小室みえこのブログ

日々のくらしと市政をつなぐ

約38年前に会った落合恵子さんの話

2017-08-20 22:16:16 | 日記

小室みえこです。

8/20の野田市文化会館自主事業の「落合恵子さんのトークショー」のことは、先に投稿しましたが、実は38年位前に当時学生だった私が、地元(埼玉県坂戸市)の文化会館で終戦記念日に因んで、落合恵子さんの講演会を企画し、その講演会を聞きに行ったことを思い出しました。

その当時も、若い人の聴衆はほとんどおらず、私は少し目立っていたようです。そのためか、講演後にインタビューを受けたり、講演会の記録写真が広報に掲載されたりしたので、記憶にあるのです。

また、20歳前後に、社会運動的な意識も芽生えていた頃でした。

その時の落合恵子さんの話を今でも鮮明に覚えています。

内容は・・・・・・・

沖縄の地上戦で、どれほどの戦慄な状況だったのか?沖縄のおばあたちに聞き取りをしたことの一つを丁寧に話してくれました。

 当時、乳呑児を抱えていたその女性は、アメリカ軍に追われ、防空壕の中に逃げ込んだ。防空壕の中は、既に多くの住民が押し合うように息をひそめて、避難していた。夏の暑い日、防空壕の中は、さらに蒸し暑く、暗い中、女性が抱きかかえていた赤ちゃんは、大きな声で鳴き始め・・・・なかなか泣き止まない。何とかあやそうとしても、どうしようもないほど火がついたように泣き続ける。「早く、泣き止ませろ!!」「米軍に気づかれる」「泣き止まないなら、出て行け!!」の怒鳴り声、いたたまれず、女性は大きな口を開けて泣き続けるわが子の口をふさいだ。何とか鳴き声が漏れないように、攻め続けられた女性のは思わす、手に力がはいる。でも、一生懸命の彼女はその力がどれだけの力であるかは、その時はわからなかった。しばらくして、米軍の進行は、それたようだという情報が入り、防空壕に逃げ込んでいた人々が、外へと出ていった。ようやく、我に返った女性は、ようやくわが子が泣き止んだことに気づき、手を放した。しかし、わが子はぐったりしたまま動くことがなかった。そう、彼女は泣き止ませようと必死であった故、わが子の口をふさぎ・・・母親である彼女が子どもの息を止めてしまったのだ。

母の悲しみと自責の念は消えることはない。

これが戦争、これが事実。

私は、その時は過去のこと、戦争は終わったんだ。これからは平和な暮らしが続くはずだと思った。そんな記憶を鮮明に覚えている。

8月。広島、長崎に投下された原爆。終戦。

常に、戦争は嫌だを言い続ける。平和を希求する一市民として。

 

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