我慢は、自分の心を抑圧するために、やがて耐え切れず爆発してしまいます。
辛抱は、神様の支えの上に立ち、神様の懐に抱かれているのです。
『十』は神様を表します。
『辛』の字は、この『十』の上に『立』つと書きますから、神様の支えの上に立つことになります。
そして、なおかつ神様の懐に『抱』かれているのです。
辛抱の時は、神様の鍛えです。
目的を成就するために、耐えるのです。
人の世を生きて行く上に、ある程度、耐えることは必要です。
お辛いのは、むしろ下で支え、抱いて下さっている神様の方であられるのです。
私達が壁を乗り越えるのを、じっと待って下さっておられるのです。
ある時は社会のために、またある時は子供のために、また家族のために、忙しさと戦い、辛さを乗り越え、また淋しさや悲しさ、苦しさにも耐えねばならない。
時としては、成すことのない暇にさえ、耐えなければならないのです。
石ころ一つ落ちていない平坦な道を、ただぼんやりと歩むだけでは、人生の鍛えにはなりません。
この世に、人として生を受けるということは、自らが進んでこれを乗り越えることであります。
それが喜びに変わった時、最も大切な魂の磨きになるのです。
我慢(がまん)と辛抱(しんぼう)は、単に言霊の上の差だけではありません。
辛抱は、神様の支えの上に立った鍛えであり、人生をより豊かに味付けするための、神様から与えられた貴重な香辛料なのです。
人生の荒波も温床も、すべて神様のお計りの内にあります。
有難く受け取らせて頂きたいものと思います。
(参照:藤原大士著作等)










