さっている神様の方であられるのです。

私達が壁を乗り越えるのを、じっと待って下さっておられるのです。

 

ある時は社会のために、またある時は子供のために、また家族のために、忙しさと戦い、辛さを乗り越え、また淋しさや悲しさ、苦しさにも耐えねばならない。
時としては、成すことのない暇にさえ、耐えなければならないのです。

 

石ころ一つ落ちていない平坦な道を、ただぼんやりと歩むだけでは、人生の鍛えにはなりません

この世に、人として生を受けるということは、自らが進んでこれを乗り越えることであります。

それが喜びに変わった時、最も大切な魂の磨きになるのです。

 

我慢(がまん)と辛抱(しんぼう)は、単に言霊の上の差だけではありません

辛抱は、神様の支えの上に立った鍛えであり、人生をより豊かに味付けするための、神様から与えられた貴重な香辛料なのです。

人生の荒波も温床も、すべて神様のお計りの内にあります。

有難く受け取らせて頂きたいものと思います。


(参照:藤原大士著作等)
 

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